か細い悲鳴のような音を上げながら、強い風が稲穂の群れをさざめかせる。
初秋のこの頃、
そんな乾いた田んぼの一角に、二人の百姓の姿があった。
一人は中年も終わりの頃の女で、田んぼの中で腰を屈め、稲の根元をせっせとかき分けている。もう一人、百姓にしては色白の、十六、七辺りの青年はどうやら息子のようである。
青年はあくせく働く母親を尻目に田んぼの
「あんなぁ、徳」
中年の女が腰を伸ばし、軍手をはめた手を日よけ帽子の隙間から差し込んで汗を拭いつつ、青年に向かって恨みがましく言った。
「あんた兄ちゃんに言うたんやろ。俺が兄ちゃんらの分まで働くて。せやからあの子、あんたにそんな高いもん買うてくれたんやで」
青年は何も答えない。麦わら帽子を被った頭をちょっと下げて母親の視線を遮り、スマートフォンを横にして何やら動画を視聴し始めた。
母親はため息をつき、目を細めて空を見上げながら独り言のように言った。
「……二百二十日も過ぎたっちゅうに大風の一つも来えへん。こらまた
それからしばらくの間、景色に変化はなかった。聞こえてくるのは母親が時折こぼす愚痴と、青年のスマホから漏れる微かな音声と、雑木林の方から聞こえるツクツクボウシの呑気な鳴き声だけであった。
ところが突如として、稲の穂を揺るがすような母親の大声が響き渡った。
「徳! 徳‼」
しかし青年は画面から目を離さず、顔をしかめてやっと声を発した。
「うるさいなぁ、何やねん」
「お侍様や! 徳! はよこっち来て頭下げ!」
なるほどそう言われてみれば、尻の下から微かな振動を感じるし、背後の道から機械の駆動音のようなものが聞こえてくる。だがそれでも青年は動画の視聴をやめず、面倒そうに言った。
「どうせまた
「アホ‼ ちゃんと見てみぃ‼」
母親は息子の腕を掴んで無理矢理立たせ、乱暴に背後を向かせた。
そして青年はそれを見た。一度見てみると、なぜこんなものの接近に今の今まで気付かなかったのだろうと、我が身の方に驚いた。
それは巨大な機械だった。全体の色は黒。高さは人間を三人分縦に積んだほどもある。天辺の部分は陣笠のような形をしており、その下部に妖しげな光を放つ機器を内蔵した鉄の塊。その下にはさらに巨大な鉄塊が、日光を様々に反射させている。鉄塊の左右からは二本の角ばった腕が伸び、それら全てが二本の極太の脚によって支えられている――要するに、頭、胴、手足のある、人の形をした機械だった。
「……お、」
それが何という名の機械であるかは、播州の田舎百姓でも知っている。
「お、お……」
――
八百万の神々の
その御霊機が、
しかも、二機。
「あ……⁉」
青年の目が、先頭を走る一機を正面から捉えた時、驚きは何倍にもなった。
黒光りする機体の胴体部と、陣笠を模した頭部には、金色に輝く家紋が刻まれている。
それは円の中心で葵の葉先が出合うように配置された図案。すなわち、丸に三つ葉葵の御紋だった。
(幕府……軍……⁉)
「はよ‼」
母の大声で青年は我に返った。慌ててスマホをズボンのポケットに突っ込み、母親に引きずられるようにして畔から田に降り、親子そろって膝を折り曲げ、額を乾いた土に擦り付けた。
二機の御霊機が地面を小刻みに揺らしつつ通り過ぎる瞬間、青年は少し顔を上げてその姿を盗み見ようとした。が、視界の上端に見えたのは脚部の駆動輪が巻き上げる土煙と、その中を横切る巨大な刀剣の鞘だけだった。
青年は頭を下げたまま、隣の母親に向けて囁いた。
「なあ……なんで
母親は額をぴったりと地に張り付け、走り過ぎていった二機の兵器達に聞かれるのを恐れるかのように囁き返した。
「知らんわ……
「せやけど、うっとこの藩にも御霊機はおってやん……あのあれ……あの人の」
「知らん知らん……お上のやる事に口出ししたらあかん……うちらは田んぼのことだけ気にしとったらええねん……」
母親のくぐもった声は、腹の底から響いてくるような振動にかき消されていった。
二機の駆動音が十分に遠ざかった頃、青年は土から立ち上がり、
―――― ◇ ――――
「掛けまくも
曇天渦巻く空の下、風に騒めく森の中、そこに小振りながら古色を帯びた神社がある。
肌に纏わりつく湿気、気を塞ぐような薄暗闇が充満する拝殿において、巫女が厳かに祝詞を唱える声が長々と続いている。
「此度、大神の高き尊き
長身で細身の巫女は
そこには一人の少女がいた。拝殿の中心に正座し、吹き抜けの向こう側にある本殿に向けて両手を合わせ、無言で祈りを捧げている。身体を纏う色鮮やかな装束は板敷きの床に大きく広がり、暗闇の中でそこだけが陽が射しているかのようにさえ見える。
「是に於いて大神、民の憐れなり、慈しむべしと思し召しければ――」
祈祷する少女の背後で、巫女は神楽を舞いながら祝詞を唱え続ける。
「
少女の身体が、よく目を凝らさなければ分からないほどの、淡く儚い光を帯び始めた。
―――― ◇ ――――
それは強風に乗って四方に飛び、瓦屋根の立ち並ぶ町中へ降り注いだ。
人々は顔を強張らせ、半鐘の音に追い立てられるようにして家に駆け込み、がたがたと雨戸を閉めてゆく。大路を走る車もまた、何かから逃げるようにそれぞれの住居へ急いでいる。
領民のほぼ全てが家屋内に閉じこもりつつある中、一台の中型トラックが町から走り出て水田地帯へと向かっていた。荷台にはカバーが掛けられているが、その下から機械製の脚が突き出し、トラックの揺れに合わせて不安げな音を立てている。
その骨ばった脚部の裏には、消えかかった筆字で〈秋水〉と書かれていた。
運転席に座るのは、暗雲のような双眸で前を見据える一人の男。
巨大な人型の荷物を載せた中型トラックは川沿いに、水田地帯を抜けてひた走る。
妖雲渦巻く空の下、禍を振り撒く獣が跳梁する、その場所へ向けて――