◇◇◇◇
ルリアが眠りに落ちた後、クロはロアのことを撫でる。
『よくぞ、おかえりになられました』
精霊は死んでも、魂ごと滅せられないかぎり転生する。
今回、ロアは肉の体を持った精霊、つまり守護獣として転生を果たしたようだ。
きっとルリアの前世、ルイサを温めてあげられなかったことが強い後悔として残ったのだろう。
だから、肉の体を持つ守護獣に転生したのだ。
『なにも心配することは無いのだ。ルリア様は幸せに健やかに過しておられるのだ』
「ゅぅ……」
ロアは静かに眠っている。
肉の体を持たない精霊から、肉の体を持つ精霊に転生したせいか、記憶は無いようだ。
ルイサからルリアへは、人の体から人の体への転生なので記憶は残った。
ルリアは守護獣っぽい存在で、精霊王のような存在でもあるが、あくまでも体の基礎は人族だ。
変わったのは主に魔術回路なので、記憶が残ったのであろう。
ロアに前世の記憶は無くとも、魂に刻まれた思いは残る。
だから、ロアはルリアのそばに現われたのだ。
クロは悩みながら、別邸の外に出て、フクロウたちとヤギたちのもとに向かう。
別邸から少し離れた森の中。ヤギたちは木陰で雨にうたれていた。
『さむくないのだ?』
「めえ」
ヤギは余裕だという。守護獣たちの毛は水をはじくのだそうだ。
真冬の雨や雪ならばともかく、春の雨程度なんてことはない。
『寒くないならばいいのだが……そなたたち。本当に助かったのだ』
「めめええ(当然のことを下まで)」「ほっほう(礼には及ばぬ)」
『そなたたちがいなければ、ロア様の呪者化はもっと進んでしまったに違いないのだ』
どこかで生まれたロアは、悪い呪術師に捕まり、呪いをかけられたのだろう。
『精霊と守護獣を近づけない結界……』
ルリアが破壊した巨石に仕込まれていた呪術回路。
それによる結界で、あの辺りには精霊が少なくなっていた。
精霊も守護獣たちも、無意識にあの辺りに近づかなくなる効果があった。
あれは、きっと邪魔されずにロアの呪者化をすすめるための仕込みだ。
実際、ルリアが結界を破壊するまで、フクロウたちもヤギたちもロアの存在に気付かなかった。
『守護獣を呪者化するのはとても難しいし時間がかかるのだ』
ロアは赤子とはいえ守護獣。そう簡単に守護獣を呪者化などできるわけがない。
「……めえ(……だが、本当に守護獣を呪者にするなど可能なのだろうか?)」
「ぶぼぼ(実際に呪者になりかけていたのだ。可能なのだろう)」
「ほぅ(だが、尋常ではない方法を用いたのは間違いない)」
「もお?(クロ様は何か思い当たらないだろうか)」
『そうはいっても〜』
クロは真面目に考えた。守護獣たちのいうとおりだ。
守護獣は呪者の天敵。守護獣は呪いに対する耐性が非常に高い。
人に呪いをかけたり、人を呪者にするのと訳が違う。
『ううむ……呪いをめちゃくちゃ強める方法……この地の力をつかったとか?』
「ぴゅ〜い(クロさまはそのための呪術回路だと思われるのか?)」
『わかんないのだ』
「めえ〜(そもそも、この地の力とはなんだろうか……)」
『それも、わかんないのだ』
土地の力で呪いを強める方法として一番最初に思いつくのは、沢山の血が流れることだ。
何度も何度も戦場になった土地などは、呪いの力を持ちやすい。
土地にまつわる歴史、伝承、その他いろいろ。
それらによって精霊力も、呪いも、強化されることはある。
『だけど……この辺りが戦場になったって聞いたことも無いのだし……』
むしろ精霊の雨の伝承がある以上、強くなるなら精霊力の方だ。
『わからないのだ!』
クロが考えても、結論は出なかった。
『今わかるのは、どちらにしろロア様を呪者とするために呪術回路が用意されていたとすると』
「めえぇ?(計画的なものだと、クロ様は考えるのだな?)」
どうかんがえても、昨日今日始まった計画ではない。
『ルリア様の湖畔の別邸行きは突然決まったのだから、敵にとっても想定外なはず……』
「もぉぉぉ(ロア様が呪者となるなど、考えたくもない。恐ろしいことだ)」
「ぶぼぼ(不幸中の幸いといえるだろうな)」
ルリアがいなければ、そしてヤギたちが来なければ。
そして、領民が大公が来たと勘違いして直訴に来なければ。
精霊も守護獣も、ロアが完全に呪者と化すまで気付けなかっただろう。
「めええ〜(敵にとって最も想定外だったのは、ルリア様とその力であろう)」
一流の魔導師でも、あの呪術回路を壊すのは難しい。
一流の治癒術師でも、ロアを解呪することはできないだろう。
ロアのいた領域に入り込めば、守護獣であっても大量の呪者に殺されておしまいだ。
そのぐらい危険な場所だった。
『あそこまで強力な呪者が集まっているのは、クロにとっても想定外だったのだ』
「ほっほぅ(肝が冷えた。ルリア様を危険にさらしてしまった)」
『ロア様の危機だったし、きっとクロでもルリア様に助けを求めてしまったと思うのだ』
クロは、判断ミスを悔いるフクロウを慰める。
たしかに、ルリアが想定以上の力を発揮しなければ、全滅していたかもしれない。
敵は万が一守護獣にロアが見つかっても、返り討ちにする予定だったに違いない。
そして、殺した守護獣を、呪者にするつもりだったのだろう。
『……ルリア様は強いのだ。途中までどうやって逃がそうかと考えていたのだけど』
ルリアはその力で一掃した。一瞬だった、
あそこまで強いとは、クロも守護獣たちも思っていなかった。
「ぴゅい(あの癒しの風は尋常ではなかった)」
『鷹のいうとおりなのだ。あの風は皆を癒すだけでなく、呪者を消滅させたのだ』
ルリアが呪者を滅ぼすために放った癒やしの風。
呪者は浄化されて消滅し、守護獣の傷は癒えた。
それはアンデッドに治癒魔法をかけるとダメージが入るのと似ていた。
『みなに言っておかねばならぬことがあるのだ。…………ルリア様は強いのだ』
「…………」
守護獣たちは「何を今更」という目で、クロを見る。
『そなたたちの中には、守る必要などないと思うものもおるやもしれぬのだ』
「めええ」「もぉ」「ぶぼぼ」「ほっほう!」「ぴぃ」
守護獣たちは「どれほど強かろうと、ルリア様を守るのが我らの誇り!」と言っている。
『ありがとう』
礼を言った後、クロは守護獣たちに言う。
『ルリア様の力は強力なのだ。いや、強力すぎるのだ。……その小さな体に見合わぬほどに』
「めえ?」「ほう?」
『強すぎる力を使いすぎては、小さな体が持たぬかもしれぬのだ』
「めめえ?」「ほぅ!?」
クロは内心「ひょっとしたら持つのでは?」とも思った。
それほど、強力な魔法を使ったルリアには余裕があった。
歴史上、数多いた神童や聖女ならば、倒れて死にかねない量の魔力を使っている。
だが、ルリアは異常だ。並みの聖女とは違う。
とはいえ、実験して本当に大丈夫か試すことは出来ない。
実験した結果、体に悪かったという結論がでたら取り返しがつかないのだから。
『ルリア様には極力魔法を使わせてはならぬのだ。二十、いやせめて十八歳ぐらいまでは』
クロの言葉を守護獣たちは真剣な表情で聞いていた。
『皆のもの。ルリア様をたのむのだ』
「ほっう!」「きゅ」「ぴい」
守護獣たちは「任せろ!」と力強く言った。
『ありがとう。心強いのだ』
お礼をいうクロにヤギが言う。
「……めえ〜(クロ様。ルリア様に身を守る術を教えるべきでは?)」
『身を守る術? いやいや、魔法など使ったらルリア様の成長に良くないのだ!』
「もおぅ!(残念ながら、常に我らが守れるとは限らぬ)」
実際、乳飲み子のルリアが襲われたとき、弱い赤子のダーウしか近くにいなかった。
『た、確かにそうなのだけど……使い方を知ったら使いたくなるのだ』
「ぶぼぼぼ(たとえ、そうなったとして、ルリア様が身を守れず命を落とすよりはいい)」
「ほっほう(それに、ルリア様は賢いゆえ、教えてもみだりには使わぬ)」
『だ、だが練習するにも魔力をつかうのだ』
魔法を練習するためには実際魔法を放つ必要がある。
「ぴゅ〜い(想像させて練習させるしかありますまい。剣術と同じように)」
『想像? はっ』
クロはルリアの剣術訓練を思い出した。
ルリアは敵を想像し剣を振るい、それを見た剣術教師も凄く褒めていた。
『あれか、あれを魔法でもできれば……』
魔力を使わず、成長を阻害せずに練習ができるかもしれない。
『だけど、何を教えるのだ? ルリア様は歴戦の魔導師なのだぞ』
ルリアは五歳児だが、ルイサは高頻度で強敵と戦い続けていたのだ。
世界を探しても、ルリアほど戦闘経験が豊富な魔導師はいないだろう。
「めえ〜(ルリアさまは精霊力に慣れておられぬ)」
『精霊力……』
魔導師は精霊力を魔力に変換し発動する。それはルイサも同じだった。
だが、ルリアは精霊力を変換する必要がない。
その結果が、あの絶大なる威力の「癒しの風」だ。
『少し……実験をしてみるのだ。守護獣であるそなたたちに協力してもらうのだ』
守護獣もルリアと同じく半分精霊。肉の身体を持つ精霊のようなものだ。
つまり、精霊力自体は精霊に比べて少ないものの精霊力をそのまま魔法として発動できる。
『ルリア様に精霊力について教えて……使い方を練習してもらうのだ』
「めえ(それを発動させず、想像の中でやらねばならぬ)」
「もおお(難しいが、やらねばなるまい)」
クロと守護獣たちは、実験しながら教え方を考えた。
先日、アマ—リアはルリアを外に出すことで常識を教えようと考えた。
そして今日、クロと守護獣達はルリアに戦う術を教えようと考えた。
どちらも、ルリアに戦う術を教え、危険から守ろうと考えているのは同じだった。
クロがルリアの部屋に戻ったのは明け方のことだった。
既に起きていたキャロとコルコに精霊王守護獣会議の結果を伝える。
キャロとコルコは真剣な様子で聞いていた。
その間、ダーウはルリアの横で、仰向けになり、気持ちよさそうに眠っていた。
『ダーウは……まあいいのだ』
ダーウは強いが、まだ子供。
どちらかというと、ルリアと同じく守られるべき存在でもある。
最後にクロは、ルリアの顔の横で眠っているロアを撫でる。
『ロアさま。おかえりなさいませ。今世こそお幸せになられませ』
クロはロアの額にキスをした。
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