俺はマスタフォン侯爵家の屋敷に向かう前に装備を整える。
戦闘のための準備ではない。目立たないための準備だ。
貴族の邸宅が並ぶこの地区では、金属鎧に魔神王の剣は目立ちすぎる。
普通に道を通り過ぎるだけならまだしも、俺は観察したいのだ。
マスタフォン侯爵家の屋敷周辺を、うろうろしなければならない。
「となると、貴族の奉公人っぽい感じがいいな」
とはいえ、魔神王の剣も持っていきたい。
中に隠せそうなふんわりとした服がいいだろう。
「よし、これで行こう」
俺は自室で装備を整えてから居間へと顔を出した。
「じゃあ、行ってくる。留守番頼むぞ」
「お気をつけてであります」
「油断しないでね」
シアとセルリスは激励してくれたが、ミルカは顔をしかめた。
「その剣はなんだい?」
「結構いい剣なんだぞ。多少目立っても持っていきたいからな」
「目立ちすぎると思うぞ」
「そうかな?」
「そうだぞ」
俺はルッチラを見る。
「どう思う?」
「目立ってると思います。まさに冒険者って感じですね」
「そうか。それは困るな」
心配そうに寄ってくるガルヴの頭を撫でてやる。
「まあ、剣は隠すさ」
「隠せるのかい?」
「俺は凄腕だからな」
そう言って、俺はマスタフォン侯爵家に向かうことにした。
屋敷を出るとき、ゲルベルガが、
「コケコッコーッ!」
高らかに鳴いた。武運を祈ると言ってくれているようだ。
俺は屋敷を出る前に、魔神王の剣に隠蔽の魔法をかけておいた。
魔法抵抗値の高いもの、魔力値の高いものが、意識すれば剣に気づくかもしれない。
だが、普通の人は気付かないだろう。
俺は普通の通行人のようなふりをして、マスタフォン侯爵家の屋敷を観察する。
屋敷は成人男性一人半ほどの高い壁に囲まれている。
(正門が一つ。裏口が一つ)
俺は入り口の数を、しっかりと確認する。
正門の横には門番が二人いる。裏口の横には門番が一人いた。
(やはり怪しいな)
それが俺の最初の感想だ。
通常、正門横にはともかく、裏口は門番を配置しない。
平和な王都内において、門番の主要な仕事は来客への対応だ。
だから来客の来ない裏口には配置する必要がない。
俺は門番の様子をうかがいながら、屋敷の前を歩いていく。
門番の三人とも、表情もなく微動だにしない。
その態度は門番としては模範的と言えるだろう。
だが、生気がなさすぎる。
(微動だにしていないが、目だけはこちらを追っているな)
不気味だ。
俺はヴァンパイアの魅了にかかった奴に似ていると思った。
邪神を召喚しようとするぐらいだ。
家中全体が、昏き者どもに支配されていてもおかしくはない。
俺はそんなことを考えながら、観察をつづける。
(窓からこちらを見ている人影が……一、二、三……)
たまたま、窓の外を覗いているといったていではある。
だが、よく観察すれば、表情を変えず、微動だにしていないことがわかる。
(あいつらも目だけでこちらを追っているのか)
警戒が厳重過ぎる。
中にいるのが、ヴァンパイアとは限らない。だが怪しいのは確実だ。
当初は何度も目立たぬよう、周囲を回りながら観察するつもりだった。
だが、監視の目が多数あるのならば、屋敷の周囲をぐるぐる回るのはよくない。
(怪しまれる前に、観察はやめておくか)
俺はそう考えて、一度通り過ぎた後、マスタフォン侯爵家に侵入することにした。
脳内で門番や窓から外をうかがう人影の位置を計算する。
死角はほとんどない。
(とはいえ、死角が皆無というわけではないし……。まあなんとかなるだろ)
他の人なら難しくとも、俺には可能だ。
通常ならば、夜陰に乗じて侵入するのだろうが、相手は昏き者どもの可能性がある。
夜の闇は相手を利するだけ。
念入りに情報収集をした方が確実なのは確かだが、それでは時間がかかる。
魔鼠の大発生。怪しげな邪神の像。人の失踪。
なにか良からぬことが進行中なのだろう。
それを考えるならば、急いだほうがいいだろう。
(兵は拙速を尊ぶだったか……。いや、この場合は狼の子を捕まえるには、狼の巣に入らないと駄目ってやつだな)
ミルカの言葉が頭に浮かんだ。
俺はマスタフォン侯爵家から、一旦距離をとる。
そして、改めて気配遮断の魔法を自分に強めにかける。
(これで並みの冒険者ならあえて騒がしくしたり、激しく動かない限り大丈夫だろう)
俺は慎重に物陰を静かに進む。
マスタフォン侯爵家の高い壁を見上げる。
(少し高いか)
垂直飛びで飛び越えるには少し厳しい。魔力を使えば余裕だが、使うまでもないだろう。
俺は魔神王の剣に紐を縛りつけると、壁に立てかける。
そして、鍔に足をかけて飛び越えた。
(うおっ!)
思わず声を出しそうになった。
下からは見えない角度で、壁の上には鋭利な突起物が並べられていた。
咄嗟に身をよじって、何とか回避する。
やっとのことで敷地内におりたった。
これだけ防備を固めていれば、腕のいいスカウトであっても侵入に苦労するだろう。
まるで砦の様だ。
(警備が厳しいってことは、それだけ見られたくないものがあるってことだな)
そう考えて、俺が気合を入れていると、すぐ横から犬の唸り声が聞こえた。