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最終話 黎明




 城塞から立ち上る煙もやっと消え、大坂市街も徐々に落ち着きを取り戻した頃。


 堂安橋近くの張州ちょうしゅう藩邸前に、刹摩さつま飛前ひぜん差賀さがのナンバープレートを掲げた車両が所狭しと並んでいた。


 詰襟の軍服姿で眼鏡をかけた肝付きもつき三太郎さんたろうは、車の間をぶらぶらと歩きながら、

「過ぎてみりゃなんのこっもなか戦でごあしたなぁ。そいこそ野分のごたる……」


 すると菱刈ひしかり鎮雄しずおが大きな胸を反らす。

「拙者は満足にごわさ。よか戦にごわした。そいに、士道は武士のもんだけではなかっちゅうこっも分かりもした」


 菱刈の視線の先で、石切いわきり衆が疲れた様子で、しかし親しげに笑いかけていた。


 横合いから江藤えとう甲子雄きねおが肝付に話しかける。

「あの……刹摩の皆さんは本国に帰られっと?」


「じゃいもす。〈桜島さくらじま〉も〈墜星ついせい〉もえろう傷んでしもて、国元に帰らねばどもならん。僕もええ加減帰りたか」


「そうですか……いや、もしよければそちらん機体ばちょーと調べさせて……」


「何じゃ。まだおったんかい」

 椙杜すぎもり佑月ゆづきが部下達を引き連れて藩邸から現れた。


 志道しじ少尉に口羽くちば伍長も一緒で、早良さわら伍長が腕を吊ってはいるが、全員健勝そうだ。


「もう挨拶は済んだじゃろ。さっさと車出さんと通行の邪魔になるっちゃ」


 江藤は張州藩邸を見上げ、

「むむ……あん人とハーフの娘っ子さんにゃ、ちと文句もあったばってん、まあよかと……はよ〈依姫よりひめ〉と一緒に帰っばい……張州さんらはどうすっと?」


 江藤が問うと、佑月は軽く咳払いし、藩邸をちらりと見て言った。

「ふむ……あの方々も、これからしばらくはこの藩邸におってもらうことになるけん、うちがおった方が都合がええじゃろ……張州本国への諸々は、志道らに任せようかのう……」


「ええ、そうするべきであります」

 志道は訳知り顔で頷いた。


「ほいなら。さようならじゃ」

 肝付は軽く軍帽に手を当て、あっさりと踵を返して車に向かった。


 菱刈は規律正しく敬礼し、石切衆のもとへ歩み寄った。


 江藤もサッと礼をして、

「ほいじゃあの。あ、〈依姫〉のこっ、くれぐれも他藩には言わんちょってくれんね……」


 三人がそれぞれ去って行った後、志道は佑月に言った。

「……呉越同舟も、たまにはいいものでありますな」


 佑月は刹摩人と差賀人の背中を見つめながら、明るい声で言った。

「ふん……しばらくは御免じゃな」


 ―――― ◇ ――――


 その張州藩邸の中にある一つの和室で、三人の女性が賑やかに荷物を紐解いていた。


 華凛は段ボール箱を畳に降ろし、

「よっと。とりあえず言われたもの持ってきたけど、これで全部かな……」


 鈴姫はぴょんと飛び跳ねて大きな箱の中を覗いた。衣類や枕などの上に、デスクトップパソコンとゲーム機が収められている。


「はい! ありがとうございます華凛さん!」


「こっちも」


 ななに言われ、鈴姫はいま一つの箱の中を見る。絵本が数冊と、あとは小難しい教書が詰め込まれ、その上に分厚い封筒が置かれていた。鈴姫は手を伸ばし、その封筒を開けた。中身は、母親の映っている写真の束だった。


 鈴姫はにっこり笑い、

「うん! ありがとう、なな!」


 華凛は畳に座り込んで足を投げ出し、感慨深げに言った。


「それにしても……鈴姫様が脱藩とはね」


「私は、二回目」

 ななが言った。


「あははっ……脱藩ていうか、ちょっとあそこを離れた方がいいかなって思ったんです……でも、いつかは神河こうがに帰ります! 私の故郷ですから!」


「失礼してよろしいでしょうか」

 障子の向こうから公文くもんの声が聞こえてきた。


「あ、はい! どうぞ!」


 鈴姫が応えると、障子が開き公文が入室してきた。


「公文さん……どうだった?」


 華凛が訊ねると、公文は正座しながら、

「まあ予想通りと言った所です。飯森いいもり典成のりなりら浪士達は江戸の伝馬町牢屋敷に送られました。円城寺えんじょうじ火乃里ほのりと、そして――大名持おおなもち貴彦たかひこも」


 鈴姫はただ黙って俯いた。


 公文はスマホを見ながら、

「大名持はその身分ゆえ牢には入れられていませんが、罪は全て自白しているそうです。彼が今後どうなるかは、幕府の出方次第ですね……」


「鈴姫様……大丈夫?」

 華凛が声を掛けると、


「大丈夫です……あんなことをしたんだから、どんな罪だって受け入れるべきです……それより、私が本当に残念なのは……」


 鈴姫は目をぎゅっと閉じ、心の底から痛ましそうに言った。

「……あの通訳の人……安禄やすとみ肖高すえたかさんが……墜落の衝撃で、亡くなられたことです……私、ぼんやりと覚えてるんです、あの人が、あれに乗ってたの……本当に……本当に、残念です……」


 華凛は人知れず胸騒ぎを覚えていた。その安禄肖高という人は、前頭骨陥没による即死だったらしい。それほどの衝撃だったのに、大名持の方は無傷だったというのはどういう訳だろう。もし安禄が死んだのが、落下の衝撃のせいではなかったとするならば――


「そろそろ、来る時間」

 ななが不似合いに明るい声で言った。


 公文も顔を綻ばせ、

「ああ、今日やっと歩けるようになったんでしたね。では鈴姫様。大部屋に向かいましょうか」


「えっと……はい」

 鈴姫は憂鬱そうに頷いた。


「え……もしかして、会いたくないの?」

 華凛が驚いて聞くと、


「……私のこと……本当に嫌ってないのかなって……」


「ないない。それだけは天地がひっくり返っても有り得ない」

 華凛は顔の前で手を振りながら、真顔でそう言った。


 しかし鈴姫の顔は晴れない。

「だってあんな酷いことしちゃったし……何て言って謝ったらいいのか……」


 隣のななが、目に力を込めた。

「鈴姫様……ちょっと、耳貸して」


 ―――― ◇ ――――


 頭に包帯を巻き、右腕を吊った壮年の男が、張州藩邸の廊下を歩いている。


 やがて大部屋の障子の前までたどり着き、そこで膝を揃えて正座する。緊張なのか昂揚なのか、とにかく落ち着かない気分を奥歯でかみ殺し、蓮太郎は視線を下げつつ襖を両手で開けた。


 十二単の鮮やかな端が、ちらりと視界の上部に映る。なな、華凛、公文が壁際に座っている様子が、気配で分かる。蓮太郎はすぐさま廊下に手を付いた。が、


「れ――蓮太郎っ‼」


 初めて鈴姫に下の名を呼ばれ、というか叫ばれ、動きを止めた。


「えっと……一つ‼ うちと話する時は、ちゃんと近くまで来て、ちゃんとうちの顔見て話すこと‼ これが守れんのやったら、うちの為に何かすることは許しません‼」


 蓮太郎は絶望的な表情になった。


「しゅ、主上、畏れながら……」


「二つ‼」


 鈴姫は有無を言わせぬ勢いでさらに言った。

「うちのことは、ちゃんと名前で呼ぶこと‼ これが守れんのやったら以下同文‼」


 蓮太郎の顎が、がくんと下がった。


 ななは顔を伏せて笑いを漏らし、華凛と公文はにやにや笑っていた。


 ただ鈴姫だけが不安そうに、

「あの、えっと……ほづ――蓮太郎? 嫌やったら、無理せんでええから、あの……」


 蓮太郎は覚悟を決めた。ぎこちない動きで立ち上がり、いそいそと部屋の中央に向かい、正座して背筋を伸ばした。目を泳がせ、ちらちらと鈴姫を盗み見ながら、


「…………承知、仕りまして、ございます…………しゅ、すゅずひめさま……」


「ぷっ……あははっ!」


 鈴姫は笑った。屋敷全体が明るくなるような笑顔で。


「……さて、しゅ……鈴姫様……」


 鈴姫の笑いが収まった後、蓮太郎は苦々しい顔で言った。


「御志に……お変わりはございませぬか」


 鈴姫は笑いを押し込め、真剣な顔で頷いた。


 蓮太郎はさらに、

「誰からも望まれずとも……救いたいと願う者達からすらも反対されてなお……そのために一意専心、貫き通す覚悟はおありでございますか」


 鈴姫は笑った。国中が明るくなるような笑顔で。


「うんっ‼ だって、いいお手本がおるもん‼ 目の前に‼」




 雲の切れ目から陽射しが差し込み、大坂の市街を優しく照らした。


 畿内においては実に十五日ぶりの、晴れ間であった。


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