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射干玉ー夜の娘、月になるのことー
射干玉ー夜の娘、月になるのことー
清原因香
異世界恋愛ロマファン
2025年06月11日
公開日
6,138字
完結済
夜の娘は夜をわたる。灯り一つを携えて。 むかしむかし、まだ夜がただの闇だった頃の話。 小娘だった頃、学校で絵本を作れという授業があり作った創作です。 テーマは「変身」だったかなと思います。絵が格別苦手だったので出来上がりはお察しでした。

射干玉-夜の娘、月になるのこと-

それは、いつかどこかの物語。


 夜は、ただの闇だった。その夜に、最初光をもたらしたのは、月と言う名の神だったと、伝えられている。闇しか知ることはない人々から、闇から来るあらゆる恐怖を、月は取り除いた。

 やがて人々は、自ら明かりをつくり出して、夜の恐怖は過去の話になった。しかし、月をあがめることは、終わらない。

 今、夜と言う空間は、月神の娘なる乙女によって、守られている。


 右津山うつやま桂子かつらこと、人は呼ぶ。夜の闇を紡ぎ出した髪は背丈に余り流れるように長く、月の光を集めたような肌は磨いた象牙の色に輝き、夜露を含む瞳は黒真珠と… それはそれは、美しい乙女だった。

 天に、一本の道がある。はじめ、夜に光がもたらされたよりあるその道は、天の東西を結び果てしなくのびる。桂子は毎夜、月なる光をかざし、その道を歩く。桂子が東の空に一歩を踏み出す時、漆のような闇夜は一転青く冴え渡り、彼女のやわやわとした足取りは、日が昇るまでの長い時間を守るのだった。


 桂子は、それは美しい乙女だったから、右津山に近い里の者は皆、桂子を気に入っていた。おまけに、妙齢に見えたものだから、男達にとっては、桂子に心を奪われるのは、人生の通過儀礼とも言えた。しかも一度心に住まえば、二度と忘られようものではない。桂子があらわれる刻限になれば、男達は露台をしつらえて、遅くまでその姿を愛でるのが楽しみになっていた。

 いくら憧れても手に届く存在ではない。そんな所もあって、女達も、呆れながら、桂子に祈った。夜、物思う娘の胸のうちを聞くのも、また桂子だけだったものだから。


 桂子のもとには、それこそ振るような縁談が、人の世からも神の世からやってきた。しかし桂子は、それにことごとく頭を降る。父なる月神は、桂子の髪を撫でながら、呆れを含んだ物言いで、こう言うのだった。

「なあ、桂子よ、お前はどうして、そのようにかたくななのだ。

 心にきめた男でも、どこかにいるのか?」

すると桂子は、象牙の肌をほんのりと赤くしながら、こういうのだった。

「お父様、どうかそんなことをおっしゃらず、桂子にはいつまでも天の道を歩めとおっしゃって下さいまし。

 この役目こそ、私には至上の使命と存じております、どうか、そのことは御考え遊ばさす…」

月神は、その時の桂子の、瞳の輝きには、折れざるを得なかったのだ。誰よりも、桂子を愛しく思っているのは、ほかならぬこの父・月神なのだから。


 桂子に浮かれた男達を、無邪気に見守る女達の中に、一人だけ、桂子を心から疎んでいる女がいた。雨神の下僕の一人、里の者は雲郎女くもいらつめと呼ぶ。里の雨を一手に任されているが、その雨が分け隔てなく、あるものをすべて濡らすように、男達の多くと親しかった。

 その男達の心に知らぬふりをする桂子が、雲郎女は気に入らなかった。げんに、雲郎女のもとを訪れる男達は、一様に届かない桂子への切々な思いをのぞかせる。雲郎女はいつも、そういう男達が哀れになってくると同時に、桂子に憤りを覚えてくる。逆を言えば、自分を慈しむ同じ唇で、桂子への思いを切々と語る、そんなところも気に触る。

 それもこれも、桂子がいなければ。雲が集まり、雷をもたらすように、雲郎女の憤りはある時、極まった。

 主人から、世の雲を一ケ所に集めるまじないを盗みだした。

 そして。


 夕刻、赤い空をかき消すように、突如湧き起こる黒雲。東に淡く照りはじめた桂子は、そのまま雲の向こうに消えてゆく。男達は、あるいは当惑したように、あるいは落ち込んで、東の空に見えない桂子を慕って、立ち尽くす。やがて雨も降り始め、男達はとぼとぼと家路につく。雲郎女はそれを、ころころと笑ってみている。

「そらぞらん、高嶺の花を見ようとして、崖から落ちたような男達があそこにもここにも。

 桂子に、よもやこの雲、はらす術などあるまいに、精々父神に泣きつくがよかろう。しかし、雲は雨神の領分、いかようにもなるまい。

 金輪際神の世にかえって、嫁がせて、子の一人でも産ませればよかろうよ」


 闇が戻った夜は、あらゆる盗みを赦した。忘れかけていた夜の恐怖が、ひしひしと、里を包んでゆく。

 雲の上では、かわりなく時が過ぎて、やがて日が、雲を白く上から照らし出す。しかしその日が沈めば、再び闇の世界になってゆく。

 降り突ける雨は、やがて、晴れぬすさみを晴らすかのような風達によって、嵐に変わる。穂をつけない稲が倒れる、木々の枝が折れる、家を吹き飛ばす。

 人々は、雨神に祈り、雲郎女を責める。雨神は、呪いを盗み取られたことを恥じて里におりなかったし、雲郎女は、桂子がこの役目を手放して神の世に戻れば雲は消すといい、桂子は天を照らすのは自分の勤めとかたくなであり…


 佐田山さたやま疾風彦はやてひこが、主人たる風神から、かけられた戒めをとかれ、その名も雲去りの矢を授けられたのは、そんな時であった。佐田山とその里は、桂子のいる右津山から人が歩いて半日の場所にある。

「人の世の乱れにより、われらに助けを求める声が神の世に轟き、いたく気ぜわしくなっておる。

 特に嵐の巻き起こす様々の災いには、人は命まで脅かされるまでとか。

疾風彦、里におりる風を我が手よりいっさい任されておきながらその体たらく、理由がどうあれ申し開きもなかろう。

 これは、事態を重く見られたかしこきも日の神が、今里を覆う雲を晴らすべくお前に遣わされる雲去りの矢。天に向かい、射るがよい」

疾風彦がこの暴れる風を鎮められなかったそもそもの理由が、雲郎女にある。小賢しさでは右のない雲郎女に、謀られたのだ。里で唯一、雲郎女の誘いに乗らなかったと言うところも、狙われた理由にあるかも知れない。

 とにかく疾風彦は、部屋の入り口をまじないに戒められて、風達が好き勝手をするその物音を、ほぞを噛む思いで聞くだけだったのだ。


 雲郎女は、疾風彦を封じ込め、雲と雨とを集め続ける呪いをずっと唱え続けていた。その屋敷から雲郎女を言葉通りにたたき出して、疾風彦は、右津山と佐田山のまん中の野原に立ち、雲去りの矢を10人張りの大弓につがえ、天に向かってまっすぐ引き絞った。


 はたして。疾風彦のはなった雲去りの矢は、鏑から鋭い音をまっすぐに吹きながら、ひとすじの光のように天を突く。

 風が、疾風彦の存在に、水をうったように静まる。答えを返すように、淡い光がひとすじ、疾風彦を照らしはじめる。

四方よもつ風、雲を散らせ!」

一檄が、風を整然と流しはじめる。あらわれた太陽に、人々は喝采をあげた。


 疾風彦に、屋敷の外の泥の中にほうり出された雲郎女は、そのままどこかに、消えた。


 何ごともないように、桂子は東の空に、たおやかにその一歩を踏み出す。

 里の人々の歓喜の声が、下から沸き上がる。桂子はその声を、しなやかに足にしながら、天の道を歩く。

 歩けることを喜びながら、雨にあらわれた夜の空気に興を添える光はりんと青く冴える。


 しかし、神の世で風といえば、風神すらもえてして御し倦ねると言う、悪さでは折り紙付きの集団、一度の善行、しかも疾風彦に叱咤されつつのそのしぶしぶとした様子は、民等には至極当然と受け入れられた。それは、宇津山でも同じこと。周りは、その善行ではとても埋まらない、風達の過去の悪行を取りざたする。

 桂子は、素直な感謝の気持ちを、あらわす術はないものかと、日々を過ごしていたところであった。


 ある日。それは、桂子が、月に一日だけ許された憩いの日のことだった。世には新月と称される。

庭を巡っていた桂子の従者が、宇津山で狩が行われたと、憤慨ぎみに報告してきた。庭に降りてきた桂子の前には、角の立派な鹿が一頭、急所を射られて横たわっている。

「桂子さまのおわす、月神様の御領なる宇津山で獣の血を流すなど、不届きも不届きの所行、これはきと下手人を突き止めて」

「…すまぬ」

従者が息をまきはじめた時、竹やぶをかき分けるように声がした。

「手負いの獣を探している」

「なんと!」

従者が、声の主人を降りかえって、

「お前か、このかしこき宇津山で血を流すとは! 桂子様のおわす前でなんたることを!」

そして、その姿をためつすがめつした。

「お前、風の眷属とみた!たった一度の善行のことでいい気になるなよ」

「おやめなさい」

桂子は、まず従者を黙らせた。

「風の眷属、間違いありませんか」

「いかにも」

「私は宇津山の桂子と申します。この度のこと、お礼のしようもありません」

「…いや。たった一度の善行に、礼を言われる筋合いはない。それに、日の神よりくだされた矢がなければ、何も出来なかったのだし」

「ですが、風がなかったら、あの雲を晴らすことはできませんでした」

「気にするな。桂子、お前はただ、天を照らしておればよい」

「…御名を、よろしいでしょうか」

「佐田山の疾風彦」

「疾風彦様。覚えておきます。その鹿は、お礼として、お受け取り下さいまし」


「佐田山の疾風彦と言えば、風の棟梁、雲を晴らす矢を天に射った者ですな。弓の上手でもあり、風の中で一番の人徳を持って、風神より里の風一切をあずかっているとか」

従者がその後ろ姿を見て言った。

「そう」

桂子も、疾風彦の後ろ姿を見ていた。


 雲郎女は、南にある里に逃げ込んでいた。知名ちなの里(という。知名の里の長・千早彦ちはやひこは、その慈悲のなさと冷酷な性格には、右がない言われる人物であった。知名の里は、その千早彦のもとで、近隣の村から奪い取り、生活を成り立たせている。

 雲郎女は、昔の恋人でもあった千早彦に耳打ちした。

「宇津の里と佐田の里は、ことしは豊作だよ。それに、宇津山の桂子の社には、可愛い女がたくさんといる…」


 知名の里がまた、秋にあわせて何かを企てはじめた頃。

 宇津山に、疾風彦の姿があった。傍らには、桂子。

 くわしい所以など、話す必要はないだろう。帰るこだまのように、出会うべくして出会った二人は、しかるべくその間柄を親しくしていったわけである。

「戦が、おこりそうだ。手下の風が伝えてきた。今年は宇津山も狙っている」

「え?」

桂子には、戦のなんたるかなど、詳しくはわからない。夜に桂子が出る時間には、みな戦いをやめて、敵味方もなくやすらう時間なのだから。ただ、疾風彦の深刻な顔が、なにかただならないものを感じさせた。

「疾風彦、あなたも、その戦に出ますのか?」

「ああ。俺は弓の腕前をかわれている。佐田の里を守らなければならない。佐田の里がやぶられなければ宇津の里にまでは来ないだろう」

「戦は、大勢の人が、死ぬのですよね」

「ああ」

「疾風彦、あなたは、死にますか?」

「まさか」

疾風彦は、桂子の憂いを込めた瞳に笑って返す。

「疾風彦は、私の知らないことをたくさん教えてくれました。そのあなたがいなくなることなど、もう私には考えられません。

 できれば…戦などなければいいのに」

疾風彦は、しっとりと濡れたような輝きの桂子の髪にふれた。

「戦がなければいいとは、誰も思うもの。

 しかし、里を守らねば、すべてを奪われてしまう」


 戦が近いこと、それは桂子も、天の神たちの予言めいたうわさ話を伝え聞くことによって、しらないことではなかった。

 そして、風の神がこうともいった。予言には…疾風彦は、この戦を生きて超えられまいと、それが運命と。

 疾風彦はそれを知らない。天に定められたことは、知らせてはならない。父神のいいとがめが胸を射す。

 できれば引き止めたい。桂子は…夕方に、去ってゆくその後ろ姿に何も言えなかった。


 秋の雨、赤いかがり火、物々しい男達。

 疾風彦の姿が、垂れこめた雨の陰の中もかがり火に照らされて、赤く浮かび上がった。その後ろには、東西南北の風がうやうやしく控える。里を守ろうと立ち上がった男達を前に、鋼を叩くような疾風彦の凛とした声が響く。

「敵は知多の里…千早彦。里の実りと、大切なものたちを守る為に立ち上がってくれたこと、感謝したい…」


 桂子が、戦はじまるの知らせを受けたのは、いよいよ天の道を昇ろうかというところだった。

 世を照らす明かりをとり、歩き始めようとしたところに、背後からそっと声がした。

「何も申し上げずとも、お分かりと思います…疾風彦は、この宇津山は守ると、そういっておりました」

 桂子は、そこに立ち止まった。長いこと。

 明かりを元に戻す。左右がふためいた声をあげる。

「桂子様?」

「桂子様!」

「夜はいかが致します、お父神様は」

「今夜は一晩雨がふります、天の世界にこの戦が見えないように」

桂子はそれだけいう。振り返らず、走り出す。


 宇津山から佐田の里までは、娘の脚では歩いてたっぷり半日かかる。まして、黄昏れた暗い道は雨にぬかるんで、天の道と自分の屋敷周りより他に歩いたことのない桂子は、何度も何度もその地面にのめった。


 夜が更けていた。

 ざわめきをわけるように、疾風彦の前に出てきた桂子。雨と泥のまみれた衣装と真っ黒の髪。

「桂子、天の道はどうした!」

「疾風彦…まだここにいた…」

桂子は雲間から照る月の光のような、ほんのりとした微笑みを浮かべた後、ぐらっと、雨の中に倒れこんだ。


 桂子は、眠ったまま、宇津山にかえされた。目がさめて桂子は、自分に何も出来ないことを嘆いた。

 しかし、運命の足音は容赦なく…


 桂子がひとしきり、涙を流した後である。先の鏑矢の見せた側の者が、

「どうぞ、お屋敷の外を御覧下さい」

といった。

 見ると、東西南北の風が、霞むようにひざまずいている。

「…」

桂子は、それだけで、運命の遂行されたことを察した。もう涙は出て来なかった。


 風達は、語りはじめた。

 人々の、倒れた体を乗り越えて、疾風彦は千早彦を探そうとしていた。倒す為ではない、和解のためだ。

 なぜこんなことをするのか。知名の里と、手を取り合うことは出来ないのか。

 ひとしく桂子が微笑む人の世の中に、争い等、ふさわしくない。その思いで。

  その目の前に、千早彦がたつ。

「…疾風彦だな」

疾風彦が頷くと、千早彦はそれ以上何も言わず聞かず、疾風彦にむかって手にしていた刀を振り上げた。


 戦は…激しい雨の中、終わった。桂子のことを聞き及んだ千早彦が、仏心を出して、それ以上のことをしなかったからとも、突然の大雨が、奪うべき実りを全て流したからとも聞く。その雨の中にも女の笑い声が聞こえたとか、なんとか。


 桂子は、その夜も、天の道に立っていた。下を見下ろした。背筋が凍る思いがした。

 あの屍の何処に…疾風彦はいるだろうか。

 沢山のことを教えてくれた疾風彦に、何の礼も出来なかった。

「お父様、私は、この人の世界が愛しいのです」

そう、桂子は呟いた。

「私の知らない、多くの心。

 人を疎むことも、人を慕うことも知りません。

 里の人たちは、それを持っています…

 私は。その里の人たちをいつまでも守りたい、その心を聞いていたい…」


 父神は、その時言葉にならなかった桂子の願いを聞き届けた。

 桂子は、いつの間にか、自分のからだから光が出てきているのに気がついた。

 心が高くまでに飛んだ。真下に差し掛かってきた湖に、自分の姿をうつそうとした。

 しかし、見なれた自分の姿はそこにはなかった。

 あるのは、歪みのかけらもない、象牙色の光。


 桂子は月になった。

 桂子の流した涙は無数の星屑になった。

 今も桂子は、その真白い光で夜の世界を照らしている。

 旅を急ぐ者のため、窓辺にやすらうもののため。



おしまい

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