天幕の中にいたのは確かにドラゴンの子供だった。
もし大人のドラゴンなら、こんな小さな天幕の中に体がおさまるはずがない。
師匠たちが戦った伝説のドラゴンは天を突く大きさだったというし。
このドラゴンの第一印象を一言であらわすと……とっても美しかった。
銀色を基調とした鱗はまるで宝石のように一枚一枚輝いていて、力強さを感じさせる不思議な光を放っている。
それとは対照的にドラゴンの蒼い瞳は憂いに満ちていた。
黙ったまま俺を見返してくる眼差しに、ひどく鬱屈した想いが見て取れる。
なるほど、これは確かに奴隷ではない。
人ならざるモノ……つまりはモンスターだ。
「随分と大人しくしているな。
調教師のクラスならモンスターを手懐けることができる。
しかし、商人は首を横に振った。
「いいえ。ですが、暴れたりはしませんよぉ。きちんと交渉した上で、ここにいてもらっていますからねぇ」
「モンスターと交渉……? いや、ドラゴンは知性に
商人がニヤリと笑う。
「それが違うんですよ、旦那ァ。こいつはね、竜人族なんです」
「竜人族? 人型になれるドラゴンたちのことだな」
種族名ぐらいは師匠から聞いたことがある。
人とともに生きることを選んだドラゴンたちは、神秘の力を用いて人と同じ姿を取ったのだという。
このドラゴンが、その末裔だというのだろうか。
「ならば、どうしてドラゴンの姿をしている? いくら子供とはいえ、人の世界では不便だろうに」
「へっへっへ。聞いて驚かないでくだせえ。こいつは出来損ないらしくてねぇ、一族を追放されたんですよ」
「……追放」
その言葉を聞いて、胸のあたりがズキンと痛んだ。
「ドラゴンの状態だと竜語しか喋れませんし、あっしもかじった程度なんで詳しい事情まで聞けてませんがね? なんでも人型になれない呪いをかけられたんだとか」
竜人族でありながら、人の姿をとることができない。
それはつまり、人ならざるモノ……モンスターとして生きろという意味に他ならない。
「この子は竜人族であることを否定されたのか」
なんと厳しい罰なのだろう。
この子が犯してしまった罪は、そんなにも重いのだろうか。
「それでですねぇ。一族の掟で、自分の呪いを解けた者に仕える場合のみ、人の姿をとることを許されるそうで……」
「要するに俺なら呪いを解けると?」
「さあ? ただ、あっしはこれでも人を見る目に自信がありましてね。旦那なら、ひょっとしたら……こいつの呪いを解けるんじゃないかって思っただけなんでさぁ」
そういうことだったか。
「ふむ……では、
ドラゴンの
健康状態や魔力、そして世界からの影響などをつぶさに分析していく。
「これはひどい」
ドラゴンは、体中を見えない鎖のような何かでがんじがらめにされていた。
単に人の姿をとれないだけではない。
あらゆる力を制限されている。
「確かに呪いをかけられている。これは……かなり強力なものだな」
「へっへっへ。そうでしょう? 何しろ王都で一番の神官様でも
「では、今から呪いを解くが……かまわないか?」
「……おっと。まさか本当に解けるんですかい? ああは言いましたが自分でも半信半疑だったんですがねぇ」
商人ばかりか、ドラゴンも驚いて目を見開いていた。
「おそらくいける」
ドラゴンの頭の前で膝をつき、視線を合わせた。
「先ほどの話からして、呪いを解いてしまったら……君は俺に仕えなければならないのだろう? 竜人族は誇り高いと聞く。人間ごときに仕えるのは不服ではないか? 本当に呪いを解いてしまっていいのか?」
ドラゴンの揺れる瞳をジッと見つめる。
しばらく迷っていたが……やがて首を大きく縦に振った。
どうやら本人の承諾もとれたようだ。
「そうか。ならば、俺も少しばかり本気を出すとしよう」
立ち上がってから、手袋をキュッと締め直す。
『師匠』の指示に従い、人間社会ではトラブルになるからという理由で信仰魔法については無詠唱を貫いてきたが……このレベルの呪いが相手では仕方ない。
「賢者アーカンソーの名において、神々に
最後の仕上げにパチン、と指を打ち鳴らした。
するとドラゴンを取り巻いていた呪いが霧消する。
次の瞬間、ドラゴンがいた場所には小柄な美少女が呆然と突っ立っていた。
「えっ…………?」
おそるおそる自分を手を見ながら、その美少女はブルブルと震え出す。
「う、嘘。あちし……ホントーに元の姿に戻れてる!?」
「ヒャッハァ! なぁんてこった! あっしの目に狂いはなかったってことかぁ!」
商人の反応からして、この少女が先ほどのドラゴンで間違いないらしい。
確かに頭からドラゴンの角らしきものが生えているし、形状も一致する。腰のあたりから生えている長い尻尾もある。
ドラゴンが話す竜語ではなく共通語を喋っているのも、人の姿に戻って発音できるようになったからだろう。
しかし俺は思わず首を傾げてしまった。
少女の服装があまりに予想外だったからだ。
「何故メイド服を着ているんだ……?」
そう。
人の姿を取ったドラゴンの美少女は何故かメイド服を着ていた。
その理由は、まったくもってわからない。
「ご主人さまー!」
俺の疑問をよそにメイド美少女が思いっきり抱き着いてくる。
すごい力だ。
ちゃんと鍛えていなかったら押し倒されて後頭部を強く打撲し、生死の境を
「ご主人さまご主人さまご主人さま!! ふつつかものだけど、このあちしを……ウィスリーを一生そばに置いてー!」
ウィスリーと名乗った美少女が、すりすりと頭を擦り付けてくる。
人の姿に戻れたことが、よっぽど嬉しかったようだ。
「俺はアーカンソーだ。よろしく」
「あいっ、ご主人さま!!」
ウィスリーが俺の顔を見上げてきた。
蒼い瞳がキラキラと輝いている。
先ほどまでの憂鬱そうなドラゴンと同一人物とはとても思えなかった。
「ところで……さっきの詠唱、ものすごく
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら商人が尋ねてくる。
「フッ……できれば聞かなかったことにしてくれないか?」
痛いところを突かれた俺は、精一杯に虚勢の笑みを浮かべるのだった。