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名駅きしめん屋にて

 午後四時。名駅ダンジョンの東口。構外にぽつんと佇む立ち食いきしめん屋――。


 その前に立つ男がいた。黒縁メガネにカーキのシャツ、そして胸元には“配信中”バッジ。背中のリュックはヨレているが、その目だけは不思議と輝いていた。


「……よし、配信スタート。えーと、こんにちは。和樹と申します。スキルは、ありません」


 コメント欄にすぐ反応が出る。


「スキルなしw」

「何しに来たんだこいつ」

「迷駅ナメすぎ案件」


「はい、ナメてません。むしろガチです。まずは、名駅を語るためにここから始めます」


 そう言って、彼は暖簾をくぐった。店内は湯気に包まれ、立ち食いカウンターからは出汁の香りが漂っている。


「……ここが、名駅のきしめん屋。僕が初めて名駅に来たとき、最初に感動したのがここでした」


「いきなり飯?」

「探索は?」

「まあ腹ごしらえは大事か」


「腹ごしらえもありますけど、違うんです。ここは、名駅の“記憶”なんです」


 和樹は、「かきあげきしめん」を注文し、スマホを持ちながら語り始めた。


「麺は柔らかくて、出汁は関西風。だけど、完全な関西とも違う。この絶妙な中間性こそが、名駅の立ち位置そのものなんです。東と西の境目。名古屋の中心。ここは、文化の交差点なんですよ」


「うんちく始まった」

「きしめん評論家www」

「でも聞いちゃう不思議」


「昔ね、中央コンコースのところにも店があったんです。あっちは、朝六時からスーツの人で行列だった。皆さん、五分で食べて、サッと改札に消えてく。その光景が、僕にとっては名駅でした」


「ガチ勢か」

「その記憶、重い」

「タイムスリップしてぇ……」


「それが……ダンジョン化で全部なくなった。だから、僕はここから始めたいんです。スキルがなくても、記憶は武器になる。宝がどこかにあるなら、それは“名駅の記憶”の中にある」


 和樹は、きしめんをすすった。


 ずずっ。静かな、でも情熱のこもった一音だった。


「……うん、変わってない。たぶん。でも、ちゃんと“名駅の味”がする」


「この人……本気やな」

「飯で泣きそうな配信者初めて見た」

「ファンになってもいい?」

「おれも食ってくる」


 和樹は、箸を置いて、画面をまっすぐに見つめる。


「ということで――ダンジョン迷駅、きしめん攻略完了。次は地下構内。化石柱、いきます」


「そこ行くんかいwww」

「一番意味わかんない柱w」

「やばい、楽しみになってきた」

「スキルないのに一番魅せてくるやつ」


 同時接続、六人。名駅という巨大迷宮の片隅で、静かな灯がともった。


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