帰宅してから、色々と考えた。
例えば麗奈さんは彼氏がいる。彼女の隣に誰が立っていても……別に何も思わない。けれども雛乃ちゃんの隣は……彼女の隣だけは、だめなのだ。
何度考えても、雛乃ちゃんの隣に私以外の誰かが並んで立っている……その光景を思い出すと胸が締め付けられる。
それが『嫌だ』という気持ちなのだろう。
……でも、認めてしまったら。
私は、私でなくなってしまいそうで――怖いのだ。
その考えがまとまる事はなく……頭の中がぐちゃぐちゃのまま、学校へと向かう。
教室の扉を開けると、既に雛乃ちゃんが来ていた。
彼女は私に気がつくと、「おはよう……光くん」と挨拶してくれる。
「あ、ああ……おはよう」
裏返りそうになる声。バクバクと響く心臓の音。
普段のように「おはよう」と返せば良いはずなのに……なんでもない言葉すら、自然に返せなくなっていた。
取り繕うので精一杯……こんな事は初めてだった。
雛乃ちゃんの前で、しどろもどろになる自分に嫌気がさす。
彼女の笑顔を真正面から見ることのできなかった私は、昼休みになると席から逃げるように弁当を持って外へ出た。
人気のない裏庭。
ここは私が悩んだ時に訪れる場所。木々が生い茂っており、校舎からの視線も遮ってくれる。考え事をするのに、最適だ。
私はぼーっとしながら雛乃ちゃんの事を考える。
食べ物に口を付けようとしたその時、足音が耳に入ってきた。
「光くん。弁当の中身、全然食べてないね、珍しい」
「渚くん……」
自分のいつも通りの声に、少しだけ肩の力が抜ける。渚くんは私の声を聞くと、にっこりと笑った。
「光くん、今日体調悪かった? いつもと雰囲気が違うような気がして」
渚くんの言葉に私はしどろもどろになる。他人の感情に敏感な渚くんの事だ。私が何かに悩んでいるという事は筒抜けだろう。
……少しだけ、話してみるのも良いかもしれない。人に話すと自分の気持ちが整理できる、とも言うし。
渚くんだったら、きっと話を聞いてくれるだろうから。
「少し、悩んでいる事があってね……」
「何で悩んでるの?」
「雛乃さんの事について」
そう告げると、渚くんは一瞬目を見開く。そして小声で「ああ……」と呟いた。
「昨日雛乃さんと、何かあったのかい?」
「……いや。そうじゃない。今日発表されたミス・ミスターコンの話を知っているか?」
「ああ、今回のミス、ミスター一位の人たちは、ドレスとタキシードを着せるって話の事?」
渚くんも校内掲示板を見て、知っていたらしい。
「その話を聞いて、真くんが『雛乃ちゃんの隣に自分がいたら格好いいだろうな』と言っていたんだ」
一息ついて、顔を上げると渚くんの眉間に思い切り皺が寄っていた。私が見ていることに気がついた渚くんは、「あ、ごめん。気にしないで」と表情を緩めた。
「……その時に思ったんだ。『雛乃ちゃんの隣は私がいい』と……」
自分の言葉に胸が締め付けられた。そして、渚くんの次の言葉で私は今の気持ちを理解した。
「そっか、光くんは嫉妬してるんだ?」
「嫉妬……?」
私は目を丸くする。
「そうだよ。好きな子の隣に自分以外の人が立っているのを見るのが、嫌なんだよね? その感情を“嫉妬 ”と僕は呼んでいるよ」
「嫉妬……」
胸の中にストン、と落ちてきたような気がした。そうか、私は嫉妬していたのか。納得した表情をする私を見て、渚くんは何かを呟く。
「うん……荒治療だけど、黒の王子も良い仕事したのかな……?」
小声で呟いた彼の言葉が右から左に抜けていく。それほど衝撃的だったのだ。
「それで、光くんはどうしたいな、って思ったの?」
「どうしたいか……」
渚くんの言葉に私は首を傾げた。
「そうだよ。光くんは今、“嫉妬 ”という感情を理解した。じゃあ、光くん。何で嫉妬って感情が出てくるんだろうね? 友達と何が違うのかな?」
「……!」
ああ、そうか。これが独占欲……そして恋心……。私は雛乃ちゃんに恋をしていたのか。
私が彼女だけをちゃん付けにしていた理由も、彼女をよく目で追っていた理由も全て――。
深い霧に包まれていた目の前が、ぱぁっと晴れていったような思いだ。それは、ようやく“自分の気持ち”という名前を得た感情だった。
「光くん、雛乃さんの隣に立ちたいと思っているんでしょ?」
私は頷く。
「なら、この後どうするかだよ? まずはミスターコン頑張るんだろうけど……それだけじゃなくて雛乃さんに、光くんの気持ちを告げるかどうか、とかね」
全てを自覚した今、もう一度頭の整理をしてもいいのかもしれない。
やはり渚くんに相談して良かったと思う。感謝の気持ちを込めて、今の想いを伝えることにした。
「……自分でも、まだどうしたいのかはっきりしてない。まずはミスターコンでは雛乃さんの隣に立てるよう、一位を目指そうと思う!」
「いいと思うよ! クラス全員で応援するからね!」
渚くんの応援に力が入る。
毎年、「面倒だな」と思っていた私だったが……今回だけは絶対に一位を取らなくてはならない!
「雛乃さんは私の事が正直苦手なのだろうと思うけれど……雛乃さんに、『あなたが隣で良かった』って思ってもらえるような人になりたいんだ。話を聞いてくれてありがとう、渚くん」
胸のモヤが取れた。
そして体も軽い。
私は全く手をつけていなかった食事を食べ始める。渚くんは「良かったよ」と言って立ち上がった。
「僕たちも応援しているよ、白の王子様」
「ああ、頑張るよ」
そのまま私は食事に集中してしまった。
だから目の前で背を向けて歩き出した渚くん。彼が呟いていた言葉に気が付かなかった。
「いや、君たちは両片思いだよ……いい加減気づいてほしいな……どんだけ鈍いんだよ……」