落花情あれども流水意なしⅠ
The love is one-side.
紀和さんが満足したのを見て、僕は迷わず彼女の首筋に顔を埋めた。
彼女の手が、子供をあやすみたいにそっと僕の頭を撫でる。
ああ、なんて解放感だろう。体の力がすっと抜けていく。
最高だ。
「日向君って……優しくて……
荒い息の合間に、紀和さんの声が耳に届いた。
「見かけによらないのね……驚いた」
え? そんなに良かったのか、今日は。
実は僕もそう思ってました。
体を離して、隣に仰向けに転がる。
体力には自信があるから、まだまだいけますよ。
「私も人のこと言えないけど……さ」
紀和さんは誰もが知る大企業の若き幹部候補。肩書きも立派なバリキャリだ。
結婚には興味がないらしく、性格は奔放。
僕以外にも何人か男がいるらしいけど、僕にはその気配は感じたことがない。
「そろそろ、私たちの関係を見直そうかなって思ってる」
見直すって、何を?
いつも紀和さんの部屋で会うわけじゃないし、食事の場所によってはホテルに泊まることもある。
駅近の居酒屋だって、ガード下の焼き鳥屋だって彼女は気にしない。
そう思ってたんだけど、僕が勝手にそう思ってただけってこと?
「次はちゃんとした食事の店を予約するよ。今日の居酒屋はうるさくて……」
「そういうことじゃないの」
ケタケタと笑いながら、紀和さんは手を顔に当てた。まじめだなぁとか言ってる。
「今日のお店は魚も新鮮だったし、味も悪くなかった。そういうことじゃないの」
彼女が体をこちらにひねるのがわかった。
「この関係もそろそろ終わりにしよう。つまり、さよなら」
「さよなら……って、ちょっと待って」
天井を見上げていた視線を、隣に向ける。
「私が気づいてないとでも思ってた?」
左手で汗ばんだストレートヘアを指で剥がし、じっと僕を見つめる。
「だから、そろそろ潮時かなって思うの」
動転して、その場に起き上がってしまった。
トドのつまり、飽きられたってことか。
「そんなに驚かなくてもいいの。セフレの関係を解消するってだけよ」
紀和さんのことをただのセフレだなんて思ったことはない。
結婚や将来の話はしていないけど。
「一年も私に付き合ってくれてありがとう。楽しかったわ。ひとりに戻ること、嬉しい?」
僕は慌てて手を振って否定した。何を言えばいいかわからない。
「あら、嬉しいのね。何を言われても上手に受け流して、怒らないし、機嫌よくて、ほんとにいい男だったわ、日向くん」
開きかけた口に、紀和さんが人差し指を当てて塞ぐ。
「それも今思えば、私と正面から向き合う気なんてなかったって話よね」
「違うよ。紀和さんと過ごす時間は楽しかったから……」
「お気遣い、ありがとう」
そう言って微笑みながら彼女は視線を外す。
「あーら、嬉しいこと。何言われても上手に受け流して、腹も立てなきゃ声を荒げるわけでもない。いつも機嫌よくて、ホントいい男だったわ、日向くん」
紀和さんに不満なんてこれっぽっちもなかったのに。
今、お互いスッポンポンなんだよ。つまりそういうことなんだよ。
この状況で別れ話なんて、急にひどく惨めな気分になる。
「紀和さん、僕……」
「連絡っていつも私なのは仕方ないとして」
こっちを見た紀和さんの形の良い眉毛がピクっと上を向く。
続いて迫力のある視線を投げてきた。
「あのさぁ、この一年の間、私に突然会いたいとかなかった?」
素っ頓狂な声で聞いてきた。
「そ、それは、仕事なのに突然電話したら迷惑かと思って。紀和さん残業多いし」
「留守電でもメールでも、メッセージは残せるよ。もしかして専攻はそっち系じゃなかったっけ」
やれやれと言いたげに頭を抱え、大袈裟にため息を吐かれる。
「そうかぁ~、一回もなかったか」
あーショックだわぁといって、またそっぽを向かれた。
この人は化粧を落とす年齢がわからなくなる。もちろん、それでも充分綺麗なんだよ。そして年齢より遥かに若く見えるんだ。
ああ、そうだったまつげ長くて、俯くと影を落とすんだ。癖っ毛のせいかまつ毛もクルンと上むいてたよなぁ。
「……学業と研修で忙しいんだろうけど……でさ、……」
目が好きだったなぁ。くるくる表情が変わって、見てるだけで良かったんだ。一緒にいるだけで楽しかったんだよ。逢いたいなぁ。
「………ちゃんと話聞いてる? 日向くん。もしもーし」
紀和さんが起き上がりぺたんと座って、固まっている僕の頭に手を置きポンポンとした。