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第8話

「九条さんには幸せになってほしいから」


「こんなの……幸せでもなんでもない」


 私はその場に座り込んだ。


 立ち上がる気力さえない。逃げたいのに指一本、力が入らない。


 漣さんに拾われて、救いの手を差し伸べられたとき、本当に奇跡だって思った。


 そのうえ、こんなに優しい彼が私の番なんて、どれだけ恵まれてるんだろうって。


 この先、不幸とは無縁で生きていくんだ。私は、やっと本当の幸せを手に入れられるって、そう思っていたのに……。


「ねぇ、どの口がそんなこと言ってるの? 幸せの意味、貴方は本当にわかってる?」


「わかってますよ。九条さんこそ、今更どこに逃げるつもりですか」


「逃げないわ。友人にも、死んだ両親にも迷惑がかかるから」


「だったら、ずっと一緒ですね。嬉しいです、九条さん」


「……」


 優しく抱きしめられた。でも、今の漣さんが優しいとは思わない。


 昨日までの優しかった漣さんはどこに行ってしまったの? 


 そもそも、優しい漣さんは最初から存在しなかった……?


「俺、貴女に初めて出会った時からこうしようって決めていたんです。今の世界こそが、俺たちが出会う本当の世界だったんですよ」


 本当の世界? 漣さんが世界を変えておいて、よくもそんな言葉が出てくるわね。


「初めて会った日? 私はあの日、死ぬつもりだったのに」


「やっぱり……なにも覚えてないんですね。でも、今はどうだっていいんです。俺の嘘はすべてバレてしまったけど、九条さんがいるなら何も問題はない」


 私は世界が変わる以前に漣さんと接触していた? 


 いつ? どこで? 

 なにも思い出せない。


「ねぇ、最後に聞かせて」


「なんですか?」


「どうしてカウンセラーの先生なんかやってるってウソをついたの? 子供たちの話をしている貴方はとても演技してるようには見えなかった」


「……あれは俺のもう一つの夢だったから。でも、オメガの俺はそんな仕事をさせてもらえない」


「オメガはアルファよりも上になったのに?」


「世界が変わったとはいっても、劇的に変化するわけじゃない。……九条さんは一部のオメガを知らないから。逆転した世界だって、その人自身が変わらなければ、何の意味もないんですよ。人は失敗を恐れず、行動してこそ一人前ですから」


「でも、アルファ研究所でアルファを奴隷にしてこき使ってるんでしょ」


 失敗を恐れず行動する。それはとても良いことのように聞こえるけど、漣さんの行動の仕方は間違ってる。私のためにどれだけの人が犠牲になったか。


「アルファが最底辺だということを世界に広めるには仕方のないこと。そうしなければ貴方にはこうして出会えていない。けれど、世界が変わっても俺の夢は叶えられなかった」


「どうして?」


「それは貴方の友人が結末にたどり着いてるはずですよ。俺はアルファ研究所を乗っ取ったって。ネットで名前を検察すれば出てくるはずです。……大罪人だって。でも人は殺していないし、色々と上手く隠れていたから、まだ捕まっていないんですよ」


「っ……」


 だから、未来はここから逃げてって言ったんだ。


 さっきから漣さんから逃げようと試みてるけど、漣さんは一切隙がない。


 こうして、話してる間にも、私が家から出ないように出口側に立っている。


 もう、最終手段は死ぬしかない。自ら命を絶つしか、ここを脱出する方法はないから。


 私は近くにあったハサミに手をかけ、首を掻っ切ろうとした。が、しかし。


「俺が気付かないと思ったか?」


「……!?」


 ハサミを無理やり取り上げられて、私はその場に押し倒された。


 ハサミは先端のほうが漣さん側に向いていたのに、躊躇することなく、漣さんはハサミを持った。


 血がポタポタと地面に落ちた。

 痛くないのだろうか。


 ……漣さんは本気なんだ。私をここから逃がさないようにするためなら、どんなことだってする。


「死なせるわけないだろ? 最後に聞かせてなんていうから、可愛いオネダリかと思ったら俺を油断させるための作戦だったとはな。そんなので俺が油断すると思うとかバカな奴」


「馬鹿じゃ、ない。私は貴方から逃げるためなら自らの命だって捨てる覚悟よ!」


 私の知ってる漣さんはもういない……。


 嫌われたって怖くない。でも、外に出て一人でなにができる? 世界が変わってしまったのに。


 私だけじゃ生きていけない。だからこそ、漣さんは世界を変えたんだ。こうすれば、出会うだけじゃなく、私の逃げ場がなくなるから。


 未来には迷惑をかけられない。大事な親友が漣さんに傷つけられるなんて、そんなの死んでも嫌。


「カウンセラーにはなれなかったけどさぁ~」


「……?」


「闇医者ならいくらでも知り合いがいるんだよね。アルファ研究所のボスはそういうの人と仲良くなれるんだよ」


「っ……!?」


 私は注射を打たれた。即効性の毒かもしれないという不安はなかった。

 私を殺せるチャンスはいくらでもあったはずだから。


 漣さんは私を手元に置いておきたいんだ。抵抗されずに生かしておくには、麻痺の類の注射?


「九条さんは俺とずっと一緒にいてくれるんだよね? それなら大人しくしておいたほうが身のためだよ。好きな人に暴力を振ったりはしないけど、次に抵抗したら俺、なにをするかわからないよ」


「漣、さ……」


 意識が途切れていく。なにも考えられなくなっていく。


「ずっと一緒にいようね、美怜」


 唇に漣さんのが触れた。前までは嬉しかっただろうな。好きな人にキスされたって。


 でも、今は違う。とても怖くて恐ろしい。心からそう思う。

 おかしいよね? 漣さんは番なのに……。

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