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第4話「撤退か進軍か、コメント投票」

 第二層〈残響回廊〉を突破した一行は、通路の突き当たりに現れた広場に足を踏み入れた。

 その場所には空がなかった。壁も天井も、すべてが鏡でできているように見えた。だが、鏡に映るのは自分たちの姿ではなく――“視聴者が見ている画面”だった。

「……こいつ、どういう仕組み?」

 颯がカメラを向けながら呟く。

 咲紀がすぐに答える。

「鏡じゃない。これは“ビューワーパネル”。配信をミラーリングしてる。つまり……この空間全体が、視聴者の視界」

 視聴者数は現在8万5千。コメントは1秒に200件近い速度で流れている。

 そんな中、異変が起きた。

 飛翔の足取りが明らかに重くなっていた。

「おい、大丈夫か?」

 翔馬が問いかけると、飛翔は額を拭いながら笑って見せた。

「ちょっと熱っぽいだけ。……音の部屋で叫びすぎたな、多分」

「軽く見んな。念のため、一回休もう。体調崩しても誰も得しねぇ」

 だが、翔馬の提案にすぐ異を唱えたのは美波だった。

「ダンジョンは“視聴者の熱量”で難易度が変わる。ここで休めば、今の“盛り上がり”が冷めてしまう。……それは全体にとって損失よ」

「はあ? 何だよ、その言い方」

「私は“全員が進むための最適解”を言ってるだけ。情に流されて判断を鈍らせるのは、間違い」

 翔馬が一瞬だけ言い返しかけたが、咲紀が口を挟む。

「今なら、決を取れる。――コメント投票を使って、判断する。進軍か撤退か、どちらが“正義”かを」

 翔馬と美波が視線を交差させる。

「それで、納得するか?」

「……視聴者が選ぶなら」

 翔馬は端末を取り出し、画面にアンケートを表示する。


【現在の選択】

▶進軍(このまま最奥ボスに挑む)

▶撤退(体勢を立て直して再挑戦)

※投票は3分間。コメント欄に①or②で入力!


 瞬く間にコメントが流れる。

《①だろ!》《②!無理すんな》《熱が下がる前にGO》《ここで止めたら空気冷めるって》《健康第一》《でも盛り上がってるぞ》《悩む……》

 翔馬はスマホを握りながら、天井の“鏡”を見上げた。

 そこに映る自分は、誰よりも――“判断を委ねようとしている”。

 3分後。投票が終了し、結果が表示された。


【結果】

▶進軍:51%

▶撤退:49%


 僅差。ほんの数票の違い。

 翔馬は息を呑み、そして、静かに口を開いた。

「進むぞ。……選ばれたのは、それだからな」

 だがその声は、決して他人任せではなかった。

 「この選択を引き受ける」。その覚悟が、声のトーンに滲んでいた。




 静寂が広がった。

 投票が終わり、進軍が決定したその瞬間から、誰も言葉を発しなかった。

 美波は少しだけ口元を引き締め、そして小さくうなずいた。翔馬はそれに目をやると、改めて全員を見回す。

「進む。でも、これは“俺の命令”じゃない。……お前ら一人ひとりが、納得してくれたなら、着いてきてくれ」

 その声は、ダンジョンに反響して、小さくこだました。

 飛翔が無理に笑って手を挙げる。

「賛成一票。ついでに肩貸してくれ」

「了解」

 翔馬が軽く手を伸ばし、飛翔の腕を支える。

 颯はすでにスケッチブックを片手に準備を整え、咲紀はレンズ強化後のカメラセッティングを完了させていた。

「映像ブレなし、音声最適化完了。視聴者との同調率が高くなるけど……やるなら今しかない」

「高くなるってどういう意味だよ?」

「“熱狂”の影響力が、より強くなる。敵が視聴者の“期待”に応えようとして、より“強く”、“象徴的に”進化する」

「つまり……」

「うん、“ボスは煽られて強くなる”ってこと」

 咲紀の淡々とした言葉に、一同がどよめく。

 それでも、翔馬の足は止まらない。

 最奥の扉は、黒い大理石のような光沢を帯びており、中央には“歪んだ円形”の紋章が刻まれていた。その紋章が、翔馬の手にあるレンズに反応し、ほんのりと赤く脈動を始める。

「翔馬……行くなら、戦うなら、定義して」

 美波が静かに言う。

「何を?」

「“勝利”を。……私たちが求めるものを、はっきりさせて」

 その問いかけに、翔馬は少しだけ間を置いてから、カメラに向かって言った。

「俺にとっての“勝利”は、俺たち全員が、このダンジョンから生きて帰ることだ。……派手な演出も、敵撃破も、レアアイテムも、それを邪魔するなら、全部捨てていい」

 コメントが爆発的に流れる。

《うおお》《今の録画した》《リーダーの顔してる》《正解出たな》《翔馬△》《これが主人公》《それでこそ“選んだ人”》

「じゃあ、行こうぜ」

 そして扉が――音もなく開いた。

 中に広がっていたのは、どこまでも続く“鏡の間”。

 無数の姿が、彼ら自身の形で反射し、そしてその中に――明らかに異質な“もうひとりの美波”が、玉座に腰掛けていた。

「あなたたちの“選択”……受け取ったわ。今度は、こちらからの問いかけよ」

 その声は、現実の美波の声色と酷似していた。

 ダンジョンは視聴者の欲望を反映し、ついに“正しさの擬態”を生み出した。

 次なる戦いは――“言葉”によって決する。

(続く→第5話「美波の“正しさ”は誰のもの?」へ)

※第4話 完。


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