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青い・赤い歌舞伎町
青い・赤い歌舞伎町
仁矢田美弥
現実世界現代ドラマ
2025年06月10日
公開日
1.3万字
連載中
「歌舞伎町一番街」のアーチが青色に染まったひと時から始まるドラマ。

第1話

「あのビル、邪魔っけよね」

 麻美は不満そうに鼻を鳴らす。俺はそれを見ていなかった。

「景観を損なうっての。異世界のメルヘンの塔みたいに突っ立ってさ」

 真ん前に建築されたひょろ長いシルエットにようやく俺は目を向ける。

「慣れちゃえばどうってことないんじゃない」

「そう?」

 麻美は相変わらず憮然としている。もっとも彼女の不機嫌が始まったのはあのビルを見たことに始まったわけではない。今日は会ったときからいらいらしていた。

 多分きっかけは、あれだ。

 歌舞伎町一番街のアーチが青かったところから、彼女の怒りは湧き上がったに違いない。

 俺だって、初めて目にして、パラレルワールドに迷い込んだのかと思ったくらいだから。

 それくらい衝撃的だったんだ。

 麻美の言うように、西武新宿駅前からすっかりよく見えるようになったあのタワーも、建てる場所を間違えましたかと問いたくなる。

 あのひらひらみたいな頭はなんだ、パステルカラーの水色はなんだ。

 おまけにJR新宿駅のロータリー沿いにある「飛び出す猫」には「#青い歌舞伎町」なるハッシュタグさえ。

 歌舞伎町は赤だ、赤でなければいけないと思う自分はもう歳をくってしまったのか。

 コロナ前の夜は爆買い中国人のツアーがあの赤いアーチの前で集合写真を撮っていた。

 そういえば、ちょっと中華っぽい感じもする。

 どんどん浄化されてソフィスティケートされる歌舞伎町を見るくらいなら、いっそのこと。

 そう思うのはもう旧人類なのか。

 俺は三十。自慢じゃないが、埼玉の山奥で生まれ育った。田舎のヤンキーを気取っていた頃、馳星周先生の『不夜城』を何気なく手に取り、ただちに吸い込まれむさぼるように三部作全てを読み切った。何度読んだか知れない。半端な己が恥ずかしくなるようなダークな世界。初めてまともな本を読んだが、俺はすっかりめろめろになった。俺の生きる道はここだ、と腹をくくった。

 調べてみると、何のことはない、西武秩父線から西武新宿線に乗り換えて、ただ電車に揺られていればすぐにたどり着けるじゃないか。


 ポンコツ高校を中退し、親には黙って荷物をまとめ、身一つで家を出た。

 西武秩父線の駅の始発に乗って行ったが、憧れの歌舞伎町にたどり着いたときはまだ八時過ぎだった。

 西武新宿駅前に喫煙所があったが、そんなところで大人しく吸う俺じゃない。

 歌舞伎町の裏街道で中国系やくざの前ですっと投げ捨ててやる。

 俺は自分がただの日本人でバンバンでさえないことが口惜しかった。


※『不夜城』をお読みでないと分からないところもあるかと思いますが、コメディなのでそのままで。『不夜城』は私の愛読書の一つです。


 腹が減っては戦は出来ぬ。

 まずはあのヤクザどもが飯を食っていた松屋を探そう。牛丼を食っていたヤクザたちが獲物が来たとたん松屋から飛び出して銃撃戦をおっぱじめたシーンには痺れたぜ。あいつら全員殺られちまった。最期に食ったのが松屋の牛丼だぜ。泣かせる。

 俺は必死にググって松屋を探したが、なぜか見つからない。

 位置関係では新宿大ガードの近くにあるはずなんだが。

 潰れちまったか。ち、時代かよ。


 そう思いながら顔を上げた俺はこみ上げる歓喜を抑えられなかった。

 赤い『歌舞伎町一番街』のアーチがあるじゃないか。

 このチープ感がたまらないぜ。

 『不夜城』の劉順一(リゥジェンイー)みたいに故買屋をやりたかったんだが、考えてみると元手がない。小さい店一軒でもさすがに新宿、家賃は高かろうことは俺にも分かった。

 しかし、歌舞伎町は案外健全じゃないか。

 白昼堂々、抗争が起こって銃撃の音が聞こえるんだとばかり。『不夜城』にも書いてあったじゃないか。「ここは戦場だ」と。

 戦場にしては、普通の女子高生とかゴスロリガールが平気な顔をして歩いている。案外普通のカフェとかファーストフードもある。とりあえず腹ごしらえだ。

 腹が減っては生きてはいけぬ。ここは戦場だ。今見えているのは偽りの光景だ。俺はてりやきバーガーのダブルとポテトのLサイズ、コーラを頼んで腹にかきこんだ。

 つまらん。俺の一世一代の挑戦はどうなるんだ。

 ようやく薄暗くなってくると、わりと普通のサラリーマンやら学生やららしき男女の群れが押し寄せてきた。何だ、みんなカタギじゃないか。

 ともあれ、アーチに灯が灯ったのを見たときは俺はまた目頭が熱くなった。しばしそれを仰ぎつづける。

 すると、半袖短パンの太った白人のカップルに、カメラを渡された。記念撮影をしてほしいということらしい。

「オッケー、オッケー」

 俺は心を込めて二人をアーチのもとにおさめた。


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