午後五時。きしめん屋での“第零層攻略”を終えた和樹は、ついに名駅ダンジョンの構内に足を踏み入れた。
電灯は暗く、どこか現実と非現実の境目を曖昧にするような空気が漂っている。人工的なはずの構造物が、どこか神殿にも似た神秘を帯びているのは――ダンジョン化の影響だろうか。
和樹は、スマホのカメラをオンにしながら、いつものように語り出した。
「さて、次に向かうのは“あの柱”です。知ってる人、いますか?」
「柱……?」
「あ、まさかあれ?」
「名駅の柱って、普通のじゃね?」
「ふふ、浅い。あれは、ただの柱じゃないんですよ。化石が埋まってる柱なんです」
「え?」
「また始まったwww」
「スキルなしのくせに浪漫ある」
和樹は歩を進める。エスカレーターの残骸を超え、古びた看板をかき分け、地下へ。
「これ、ホンモノなんです。みなさんご存知、アンモナイト。石灰岩が、柱の表面にそのまま使われてる。気づいた人だけが、時間を感じることができるんです」
「化石って、ガチだったのか」
「誰がそんなこと気にして歩くんだよw」
「おまえくらいだよ……でも好き」
そこには、確かに存在していた。グレーの太い柱の中に、ぐるりと丸まった模様――それが、化石の跡だった。
「これ、わかります? この“ぐるん”ってなってるやつ。生きてたんですよ、何億年も前に」
「ぐるんってwww」
「いや、わかるのすごいな」
「マジでガイドブックより詳しい」
和樹は、配信画面にスマホを近づける。そのとき――
カチッ。足元の床タイルが一枚、わずかに沈んだ。
「……あっ」
「ん?」
「おい」
「今の音」
――ガガガガ……!
床の一部が沈みこみ、周囲の壁がずるりと動いた。まるで、“記憶に触れた者だけが通れる扉”が開いたかのように。
「……見てください、みなさん。これが“名駅の真の姿”ですよ」
「え、ガチでダンジョン展開来た」
「うそでしょ、きしめん→化石でイベント発生?」
「スキル持ち全員スルーしてたってことかよw」
和樹は笑った。
「スキルがなくても、歴史を知る者は、次の扉を開けられる――ってことですね」
開いた空間の奥には、錆びたエレベーターの扉。そして、かすかに光る“次の階層”のランプ。
「それでは、次は地下一階へ。名駅地下街、“かつて存在した幻の路線”をご案内します」
「マジで冒険感出てきたw」
「名駅の浪漫ダンジョン説」
「応援してます」
「てか普通におもろいんだけどw」
その日、視聴者数は十二人に増えていた。
静かながらも、確かに和樹の旅は始まっていた――名駅という迷宮の、誰も知らない扉を、ひとつずつ開いて。