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第2話 今後のことを考えると頭が痛くなるよ

 次の日、僕は宿題を忘れていった。僕は放課後居残り勉強させられた後、今日も勝君に見つからないようにわざと遠回りして家に帰る。僕は身長ではクラスで後ろから二番目であるが、彼はその僕の後ろにいつも並ぶ。僕はモヤシとかでくとか呼ばれて皆に馬鹿にされているが、彼・鬼塚勝君はオーガと呼ばれ恐れられるほど乱暴な悪党だ。彼は僕を見つけると必ずからんでくるので僕は大嫌いだった。本当は地理上学校と僕の家を線で結ぶと公園を横断する事になるのだが、晴れの日は帰りが遅くなるとオーガの出没地帯になるので危ないのだ。ちくしょう、毎日雨が降れば居残りさせられても安全に早く帰れるのに。  

 無事に家にたどり着くといつもの通り鍵がかかっていたが、中にはやっぱり魔女がいた。ダイニングで椅子に座って菓子パンをパクついている。誰か帰ってきたら「おかえり」くらい言えよ。何様だよ。まあおそらく父さんや母さんには媚びるんだろうが。僕が「ただいま」と語りかけると彼女は目に見えて急いで口を動かし始めた。なんで急ぎだしたのだろう。僕はおやつを探して気がついた。菓子パンの袋が二つある事に。

「あーっ。僕の分も食べたな!」

 空腹も手伝って僕の頭は容易に沸点に達した。僕の怒りの声に彼女はぴくっと一瞬縮こまるとまるでお魚くわえたドラ猫が人に見つかったような表情になる。菓子パンはくわえたままだ。菓子パンはまだ半分くらい残っている。半分でもいいから食べたい。僕は腹が減っていた。このままでは夕飯まで持ちそうもない。僕はドラ猫に逃げられないように玄関側の扉の方に背を向ける形でじりじりと彼女を追い詰める。彼女はリスのようにちまちまと口を動かしながら後退する。大口で食べたら突っ込んでくると本能的に察知したのだろう。しかし後ずさるその先はダイニングの隅。逃がすものか。右か? 左か? 張り詰めた空気がダイニングを支配する。

 ダダッ 右か! 僕は手を伸ばして魔女の腹部を捕まえる。魔女は「きゅう」ともらした後に菓子パンに大口でかぶりつきながら完食を目指す。僕は嫌がる彼女の手から菓子パンをちぎり取ると彼女から遠ざける。僕の口に指を引っ掛けて食べさせまいとする魔女。なんて食い意地の張った奴なんだ。

「あー、間接キッス。不潔よっ」

「口のついたところは残すからいいもん」

 すると彼女はウーっとのどを鳴らすと僕の右手の菓子パンに向かってツバを吐き始めた。

「ぐあっ、ちょっ、きたねー。なんてがめついんだ」

 ププイはへへーん。食べれるものなら食べて見なさい。みたいな顔で僕の顔を覗きこんでくる。ちくしょう。僕は悔し紛れに菓子パンを彼女に投げつける。しかし「ナイスピッチ」と言われ上手に受け取られてしまった。

「母さんに言いつけてやる」

 我ながら子供っぽいがこれしか思いつかなかった。毎日おやつを横取りされたんじゃ精神衛生上よくない。

「言えばいいじゃない。アンタの帰りが遅いのが悪いのよ。なんで今日はこんなに遅いのよ。もう五時よ?」

「それは今日宿題を忘れて行って居残りさせられたからで……」

 そこまで聞くと彼女はニヤリといやらしく微笑んで僕のさっきの言葉を返してきた。

「ママに言いつけてやるぅ」

 待って、それだけは許して。こんなこと母さんにバレたら一ヶ月レベルでおやつヌキになってしまう。結果、僕はこのムカツク妹に頭を下げるハメに陥った。やれ目が怒ってるだの誠意が足りないだの腹立たしい事この上なかったが、「遅くなったらおやつはないと思いなさい」と最後に言いつつ、ナイショを約束してくれた。これを機に、僕はもう二度と宿題を忘れて遅れるような事はすまいと固く心に誓ったのだった。





















 いままで降らなかった分がフィーバーしたかのごとく大雨が降った日曜日。

「退屈ね」

 魔女に退屈と言われると普通の人間の僕はもっと退屈だ。なんか楽しい魔法はないの、と聞いたら「魔法に頼んな」などとつまらない事を言いやがるし。電話したところゲーム友達の友喜は今日風邪で寝込んでいるそうで遊びにも行けない。今までなら自室でゲームに浸るのだが、なにぶんこの部屋はププイの物になってしまった。それにしても先日のあの荷物の山の大半がぬいぐるみだとは思わなかった。椅子の上にはウサギのぬいぐるみがちょこんと座っていて、ベッドの上にはクマとかイヌとかネコとかウシとかコロコロしている。絨毯の上もアヒルだとかカルガモだとかいっぱいいて、こいつらが全部本物だったらさながら動物園だ。居間では父さんと母さんがくつろいでいる。その二箇所しかテレビがない。そこでためしにププイにテレビゲームを教えてみたのだが

「かぁーこの、ムカツクわねこのゲームっ」

 教えなきゃよかった。やれ教え方がマズイだの、機械の方がどうかしてるだの一向に『自分がヘタ』だという事実を認めたがらない。まあ対戦ゲームで僕が日頃の恨みとばかりに手加減なしで相手していたのもよくないが。  

どんどん不愉快になっていく魔女。あーあーあーあー。終いにはテレビに向かってコントローラーを叩きつけだした。このアマ、僕が命と同じくらい大切にしているゲーム機を。

「物に当たるんじゃねーよ。お前が下手くそなだけじゃねーかっ」

「アンタはこんなので勝って嬉しいの? このカス!」

「そういうお前はこんなので負けて悔しいんだろ。負けて悔しがる奴ほど勝つと喜ぶものだぜ」

 僕は嫌味を言ってやった。ばっと間合いを開く彼女の右手に例のごとくキラキラを伴ったスプーンが現れる。僕はかねてから考えていた『呪文』を口にする。

「また魔法かよ。お前は魔法なしじゃ僕に勝てないんだな。この卑怯者!」

 この言葉に魔女はスプーンを握り締めた手をブルブルと振るわせる。『なんとでもおっしゃい』という性格だったらこの後魔法が飛んでくるだろう。そうおもって僕も身構える。 

彼女はぎっと睨んでいた目に殺気をみなぎらせる。まずいっ、そう思ったときにはもう遅かった。あっという間の出来事だった。部屋の隅辺りから助走してきたと思ったら僕の胸にドロップキックが炸裂した。やたらに痛い。この前の魔法より痛いかも知れない。僕は背中から壁に激突して崩れ落ちた。

「アタシのロケットキックの味はどうよ」

まさか魔女からドロップキックを喰らうとは思わなかった。

 ドシン、バタンという騒音を聞きつけて父さんや母さんが部屋に駆けつけたが、結局ププイが「お兄ちゃんが……お兄ちゃんが……」と舌ったらずな声で泣きつき僕が叱られるハメに陥った。いじめられているのは僕のほうだ!


 ぎゃー、寝坊した。遅刻だよ。ぐしょぬれの傘をたたみ朝八時半の本鈴を聞きながら教室に向かってすでに乱雑にぬれ光った廊下を走る。途中二回ほどぶっころびながら教室にたどり着く。上に五年一組と書かれた看板のある前の扉ではなく、教室の後ろの方から四つん這いでゆっくり入る。クラスの後ろの席の奴らはニタニタしながら『見つかんなよ』と目でささやかに声援を送っている。僕は入ってすぐ音も立てずにランドセルを置くと一度扉を閉めて、『今までトイレにいました』という口実を持って扉を開けた。しかし開けたとたんに目の前に先生が立っていてキュッと僕の耳を捕まえた。

 いててててて

「遅刻はこれで何回連続かしら?」

「……四回連続です」

 これで何回連続よって言われるより自分の口から懺悔するほうが辛いし恥ずかしい。

「本来ならば今から一時間目終了までずっと立たせておきたいところだけど、今日は特別許してあげるわ。きっと明日から遅刻がなくなると思うから」

 先生は意味深な言葉を残して僕を着席させる。そしてちょっと待っててね、と言い残して教室からいなくなる。

 程なくして帰ってきた先生はこう言った。

「今日はみんなに転校生を紹介します」

 いつも笑顔の千賀政子先生は、今日は引きつった笑顔だった。なにか嫌な事でもあったのかな。

「さあ、入ってらっしゃい」

「やっとかよ。待ちわびたぜ」

 この声は……

 ヤンキー口調の女の子の声がする。上り坂と下り坂は見れば心積もりもできるが、『まさか』だけは人間誰しも起こって欲しくないのが心情だ。

 転校生が教室に入ってきた。ウチの学校は私服登校が認められているが、それにしても目に余るものがあった。ばりばり校則違反だろう頭の巨大黒リボン。チェーンがチャラチャラ音を立てている特Lサイズの黒革ジャケット。白いペンキで骸骨を書きなぐった黒地のロゴT。赤地に緑のタータンチェックスカートはくるぶしが見えないほどに長い。ここだけ校則を守っているのか白い上履きを履いて登場した人物の髪の色は皆の目を引く白。白と黒のコントラストがやたらにカッコイイ。悪の魅力すら感じさせる。彼女は青い瞳で教室を見渡す。先生が都合悪そうに

「今日は彼女この格好で来てしまったから仕方ないけど、本来はこんな派手な格好で登校してはいけませんよ」

 とみんなに言った。そして転校生に自己紹介をしなさいと促した。そして彼女の第一声が教室に響き渡る。

「いいか黒毛ザルども。耳の穴かっぽじってようく聞きやがれ。アタシゃあ今日からこのクラスをシメることになったププイ様だ。グダグタ文句ぬかす奴はその場で沈めるからそこんとこ夜露死苦」

 黒毛ザルこと僕らはみなぽかんと転校生を見つめているしか出来なかった。しかし先生は違った。

「もうちょっと優しい言葉で何か言えなかったかなー。もう一回やり直し」

「今のでいいっだろ。いっちいっちうっせぇんだよ先公」

 ププイはけっ、とばかりにそっぽを向く。

 先生のこめかみの辺りが痙攣しているのが真ん中あたりの僕の席からでも視認できた。

「こーゆー悪い子はお仕置きね」

 そう言うと先生は彼女の肩を捕まえる。そして、

ぐわしっ、こちょこちょこちょ

「なっばっやめっ、きゃーきゃははははダメダメダメェ、ナハハハハ、ギブ、ギブギブギブッ」

 教卓の後ろで行われた儀式は残念ながら見えなかったが、とりあえず先生の勝ちのようだ。ちょっと髪の毛を乱したまま転校生はコホンと咳払いして笑顔をつくる。

「皆さーん、アタシをキレさせたら地獄行きよぉ。よろしくねっ。てへっ」

 つかつかつか。無言で彼女に歩み寄る先生。

「ちょっ今言われたとおりカワイク、きゃっ」

 第二ラウンド開始。みんながクスクスと笑い始める。先生、ちょっぴり楽しそう。

「ぜぇぜぇぜぇ」

 かなり髪の毛が乱れてリボンもずれて服もかなり着くずれした感じの転校生は二度目のやり直しを命じられた。彼女は心底嫌そうに

「ププイ・ドロシー・ブライトです。みなさん、どうぞよろしくお願いします」

 と至極当たり前の事を言い、やっと先生からオッケーがでた。それにしてもアイツは何のために学校があると思っているんだ。学校ってのはお前の部下を育成する場所じゃねーんだぞ。

「みんなよくあんなレズでサドでセクハラな年増変態女教師の下で勉強できるな」

 ププイは自分の肩をキュッと抱きしめながら皆に問う。その言葉に一部の生徒がククッと笑う。

「第三ラウンドいっとく?」

 楽しそうにププイを見つめる先生に彼女は「結構です」と憔悴しきった顔で言った。

 そして先生は、彼女がアメリカ出身である事と、迷惑な事にププイが僕の親戚で一つ屋根の下で一緒に暮らしていることをみんなの前で言ってしまった。みんなの注目が僕に集まる。

 しょっぱなからかなり問題児だったがそんなものでは終わらなかった。足を掛けてきた男の子をハイキックで沈めるわ、席は勝手に後ろの奴と取り替えるわ、授業中に爆睡するわ、人の給食はひったくるわ、これでガムでも噛んでいたら不良百点満点だ。何のために来てるんだよ。嫌がらせかっ。僕は声を大にして言いたかった。

 そして僕も甚大なる被害を被った。

 事の発端は昼休み。我らがアイドルにしてマイ・エンジェルのラブリーボイスから始まった。

「ねえ、ププイちゃん。あっちでみんなとおしゃべりしない?」

 その涼やかでさながら可憐なベルのような声の主は三笠 朝美ちゃんだ。軽く外巻きになった栗色の髪はさらさらでいつも何か花のいい匂いがする。秋田美人も真っ青の美白肌で、その透き通った瞳に見つめられると僕なんかは頭の中が真っ白になる。そして奥ゆかしいほど小さなお口は思わずハンバーガーをナイフとフォークで切り分けて分解して献上したくなるほどだ。今日の白いワンピース同様彼女の性格はズバリ純白! もし彼女が黒い下着を愛着しているようならば僕は「裏切り者―!」と叫んで校舎の屋上から飛び降り自殺するだろう。つまり、非の打ち所のない天使のような女の子なのだ。それなのにウチの魔女ときたらちょこっと朝美ちゃんを見ただけでツイッと視線をはずして

「あ? 別にいい」

 カッチーン。おいテメェそんな言い方ねーだろ。何様気取ってやがんだよ。てめえは言うならば商品にならないこげパンだ。いーや出荷前に見つかった腐ったみかんだ。転入早々問題起こして孤立してるお前に救いの手を差し伸べてくださってる聖母様に対して失礼だろ。ああっ許してください聖母朝美様。ウチの魔女は性格が歪みきっているのでございます。僕が目を閉じて手を組み懺悔していると魔女の言動はエスカレートしていった。

「ただそばにいてみんなのおしゃべりを聞いてるだけでもお友達になれるかも知れないでしょ、ね?」

 そっけなくされてもちっともめげない朝美ちゃんはそっと狂犬の手を取る。

「はっ、ダチなんてのはなぁ。結局弱ぇ奴がつるむための口実なんだよ。アタシにゃあ必要ないね」

 いって結びかけた手を振りほどく。「もうやめなよ」と女友達が止めるのも聞かずそれでも朝美ちゃんは諦めずに優しく語り掛ける。

「可愛そう。いままでよっぽどひどい目に遭ってきたのね……。」

 彼女ならどんな動物に噛みつかれても「可愛そう」といって頭をなでるだろう。

「よっけーなお世話だっつーの。アンタみたいな苦しみのくの字も知らないメスガキに説教たれられる筋合いなんざねーよっ」

 いってププイは立ち上がる。立ったまま見つめあう二人。身長的にほぼ同じでも色が全く違った。着ている物からして白と黒。朝美ちゃんが教会に置いてある霊験あらたかな聖水だとしたらププイは悪天候時の山の濁流だ。なおも離れようとしない朝美ちゃんに今度はププイが因縁をふっかける。

「偽善者と話してると虫唾が走ってくるのよねーアタシ」

 そういうとププイは自分の机を不機嫌に蹴飛ばし、朝美ちゃんの胸倉をつかむ。もう見ていられない。僕は他の誰よりも先に二人の間に割って入った。

「いい加減にしろよお前っ。せっかく優しくしてもらってるのにその態度は何なんだ!」

 僕の言葉に当事者よりもむしろ周りが驚いていた。当然か、いつも存在感のないモヤシがいきなり怒り出したんだからな。でもそんなのに構ってられるか。僕はププイの手首をつかんでちょっと力を込める。彼女は「いたっ」とつかんでいたものを離す。すると彼女はいやらしい目で僕を見てとんでもない方向に話を持って行く。

「そっかー。タカキはぁこの子が好きなんだー。ふーん。それで慌てて駆けつけたのね。カッコイイ。プププッ」

 図星なんだけど、こんなにたくさんの聴衆がいる中でそれを認めるのは恥ずかしすぎる。昼休みがやたらに長い。おーいもう授業始まっていいぞ。外は雨が降ってはいないが相当ご機嫌斜めの雨雲が上空を覆っていた。この教室の空気も似たようなものだった。校庭が雨でぐしゃぐしゃなために、いや転校生に興味があるからか、教室内は聴衆が多かった。みんなが僕に注目している。僕が肯定も否定もせずに黙っていると

「それとも逆でぇ、この子の事キライで親戚のアタシをお節介から守るつもりだったの? どっちでもなかったらここに来ないわよね?」

 最悪だ。なんだその選択肢は。『好き』を認めてみんなに冷やかされるか、『キライ』といって朝美ちゃんと遠ざかるのか。僕は朝美ちゃんが好きだ。毎日彼女を見るために学校に来ているようなものだ。でも僕なんかに『好き』と言われても迷惑なんじゃないだろうか。僕は自分に何の自信もなかった。だから

「……キ……ライ……だよ」

 結局、僕は朝美ちゃんにひどい事を言ってしまった。朝美ちゃんは口をへの字にして僕を上目遣いに見ると肩をおとしてため息をついていた。ゴメン。朝美ちゃん。でも分かって、こんなの真意じゃない。ププイの張り巡らせた誘導尋問だ。僕なんかこんな人がいっぱいいるところで片思いの君に『好きだ』なんて言えないよ。

「ねぇ聞いた? キライだってアンタの事。プププッ。アタシより先にクラスメートに好かれること考えたら?」

 魔女のひどい言い草にとうとう朝美ちゃんはうなだれて自分の席に戻っていった。ププイも最低だが僕はもっと最低だ。結局朝美ちゃんを傷つけることにしかならなかった。

 午後の授業は内容がさっぱり頭に入ってこなかった。宿題の範囲だけかろうじて頭に入れるのみだった。下校時ププイが僕の後をついて来たが、僕は一言も口を聞いてやらなかった。雨が、僕の心の中まで降っていたから。


僕ら二人はダイニングでもくもくとおやつのジャンボシュークリームを食べていた。

「なあププイ」

 僕は彼女がなぜ学校に来たのか疑問だったので声を掛ける。彼女はシュークリームに噛り付いたまま「んー?」と首を曲げて僕を見る。

「なんで僕の学校に来たんだよ」

「そりゃあアンタ、警護のためでしょ」

 マグカップにパックのコーヒー牛乳を注ぎながら彼女は答える。

「僕の周りに未来ダメ人間育成なんたらとかいう奴がやっぱりいるのか?」

「いなきゃ苦労しないわよ」

 ゴッゴッゴとブラウンの飲み物を飲み干すと疲れたように言う。

「あと、学校の事なんだけど、前の学校でもあんな感じだったのか?」

 この問いには彼女とたんに気をよくして

「あんなもんじゃなかったわよ。アタシが登校すればみんな足を止めて『チィッス』って挨拶が飛ぶくらいシメてたわよ」

 つまりヤンキーでスケ番だったようだ。あの言葉使いとファッションセンスから薄々気づいてはいたけれども、そんな問題児が僕を立派にすることなど出来るのだろうか。

「でも今日はちょっと暴れすぎじゃない?」

「最初はあのくらい飛ばして行かないとしょっぱなでナメられたらアウトだからね」

 彼女は不良っぽくカカカッと笑う。だが、最低限反省させるべき事がある。

「まあ、他の事はともかく朝美ちゃんの件はひどすぎるぞお前」

 僕は激情に駆られないように今日の反省項目を述べる。

「あー、やっぱそれ言う? 実はアタシもあれだけはちょっと後悔してるんだ」

 おやつを食べ終えた彼女はお皿とマグカップを流し台で洗い始める。僕が急いでシュークリームを食べ終わってコーヒー牛乳も飲み終わると、彼女も急いで洗い終わる。

「自分の食器は自分で洗いな」

 ちっ、ケチ。

 ププイは手のしずくをピッピッと払うとタオルで手を拭きながら言う。

「アタシあんなふうに優しく声を掛けられたの初めてだったからびっくりしてさあ。嬉しくてドキドキして……でもウソじゃないかって疑ってひねくれちゃたの」

「あんな優しい子を疑うなよ」

 すると彼女、何かを思い出すような表情で言う。

「あの優しさが怖かったの。今までの自分が全部否定されちゃいそうで」

「そりゃまたどういうことだよ」

 彼女は椅子に乗って戸棚の一番上の引き戸を開けてクッキーの缶を出す。

「食べる?」

「ああ」

 三時のおやつは延長された。

 クッキーを食べながら彼女の語った学校生活はとても可愛そうなものだった。いじめられっ子だった彼女はあるとき戦争で父と母を目の前で失った。残忍な戦闘員が押し入ったのだ。両親も自分も神官術士だったので戦闘の術を持っていなかった。このとき彼女は初めて自分の弱さを呪ったという。最愛の父と母が冷たくなっていく中、自分を助けてくれたのが孤児院の魔術師だったらしい。彼女はこのときから復讐のため涙を捨て、力こそ正義と自分に言い聞かせて力を求めて修行に明け暮れたそうだ。

 日々の修行により彼女は学校でも変わった。いじめられる側からいじめる側へとなったのだ。ただどちらにしても友達は出来なかったそうだ。いじめられてたときは周りに優しい子がいなくて、いじめっ子の時は裏切りばかりが気になった、と。

 自分も友達が少ないが、ゼロではない。コイツも友達が出来れば世界が変わって見えるだろう。

「とりあえず手紙で朝美ちゃんに謝ったら?」

「うん。アタシもそうしようと思ってたとこ」

 へそ曲がりで口も悪いが根はイイ奴なんだよなコイツ。ちょっとブルーになってるププイの横顔をみて僕は思う。

「ププイ、お前テレビのドラマとか見たらどうだ?」

「テレビってあの黒い四角いの?」

 ああ、テレビから説明しなきゃいけないのね。電源からチャンネルまで。僕は一通り彼女にテレビの扱い方を教えると今度は新聞の番組欄の見方まで教えた。ある意味学校の勉強の三千倍くらい大切なことだ。

「いろいろなドラマやアニメを見てみんなの話題に入っていける準備をしておくんだよ」

 僕は彼女に今日の夕刊を手渡す。ププイはそれを持って自室へ向かった。頑張れよ。

 結果ププイがバリバリのテレビっ子になって毎朝ぎりぎりまで寝てる寝坊助になるとはこの頃夢にも思ってなかったが。

 あと前言撤回! 母さんが帰ってきて叱られた。来客用のクッキーを食べちゃったからだ。何が「お兄ちゃんが食べようぜって言ったから食べたのぉ。ごめんなさい知らなかったのぉ」だ。お前が食いたかったんだろうが。僕は知らなかったんだぞ。ちくしよう、性悪魔女め。もう絶対だまされないぞ。


「お兄ちゃん。朝だよぉ」

 掛け布団の外で甘いかわいらしい女の子の声が聞こえる。朝だということは分かっているのだが出来ればもう五分くらい布団にくるまっていたいんだ。

「もう、お寝坊さんなんだからぁ。そんなんじゃせっかくの目玉焼きがさめちゃうぞぅ」

 僕は食べ物なんかではつられないぞぅ。あと少しだけまどろんでいたいんだ。許してくれ。

「もうっ、あんまり困らせないでよぉ。起きてぇ、ねぇ、起きてってばぁ」

 そういう風にやさしくねだられるとかえってイジワルしたくなる。時間指定なしで「もうちょっと」とだけくり返す。

「そんなんじゃ遅刻しちゃうんだからぁ。もう、お兄ちゃんなんか知らない」

 ジリリリリリン

「あっ電話だ」

 ぱたぱたぱた

 ジリリリリリン 

 あまり朝っぱらから聞きたくない音だ。ウチも早くプッシュ式の電話機に変えて欲しい。

 ジリリリリリン

 うるせーな。早く受話器を取ってくれ。

 ジリリリリリリリリリリリ

 はっ、これは目覚ましの音だ。僕は布団を跳ね飛ばして時計を見る。八時十分! アイヤー、最悪だ。八時半まで学校につかないと遅刻だというのに。相当長い間目覚ましのベルを無視してないとこんな時間にはならない。あの夢がいけないんだ。優しい妹がお兄ちゃんを起こしに来るシチュエーションなんて反則だ。男なら誰しも一度は夢見る光景ではないか。不可能と分かっている人間は特に。

 僕の両親は共稼ぎで朝早くから働いているため、朝目が覚めると畳み張りの居間には僕しかいないのである。今は家の中に僕だけではないのだが。

「ププイっ。やべぇ八時十分だっ。起きろっ」

僕はそう叫びながらパジャマのままで階段を駆け上る。

「ププイっ、入るぞっ」

 ノックするや否やそう言って僕はふすまを開ける。どうせ反応がない時点で奴は布団の中だ。たまには月並みなラブコメのようにふすまを開けたら着替え中で「きゃー」とか言ってみやがれってんだちきしょーめ。僕が部屋を見渡すとはたして彼女はベッドの上で頭まで隠して布団を膨らませていた。コイツが眠い理由は知っている。夜中までテレビを見ているからだ。朝美ちゃんに『ゴメンね』の手紙を出してからすっかりクラスの女子と仲よくなってバリバリのテレビっ子になったコイツは、深夜の大人番組までこっそり見ているのだ。僕は知っている。

「おいププイ、ヤベェって。もう十一分だぞ」

「んー」

 少しだけ反応があったが、とても起きそうにない。仕方ない、僕は彼女を布団の上からゆすり始める。『エッチ』とか言われると困るので肩の辺りをゆする。

「おまえ、僕と違って髪とか時間かかるだろーがっ。いいかげんに起きろよっ」

「んーんっ」

 そもそもなんで毎朝兄が妹を起こしに来なきゃならないんだ。逆だろ普通。でえい、いいかげんに起きろ。僕は布団に手を掛ける。

「いーじゃん、遅れたってぇ。なんなら休んじゃおうよぉ」

 彼女は布団をはがされまいとしっかり布団を握り締め、だるそうな声を返してくる。オイお前、僕を立派な人間にするために来たんじゃないのか? 僕を堕落の道に引きずり込んでどうする。もういい、布団はがしたるっ。 

 んぎぎぎぎぎっ

 どうやって引っ張ってもはがれない。ちくしょう。どうあっても布団にへばりついているつもりか。なら奥の手だ。僕は布団からいったん手を離し布団の足元の先をつかむ。そして「どりゃあ」の掛け声とともに布団をへっぺがして彼女の頭のあたりに布団を丸める。

「きゃっ、んんんー」

 やっと布団をはがすことに成功した。彼女はよほど眠りへの執着が強いのか、ばたばたと布団を探してもがいている。白地にカラフルなキャンディーがまばらにプリントされたパジャマを半ばはだけて寝ていたらしい。内側に着ていたTシャツもずり上がっておへそ丸見えだ。ズボンもちょっとずり下がっていて、水色のパンツがのぞいている。小学五年生の男の子にはちょっと目の毒な光景だった。無意識に時を忘れて目の保養に勤しんでいると

 バフッ

 顔面に掛け布団が飛んできた。次いで強力な衝撃が僕の頭部を襲う。なんかこう斜め上から蹴られたような感覚……。僕はそのまま後ろに倒れた。

「起こし方が乱暴よっ。今日の所は布団の上からの三角飛びで許したげるけどっ」

 三角飛びって、空手で壁なんかを足場に二回飛んで飛び蹴り当てるアレですか。朝っぱらから大ダメージを喰らいながらも、僕は布団をはね退ける。わあ、鼻血全開だぁ。

「アタシは低血圧で朝弱いんだからもっと早くから起こしてよねっ」

 腰に手を当てて怒鳴るププイ。うそこけ。低血圧の人間が朝一発目から三角飛びなんてかませるかボケッ。

「起こしたらさっさと出るっ。しっしっ」

 ああっもう、コイツ起こすのもうヤダ。僕はもう知らんとばかりにふすまを閉めると鼻を押さえて上を向きながら居間へ着替えに戻った。途中階段を踏み外して転げ落ち、辺りに血が飛び散る。くそっ、こんな時間のない時に……。ああガッデム。

 僕は鼻にティッシュを詰めると三十秒フラットで着替え終わりダイニングであらかじめ母さんの用意してくれたサンドイッチをかじる。そんなとき、

「便座はさげてっていつも言ってるでしょっ」

 白い格子模様の黒系ワンピースに黒いカーディガンを羽織って現れた彼女はダイニングに入るなりそう言った。 

「お前なあっ、人がメシ食ってるときにふる話題かよそれっ」

 僕は、そのままどすどすと洗面所に向かうププイに怒鳴る。血圧が上がっているのせいなのか鼻血が止まりそうにない。鼻に詰めたティッシュが先端まで真っ赤になって口元のサンドイッチにしずくが落ちる。

「アンタが入った後っていつもそう。アタシ毎朝便器に落ちそうになってドキッとするんだから」

 寝ぐせ直しミストのしゅっしゅっという音についでドライヤーが唸る。僕今ピーナッツバターのサンドを食べてるんだから頼むからそっち系の話はやめてくれ。色的に連想してしまう。

「男があげてんだから女がさげればいいだろうが。そもそも寝ぼけてるお前が悪い」

「開けたら閉めるってのが常識でしょうが。だったらあげたらさげなさいよっ」

 ブローする音に混じって反論が聞こえる。

僕は茶色クリームサンドを食べ続ける事を断念し、ハムチーズサンドに手を伸ばす。

「だったらさげたらあげるで女が実行しろよ」

「それじゃあ閉めたら開けるになっちゃうでしょうが。全く、ああ言えばこう言う。いいかげん自分の非を認めなよ。ガキじゃあるまいし」

 うるせぇよ。僕の食物摂取に著しく障害を与えておいて何を言っとるか、バカタリが。 

 鼻血が止まって僕が朝食を切り上げると、ププイは歯磨きを終えた後でちょうど入れ違いになる。

「タカキっもう二十二分なんだから急いで」

 お前が言うなっ。

 僕が適当に歯磨きして玄関に向かう頃にはサンドをくわえたププイが靴を履いていた。

「また走りながら食うのかよ。行儀悪いな」

「生活も臨機応変にこなさなきゃやってけないわよん」

 毎朝歯を磨いた後に走りながらメシ食って学校でモンダミンというのもスタイリッシュじゃないし、そもそも余計に金がかかると思うがな。僕らは玄関に鍵を掛けると学校に向かって走り始めた。八時二十九分。教室の手前の水のみ場で

「もう食べらんない。パス」

 と食べかけのサンドを手渡された。学校に食べ物を持って来ているのがばれるのが怖かった僕は自分の胃袋で処分することにした。

その頃ププイはモンダミンで口内洗浄を終了し教室に滑り込んでいた。さすがに口を動かしながら教室には入れないのでむぐむぐと頑張っていると

「鷹貴君! また遅刻なのっ」

 背後から千賀先生の声がした。時計の長針はまっすぐ6を指していた

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