目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

一章 新生児

02 幸せな誕生

 ◇◇◇◇

 ルイサが暗くて狭い場所を抜けると、世界が明るくなった。

 だが、ぼんやりとして、よく見えない。


 ルイサは混乱した。自分は死んだはずだ。


 なぜ生きているのだろう? そして、なぜ動けないのだろう?


 声を出そうとしたら、

「ふんぎゃあああああ」

 と、赤子のような声が出た。


 自分が赤子に? つまり転生なのかも?


 伝説、伝承、昔話。そして神代の魔導師の記録。

 そんなものに記されているだけの転生という現象が自分の身に起きた理由は何だろう?


 状況を把握するために、ルイサは「んぎゃんぎゃ」と泣きながら周囲を観察した。

 相変わらずぼんやりしてよく見えないが、周囲にはぽわぽわした玉が浮かんでいる。


 お腹からどこかに繋がる何かが切れた気がしたすぐ後に、温かい何かに抱きしめられた。


「私のかわいい赤ちゃん」

「んぎゃああ(だれ? はは?)」


 どうやらこの人が母らしい。

 顔はよく見えない。だが、前世の五歳までルイサを慈しんでくれた母に雰囲気が似ていた。

 抱きしめられると温かくて、いい匂いがする。声が優しそうで心地良い。


 ルイサはたちまち母のことが好きになった。


「ぬぁぁぁ」


 どうしても、どうしても、母の顔が見たかったルイサは、視力強化の魔法を無意識に使った。

 途端に視界がはっきりする。


 はっきりみえた母は、琥珀のように綺麗な茶色い髪と目の色をしていた。

 そして、母は苦しそうだった。


「は、はぁ、はぁ……うっ」


 息が荒いし、なにより、嫌な気配のする黒い靄のようなものに覆われている。


「いいこね」

 母は辛そうなのに、優しい声を出してくれる。


「ふぎゃあ」

「ごめんなさいね。あなたが大人になる姿を見届けたかったのだけど……」


 折角会えた母は、まるで今から死にそうな口ぶりだ。

 ルイサは母に何かを伝えようとしたが言葉にならない。


「アマーリア……」


 綺麗な銀髪と碧の目。

 母とルイサのすぐ側に、前世の王族の特徴を備えた綺麗な顔の三十前後に見える男がいた。


「ふぎゃ! (くんな!)」


 王族にいじめられすぎたルイサは威嚇するが、男は気にせず、母の頬に優しく触れる。


「あなた見てあげて。私たちのかわいい赤ちゃんよ」

「……可愛いな。だが……君が……」

「……危険性については、何度も話し合ったでしょう?」

「だが……」

「私が死んだ後、この子にはあなたしか頼れる人がいないのよ?」

「ふぎゃ? (はは、しんじゃうの?)」


 やはり、母は死を覚悟しているらしい。それほど不味い状態なのだろうか。

 赤ちゃんなのでよくわからない。


 ルイサは、なんとかできないか、「ふんぎゃあ」と泣きながら考えた。

 黒い靄が一体何か、それすらわからない。


「そんな悲しいことを言わないでおくれ……」

「しっかりして。あなたは父親なのだから」


 どうやら王族の特徴を備えた男は父で、その父は泣いているらしかった。

 そんな父に、母は父としての自覚を持つよう何度も何度も繰り返す。


 そして、母は乳房を出した。


 ルイサは知らなかったが、この国では生まれてすぐ母乳を飲ませると言う習慣がある。

 それは、母の持つ精霊の加護を子供に与えるという意味を持つ儀式でもあった。


 実際には精霊の加護を与える効果など無い。

 もっといえば、精霊は赤子が好きなので、放っておいてもよってくるのだ。


「ふんぎゃああ」

 実際ルイサの目の前にはふわふわ浮かぶ精霊がたくさん見えている。


 だが、少なくとも母は精霊の加護は母乳で与えられると信じていた。

 だから、死ぬ前に、母は命を懸けてでも、ルイサに母乳を与えようとしたのだ。


「……はぁ……はぁ……赤ちゃんは飲んでくれるかしら」

「無理しなくても」

「いいえ、これが私の赤ちゃんに、……私が最後にしてあげられることなの」


 母は、悲壮な表情を浮かべてそう言った。


「むぎゅ」


 一方、ルイサは、本能的に美味しそうな気配を感じ乳房に吸い付いた。

 気付いていなかったが、お腹が空いていたらしい。

 前世では三日に一度しかご飯を食べられなかったから、常に飢えていたのだ。


 だから、ルイサはごくごく飲んだ。


「むぎゅむぎゅ……むゅ?」


 母を覆う黒い靄が母乳に混ざり、ルイサの中に入ってこようとしていることに気が付いた。

 せっかくの美味しい母乳を汚された思いになる。

 不快に感じる。赤子のルイサは怒った。


「ふぎゃ!(きえろ!)」


 ルイサがそう念じた。

 念じてどうなるものでもないと頭ではわかっているが、なんとなくそうすればいいという気になったのだ。

 それは本能的な判断だったのかもしれない。


 ルイサが念じた後、あっというまに黒い靄は消える。


 黒い靄が消えたことで母乳の味が更に良くなった。抱かれ心地も良くなった。

 母の呼吸も楽になっている。だが、まだ万全ではない。


 治癒魔法を使えたらいいのだけど、赤子なので難しい。


「むぎゅ、むぎゅ、むぎゅ(はは、げんきになってね)」


 そう念じながら、うとうとしつつ、母乳を飲んだ。


 母の体が、まるで治癒魔法を受けたときのように光ったことに、ルイサは気づかなかった。

 ただ、凄く疲れた気がした。


「むぎゅむぎゅむぎゅ……」


 眠い。だが食い意地が張っているルイサはがんばって母乳を飲んだのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?