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ソロキャン ③

 ――水明荘の午後。


 縁側には春風が吹き込み、障子の影がゆらりと揺れる。庭の池には小さな鯉が泳ぎ、鹿威しの「カコーン」という音が、時折その静けさを破っていた。


「ただいまー、氷と炭酸とポテチ、買ってきましたよー!」


 その静寂をぶち壊すように、駿が玄関の戸を開ける。両手に買い物袋。炭酸のボトルがジャラジャラ鳴った。


「おかえりー」


 台所から麻衣の声。味噌汁の匂いが、鼻をくすぐる。


「寿司もとったんですね」

「そうよ。今日は、特別な日、だからあぁ」

「入寮見学会でしったけ? てかもうできあがってんのかよ。仕事しろ仕事しろ」

「ありのままぁを見せるのが水明荘のルールよ」


 陽気な声が響き、いつの間にか寮母の早苗も現れていた。38歳にして妖艶さを湛え、ゆるやかに揺れる黒髪と柔らかな笑顔で場を包み込む。


「あ***ピー

「歌うな! やめろ! 怒られるから!」


 ほんとやめて。近所迷惑だから。著作権とかも絡んでくるから!


「はいはい。余計なこと考えてないで、ほら駿君もここ座って。はい、お箸」

「あ、あざまっす」


 出された茶碗と箸に手を伸ばす――


「ん?」


 箸に、何か書いてある。よく見ると、マジックで「2」と数字が。


「……は?」


 その瞬間、奥の和室から歓声があがった。


『王様ゲェェェェェム!』


「じゃん、王様は……あたし!」


 カードを掲げて笑ったのは、黙っていればクール系美人、風間麻衣。だが今の顔は、悪戯をたくらむ猫そのもの。


「命令。『2番は、王様の愛読書を読みなさい』。ふふ、さあ誰かしら?」


「……うわ……」


 俺――駿は、天を仰いだ。

このパターンは。


「いやです」

「少子化ポリスウーマンの羞恥心を読みなさい」


 何読ませる気だよ。


「大きな声で音読、しなさい」

「命令に命令を重ねるのは反則だろ!」

「うるさいよー駿兄しゅんにい。国語だと思って」


 おい、思春期の中学生。これが国語なら世も末だぞ。

お前はこれが、官能ものだと知らんのか?


「早くしてよ。王様ゲームはテンポが命なんだよ」

「なんでお前が王様ゲームのノウハウ知ってんだよ」


 どこからその知識習得したの? ネット小説?


 視線を落とし、手の中の紙片を見つめた。

そこに書かれた文字を読み上げるべきなのだろうか。それとも、ただ黙っているべきなのか。迷う心と冷たい指先が、ささやかな震えを伝えてくる。


微かな空気の流れが頬を撫で、寮のざわめきが遠のいたように感じられる。


――そして、俺は口を開いた。



「はい、それじゃ、彼の性癖が晒されたところで次いこっかー」


 冤罪である。


「はいはーい、引くよ~」


 そう言って箸を引いたのは、俺の従妹である小林友里。ちゃらけた笑顔の中に、企みの光がある。


「じゃあ命令! 『1番は、4番の膝枕で5秒間目を閉じる!』」


 その瞬間、全員の目がテーブルの番号に注がれた。


「……1番、オレ……」

「4番、私」


 重たい沈黙を破ったのは、毛布に包まれた社会不適合者、二ノ宮かおり。地味なカーディガンの下には驚くほど整ったラインが覗き、控えめでいながら、どこか視線を引く存在感があるがくるまってしまう。


「……やるの? 本当に? 他人の顔って描くのは得意だけど、間近で見るのは苦手……」


 かおりさんは、頬をほんのり赤らめながらも、無言でぽん、と太ももを叩いた。


「し、失礼します……」


 俺が膝に頭を乗せた、そのとき。


「待って!!」


 突然、風間先輩が叫んだ。


「それは神の領域!! 神さまのひ、ひざ……はぁはぁ……くっ、ダメよ駿くん、そんな無防備に……!!!」


 その目は異様に光っている。というか、鼻息が荒い。


「風間先輩、鼻血出てます……」


 カオスな膝枕劇の余韻が部屋を包む中、武藤猛はひとり、そっと立ち上がって窓際へと移動した。


「明日、〆切……しめ。きり。」


 二ノ宮さんは、もう虚ろな目だ。

すると、毛布の中から、一枚、また一枚と原稿用紙が飛び出した。それは無造作に散らばり、床に舞い落ちる。


「ひっ!」と驚いて駿が一歩後ずさると、二ノ宮かおりが慌てて毛布を引き寄せた。悶絶する風間先輩。


「……見ないで。締め切り前なんだから……!」


 彼女の顔には恥ずかしさと焦りが入り混じり、そばかすがほんのり赤みを帯びている。

床に散らばった原稿には、細かいペン線で描かれた華麗な人物が目に入り、瞬間、部屋の全員が息を呑むほどの迫力を放っていた。


「ふっ……青春って、眩しいな……」


 ぽつりと、詩人めいた言葉が吐き出される。

それを聞きつけた早苗が首をかしげながら声をかけた。


「むっくん、何してるの?」

「……ただ、眺めてただけです。青春ってやつを」


 どこか遠くを見るような眼差しで、武藤猛は床にゴロリと横たわる。その手には、開封済みのスナック菓子が握られていた。カサカサと袋が鳴る。


「……いいんだ。俺には床がお似合いなんで」


 言いながら、スナックをひとつ口に放り込む。


「王様ゲームに浮かれる若者たちの、その影で静かに眠る。

そういう“床担当”って役回りも必要だと思うんですよ。

人生ってのは、選ばれる側と、見守る側でできてる」


「大学生のセリフじゃねぇ」


 唐突に始まった武藤の人生論。彼は耳を貸さず、天井を見上げたまま、静かに続ける。


「……今日、フラれました」


 部屋が一瞬、静かになった。

友里が声をひそめるようにして訊いた。


「えっ……彼女、いたの……?」


 マジ顔である。失礼だぞ(笑)


「ああ、いたよ。ちゃんと写真も交換したし、週末には会って。あっちから連絡くれることも……。趣味も合ったし、笑い方が可愛かったな……」


 どこか懐かしそうに語るその姿に、一同、意外な表情を浮かべる。


「俺のことタイプだって言ってたのに……」


 哀愁ただよう空気に、麻衣はつい言葉をこぼす。


「それって……マッチングアプリでしょ?」


 言葉が心に突き刺さる音が、誰の耳にも聞こえた気がした。

武藤はほんの少しだけ口角を上げた。


「マジだったの!?」と麻衣が半笑いで叫ぶ。


 彼はもう笑っていなかった。ただ、淡々と続けた。


「彼女に言われたよ。重いって。情が湧いてきてめんどくさいからって、アプリごとブロックされました」


 握りつぶされるスナック。


「通報もされ、垢バン。監視社会は厳しいな」


 頬から零れる雫。


「雨か……」


 誰も何も言えなかった。


「人生って、王様ゲームに似てるよな……。

命令される側と、されない側。

それから、最初から指さえ向けられない、圏外の人間。

……俺はたぶん、三番目だったんだろうな」


 ぽそりとつぶやき、再び床に寝返りを打つ武藤。

その背中はどこか、哀愁と自己完結した孤独で満ちていた。


「……床だけは、裏切らねぇな……」


 静かに、スナック菓子をひとつまみ、ポリッと噛み砕いた。

うん。しばらくそっとしておこうか。


 軽く息をついたその直後、和やかな空気を壊さないように、早苗さんがふわりと場に入ってきた。


「王様はぁわたし……じゃあ命令は」


 一同がごくりと唾を飲む。


「全員、声をそろえて言ってくださいね。『王様の命令は~?』」


「ぜったぁぁい!!」


 友里と麻衣はウェイウェイ。俺はそんな彼女らを俯瞰し、二ノ宮さんと一緒に虚ろな目をしていた。


「はーい、よくできましたっ♪」


 にこにこと満足そうな早苗さん。ノリノリだぁ。

もうひとつ命令を追加する。


「もう一つ命令です~。もうすぐ入寮する子くるから、とびきりの『ドッキリ』でお出迎えしてくださ~い。駿くん、よろしくぅ?」


(数字はどうした? 指名かよ)


「私の命令が聞けないの?」


 視界に入る、ほてった顔。そうか、これが、傾国の美女。

思わずハッとする俺。いや、待てよ。時の皇帝も惑わされたわけだし、俺だって仕方ないじゃないか。

こんなさ。誘ってますやん。もうしょうがないじゃん。

目の前の「絶対君主」に、いっそひざまずこうかと考えた。だが次の瞬間、その君主が「あれ、服にポテチの欠片ついてる……」とつぶやき、そのまま渡してくる。


「色つけたよ?」

「やります!」


 即返事。元気になってしまった。どこかなんて聞かないでくれ。


 数分後――水明荘の玄関にて

 チャイムが鳴る。


「きたっ!」


 俺は派手な羽織にサングラス、そして口にはパーティーホイッスルをくわえ、気合い満々で玄関の戸を開け放った。


「ようこそぉぉぉぉ!!  驚きの館・水明荘へぇぇぇぇッ!!」


 ドン引きしたのは、制服姿の女の子だった。肩までの黒髪がふわりと揺れる。手にはキャリーケース。


「えっ……?」


 驚きのあまり一歩引いたその拍子に、キャリーケースのキャスターが玄関の段差に引っかかった。


「わっ……!」


 次の瞬間――スローモーションのように彼女が宙に浮き、キャリーケースが凶器と化して迫ってきた。


 ああああああああああ――ッ!


 見事に急所にクリーンヒット。俺はその場に崩れ落ちた。

足をがくがくさせながら、顔を上げる。


 そこにいたのは、真っ白なブラウスに青いリボン、そして紺色のスカート。あどけない姿が、ふわりと目に飛び込む。

涙を浮かべた瞳は、どこか儚げで、純粋そのもの。まるで天使のような無垢さが、静かな空気に溶け込んでいた。


「だ……誰?」

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