目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

幻のホーム、封印されたレール

 空気が変わったのは、階段を三段目まで下りたあたりだった。


 コンクリートの壁に囲まれた非常階段。非常灯が赤く、まるで警告灯のように足元を照らしている。

 ――この下に、幻のホームがある。


 ダンジョン迷駅。その奥底にあるという、かつて使われなかったホーム。

 路線計画の都合で封鎖され、誰にも知られずに眠っていた空間。


「ここです……名駅マニアの間では“幻のホーム”って呼ばれてます」


 スマホを三脚にセットし、配信を再開する。


 目の前には、広がる無人のプラットホーム。

 だが線路はない。代わりに、うっすらと残されたレール跡の錆が、まるで傷跡のように床に浮かんでいた。


「なにここヤバ……」

「ホラースポット?」

「この配信、地味にすごくね?」


 チャットが動く。視聴者は十人にも満たない。だが、食いつき方が違った。


「ここ、正式には存在が公表されていません。でも、昔の鉄道資料と照らし合わせると、ここの構造に一致する“影のホーム”があったという記録があるんです」


 和樹の声は、少しだけ熱を帯びていた。

 彼にとって、ここはただの“探索ポイント”じゃない。


「名駅って、どんどん形を変えてきました。増築しては、また取り壊して。でもその中には、“消されるはずじゃなかった歴史”が確かにある。ここもその一つです」


 彼は、柱に手を添えた。

 古びたタイルに、うっすらと指の跡のような模様がある。それは、ただのシミかもしれない。けれど和樹にとっては、“誰かがそこにいた証”だった。


「この人、ヤバいくらい駅愛あるな」

「いやほんと尊敬する」

「ダンジョン探索じゃなくて、文化保存じゃん」


「すみません。……たぶん、僕は宝を探してるわけじゃないんです。ただ、“あったもの”を、なかったことにされたくない。それだけなんです」


 静かなホームに、和樹の声が響く。

 それは実況でもあり、祈りでもあった。


「伝わった」

「アーカイブ、保存しておいてくれ」

「この回、神回ってことにしていい?」


 画面の片隅に、視聴者数「十五」の表示が出る。

 数字は少ない。けれど、彼の“想い”に反応したコメントが、確かにそこにあった。


 その日、和樹は帰り際に、幻のホームをもう一度振り返った。

 誰もいないはずなのに、どこか“見送られている”ような感覚があった。


 カメラを止め、静かに帽子のつばを下ろす。


「……また来ます」


 その呟きは、誰にも聞こえなかった。

 けれどホームの天井に残された小さなサビが、静かに共鳴するようにきらめいた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?