スマホの画面をじっと見つめる。
画面には、裏サイトの掲示板がびっしりと映し出されていた。
スレッドのタイトルは「【速報】新ゲート目撃情報スレ Part392」。
無数の匿名コメントが、生き物みたいに次々と流れていく。
『○○○○駅の個室トイレのドアがゲートだったんだけど。マジでヤバいってw』
『業務中、田舎のマンホール開けたんすけど、そっから青い光がでてきて……。即、管理組合に即通報しました』
『友達の婆ちゃん家の蔵、ダンジョンに繋がってたって。D-Tuber来る前に封鎖されたよ』
スクロールしながら、アンチコメントに「いいね」を押す。
『ビビりすぎで草。こんなんでD-Tuber目指すとか寝言以下じゃんw』
――いいね。
『画質ゴミ、配信ゴミ。100円投げた奴バカすぎw』
――いいね。
「煽るしか能のねえ、ゴミども………」
そう呟きくが、声に力はない。
アンチコメにいいねを押すのは、半ば自虐の癖だ。
心のどこかで、「こんなもん気にしてたら、這い上がれねえ」と自分を奮い立たせたかった。
ダンジョンのゲートは、突然現れる。
10年前、日本中に謎の次元ゲートが出現した時、誰もがパニックになった。
テレビでは「次元の裂け目」とか「未知の現象」とか訳のわからん解説が流れたが、結局、誰も本当の原因なんて知らない。
ただ一つ確かなのは、ゲートが現れる場所に法則がないってことだ。
繁華街のビルのエレベーター、田舎の廃井戸、果てはコンビニの冷蔵庫の奥。
SNSでは、ゲートを見つけた奴らが即座に写真や動画をアップし、D-Tuberや管理組合が動く前にバズるのがお決まりのパターン。
俺にとって、こういう新ゲートの情報は命綱だ。
公式のダンジョンは警備が厳重で、U-Tuber如きが入れる隙はない。
でも、新ゲートなら話は別だ。
管理組合が封鎖する前に忍び込めば、宝や素材を拾って闇サイトで売れる。
「次回の配信…何かデカいネタが欲しいな…」
掲示板と並行して『オイッタ―』のタイムラインをチェックする。
ハッシュタグ「#ダンジョンゲート」で検索し、怪しげな投稿を片っ端から漁る。
『近所の公園の公衆トイレ、なんか光ってた気がするけど、気のせい?』
『深夜に川沿いの下水道から変な音。ゲートじゃね?』
どれも曖昧で、確証がない。
「ハアーーーー。やっぱダメかぁ」
ため息をつき、床に転がる。
時計はすでに夜の11時を回っていた。
「もう3時間もやってんのか…」
スマホの光が目に刺さる。
まぶたが重くなり、視界がぼやける。
首を振って眠気を払おうとするが、意識は徐々に霧の中へ沈んでいく。
うつらうつらと、頭が揺れ――そのまま、意識が途絶えた。
部分的な記憶が、壊れたフィルムのようにチラチラと脳内を掠め、心の奥底、蓋をしていた過去が勝手に映り込む。
―――――――――。
――――――。
――薄汚れたアパートの玄関。
ドアを開けると、酒で掠れた声と焼酎の匂いが鼻を刺す。
もう慣れっ子だった。
「佐藤さん、ホントに300万返せんの?」
「た、頼む…もう少し待ってくれ…!」
親父が床にへたり込み、震えながら土下座していた。
パチンコ、競馬、スロット――親父のどうしようもない、酒とギャンブルの日々が、多額の借金を生んだ。
15歳の俺は、見ていることしかできなかった。
「親父が返せるわけない」と子どもながらに分かりきっていた。
そっから親父は粘ったけど、結局、借金取りに連れていかれた。
数週間後、俺が留守電してる時、ドアポストに赤い染みのついた封筒が投げ込まれた。
中には、残り数十万になった借金の督促状。
それと、残りティッシュでくるめられた
骨が飛び出し、千切れた肉の部分が赤黒く変色している。
爪の根元には、昔タバコの火で誤ってついた火傷の跡が、誰の指か分かるように残っていた。
後から知ったが――親父は無理やりU-Tuberとしてダンジョンに潜らされたらしい。
ボロボロのスマホを渡され、ろくに装備もないまま、ゲートの青い光に放り込まれた。
「……オヤジ…………」
競馬新聞を破る音、親父の怒鳴り声、殴られるおふくろの悲鳴――。
もう聞かなくていい。
もう聞かなくていいんだ。
頭の中で納得させ、俺はその場で吐いた。
――1年後、深夜に帰ってくる、おふくろの背中。
「悠、大学に行くのよ。母さんが…何とかするから」
おふくろの声は、疲れでかすれていた。
親父が死んだ後、おふくろは昼夜問わず働いた。
工場のライン作業、水商売、週末はコンビニパート。
親父の借金を返し、俺を大学に行かそうと、休むことなく体を酷使した。
「母さん、無理すんなよ…俺が…」
俺が。
高校生の俺に……何ができる?
おふくろの手は、機械油と洗剤でひび割れ、指はガサガサ。
爪は欠け、袖口から覗く腕は骨と皮ばかり。
夜勤明けの母は、コンビニの弁当を手に、目をこすりながら笑っていた。
「悠は…母さんの夢だから。いい大学行って、ちゃんとした仕事について…」
目の下のクマが日増しに濃くなって、笑顔も弱っていく。
時折、咳き込むおふくろ……そんで。
アパートの階段で、足元がふらついて――。
――病院の廊下。
「佐藤さん、治療費が…あと200万ほど必要です」
医者の事務的な声。
おふくろはベッドで、酸素マスクをつけて寝ていた。
過労だ、心臓が弱っていて、肺に水が溜まっていたらしい。
「おふくろが…なにしたってんだよ…」
握った拳が震える。
俺に何ができる?
点滴の針が刺さるおふくろの腕は、骨が浮き、青い血管が透けて見える。
モニターの音、消毒液の匂い、酸素マスクの曇り。
その全部が、無力さを突きつけた。
――バイト先のコンビニ、バックヤード。
「D-Tuber? ハハ、佐藤、夢見すぎだろ、やめとけ」
ダンボール箱が積まれた棚の隙間で先輩の嘲笑が、狭いバックヤードに響く。
「あれって国家資格だぞ?ムリムリ。俺も目指したことあっけど、 ダンジョン配信の専門大学とか、実習経験とか、めっちゃハードル高ぇんだからな。テキスト代だけで数十万、装備や実習のダンジョン使用料、学費も合わせたら余裕で何千万もかかるぜ。佐藤にそんな金、払えんのか?」
「…そんな金、俺には…」
先輩の言葉が、胸に突き刺さる。
ポケットには、くしゃくしゃの千円札一枚。
おふくろの治療費、死んだオヤジの借金、一気に解決できるかもと思ったけど。
D-Tuberなんて、夢のまた夢だと思い知らされた。
――闇サイトの広告画面。
『金欠で人生詰んでる? なら今すぐダンジョンへGO! 資格なし! 装備なし! スマホ一台で億万長者! ゲートに飛び込んで宝をガッポリ、闇サイトで即換金!! 人生一発逆転したいなら、 今すぐクリック!これであなたもU-Tuber!』
「ゆー……ちゅー…ばー」
広告は、チカチカしたネオンカラーのフォントで、ゲートの青い光と金貨のアニメーションが派手に踊っていた。
怪しいリンクの横には、『視聴者1000万人のU-Tuberもここから始まった!』と嘘くさい煽り文句。
『俺も潜ったけど、 簡単に10万稼げました!』と胡散臭い書き込みもあった。
こんなのに騙されるバカなんているのか。
「……でも…これしかねえ」
ボロボロのスマホを握る。
親父みたいに、カッコ悪い死に方したくない。
でも――。
おふくろを助けるには、これしかない。
――初めてのダンジョン。
ゲートの青い光。
心臓がバクバク鳴る。
バイト先で処分された雑誌をガムテープでグルグルに巻き付けたあってないような装備。
モンスターの遠吠えに、足が竦む。
「撮影…開始…」
スマホの画面に、視聴者のコメント。
『ビビりすぎw』『早く進めよ!』『死ぬとこ見たいw』
いつ襲われてもおかしくない道中。
はじめて、投げ銭の通知音が鳴った。
100円。
たったの100円。
それでも、誰かに俺の頑張りを認められた気がして、泣いた。
その後も、ポツポツと通知音が響く。
500円、300円、1000円――小さい額だが、投げ銭が続くたびに胸が熱くなった。
コンビニで1日中レジを打って稼ぐよりも、この1時間、命をさらして暗闇を進む方がずっと稼げることを知った。
「こんなんでいいなら……俺の人生、変えられるかもしれない!!ハ、ハハハハハッ!!」
そのとき、心中で誰かの声が聞こえた。
――悠…ごめんね…。
「ハ、ハハ……」
ここにいないはずなのに。
ただの想像なのに。
おふくろが、そんなことを言ってる気がした。
「………………」
俺は何のためにここにいる?
親父の借金を清算するため?
自分のため?
おふくろのため?
それとも…ただ、生き延びるため?
―――考えると、しんどくなる。
視聴者の嘲笑も、モンスターの気配も、全部飲み込んで、俺はカメラを握り直した。