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第2話『何のために生きてるの?』

 スマホの画面をじっと見つめる。


 画面には、裏サイトの掲示板がびっしりと映し出されていた。


 スレッドのタイトルは「【速報】新ゲート目撃情報スレ Part392」。


 無数の匿名コメントが、生き物みたいに次々と流れていく。


『○○○○駅の個室トイレのドアがゲートだったんだけど。マジでヤバいってw』


『業務中、田舎のマンホール開けたんすけど、そっから青い光がでてきて……。即、管理組合に即通報しました』


『友達の婆ちゃん家の蔵、ダンジョンに繋がってたって。D-Tuber来る前に封鎖されたよ』


スクロールしながら、アンチコメントに「いいね」を押す。


『ビビりすぎで草。こんなんでD-Tuber目指すとか寝言以下じゃんw』

――いいね。


『画質ゴミ、配信ゴミ。100円投げた奴バカすぎw』

――いいね。


「煽るしか能のねえ、ゴミども………」


そう呟きくが、声に力はない。


アンチコメにいいねを押すのは、半ば自虐の癖だ。


心のどこかで、「こんなもん気にしてたら、這い上がれねえ」と自分を奮い立たせたかった。


ダンジョンのゲートは、突然現れる。


10年前、日本中に謎の次元ゲートが出現した時、誰もがパニックになった。


テレビでは「次元の裂け目」とか「未知の現象」とか訳のわからん解説が流れたが、結局、誰も本当の原因なんて知らない。


ただ一つ確かなのは、ゲートが現れる場所に法則がないってことだ。


繁華街のビルのエレベーター、田舎の廃井戸、果てはコンビニの冷蔵庫の奥。


SNSでは、ゲートを見つけた奴らが即座に写真や動画をアップし、D-Tuberや管理組合が動く前にバズるのがお決まりのパターン。


俺にとって、こういう新ゲートの情報は命綱だ。


公式のダンジョンは警備が厳重で、U-Tuber如きが入れる隙はない。


でも、新ゲートなら話は別だ。


管理組合が封鎖する前に忍び込めば、宝や素材を拾って闇サイトで売れる。


「次回の配信…何かデカいネタが欲しいな…」


掲示板と並行して『オイッタ―』のタイムラインをチェックする。


ハッシュタグ「#ダンジョンゲート」で検索し、怪しげな投稿を片っ端から漁る。


『近所の公園の公衆トイレ、なんか光ってた気がするけど、気のせい?』


『深夜に川沿いの下水道から変な音。ゲートじゃね?』

 どれも曖昧で、確証がない。


「ハアーーーー。やっぱダメかぁ」


 ため息をつき、床に転がる。

 時計はすでに夜の11時を回っていた。


「もう3時間もやってんのか…」


 スマホの光が目に刺さる。


 まぶたが重くなり、視界がぼやける。


 首を振って眠気を払おうとするが、意識は徐々に霧の中へ沈んでいく。


 うつらうつらと、頭が揺れ――そのまま、意識が途絶えた。


 部分的な記憶が、壊れたフィルムのようにチラチラと脳内を掠め、心の奥底、蓋をしていた過去が勝手に映り込む。



―――――――――。



――――――。



――薄汚れたアパートの玄関。


 ドアを開けると、酒で掠れた声と焼酎の匂いが鼻を刺す。


 もう慣れっ子だった。


「佐藤さん、ホントに300万返せんの?」


「た、頼む…もう少し待ってくれ…!」


 親父が床にへたり込み、震えながら土下座していた。

 パチンコ、競馬、スロット――親父のどうしようもない、酒とギャンブルの日々が、多額の借金を生んだ。


 15歳の俺は、見ていることしかできなかった。


 「親父が返せるわけない」と子どもながらに分かりきっていた。

 そっから親父は粘ったけど、結局、借金取りに連れていかれた。


 数週間後、俺が留守電してる時、ドアポストに赤い染みのついた封筒が投げ込まれた。

 中には、残り数十万になった借金の督促状。

 それと、残りティッシュでくるめられたが入っていた。


 骨が飛び出し、千切れた肉の部分が赤黒く変色している。


 爪の根元には、昔タバコの火で誤ってついた火傷の跡が、誰の指か分かるように残っていた。


 後から知ったが――親父は無理やりU-Tuberとしてダンジョンに潜らされたらしい。


 ボロボロのスマホを渡され、ろくに装備もないまま、ゲートの青い光に放り込まれた。


「……オヤジ…………」


 競馬新聞を破る音、親父の怒鳴り声、殴られるおふくろの悲鳴――。


 もう聞かなくていい。

 もう聞かなくていいんだ。


 頭の中で納得させ、俺はその場で吐いた。



――1年後、深夜に帰ってくる、おふくろの背中。


「悠、大学に行くのよ。母さんが…何とかするから」


 おふくろの声は、疲れでかすれていた。


 親父が死んだ後、おふくろは昼夜問わず働いた。


 工場のライン作業、水商売、週末はコンビニパート。

 親父の借金を返し、俺を大学に行かそうと、休むことなく体を酷使した。


「母さん、無理すんなよ…俺が…」


 俺が。

 高校生の俺に……何ができる?


 おふくろの手は、機械油と洗剤でひび割れ、指はガサガサ。


 爪は欠け、袖口から覗く腕は骨と皮ばかり。


 夜勤明けの母は、コンビニの弁当を手に、目をこすりながら笑っていた。


 「悠は…母さんの夢だから。いい大学行って、ちゃんとした仕事について…」


 目の下のクマが日増しに濃くなって、笑顔も弱っていく。


 時折、咳き込むおふくろ……そんで。


 アパートの階段で、足元がふらついて――。


――病院の廊下。


「佐藤さん、治療費が…あと200万ほど必要です」


 医者の事務的な声。


 おふくろはベッドで、酸素マスクをつけて寝ていた。


 過労だ、心臓が弱っていて、肺に水が溜まっていたらしい。


「おふくろが…なにしたってんだよ…」


 握った拳が震える。

 俺に何ができる?


 点滴の針が刺さるおふくろの腕は、骨が浮き、青い血管が透けて見える。


 モニターの音、消毒液の匂い、酸素マスクの曇り。


 その全部が、無力さを突きつけた。



――バイト先のコンビニ、バックヤード。


「D-Tuber? ハハ、佐藤、夢見すぎだろ、やめとけ」


 ダンボール箱が積まれた棚の隙間で先輩の嘲笑が、狭いバックヤードに響く。


「あれって国家資格だぞ?ムリムリ。俺も目指したことあっけど、 ダンジョン配信の専門大学とか、実習経験とか、めっちゃハードル高ぇんだからな。テキスト代だけで数十万、装備や実習のダンジョン使用料、学費も合わせたら余裕で何千万もかかるぜ。佐藤にそんな金、払えんのか?」


「…そんな金、俺には…」


 先輩の言葉が、胸に突き刺さる。


 ポケットには、くしゃくしゃの千円札一枚。


 おふくろの治療費、死んだオヤジの借金、一気に解決できるかもと思ったけど。


 D-Tuberなんて、夢のまた夢だと思い知らされた。



――闇サイトの広告画面。


『金欠で人生詰んでる? なら今すぐダンジョンへGO! 資格なし! 装備なし! スマホ一台で億万長者! ゲートに飛び込んで宝をガッポリ、闇サイトで即換金!!  人生一発逆転したいなら、 今すぐクリック!これであなたもU-Tuber!』


「ゆー……ちゅー…ばー」


 広告は、チカチカしたネオンカラーのフォントで、ゲートの青い光と金貨のアニメーションが派手に踊っていた。


 怪しいリンクの横には、『視聴者1000万人のU-Tuberもここから始まった!』と嘘くさい煽り文句。


 『俺も潜ったけど、 簡単に10万稼げました!』と胡散臭い書き込みもあった。


 こんなのに騙されるバカなんているのか。


「……でも…これしかねえ」


 ボロボロのスマホを握る。

 親父みたいに、カッコ悪い死に方したくない。


 でも――。


 おふくろを助けるには、これしかない。


――初めてのダンジョン。


 ゲートの青い光。


 心臓がバクバク鳴る。


 バイト先で処分された雑誌をガムテープでグルグルに巻き付けたあってないような装備。


 モンスターの遠吠えに、足が竦む。


「撮影…開始…」


 スマホの画面に、視聴者のコメント。


『ビビりすぎw』『早く進めよ!』『死ぬとこ見たいw』


 いつ襲われてもおかしくない道中。

 はじめて、投げ銭の通知音が鳴った。


 100円。


 たったの100円。


 それでも、誰かに俺の頑張りを認められた気がして、泣いた。


 その後も、ポツポツと通知音が響く。


 500円、300円、1000円――小さい額だが、投げ銭が続くたびに胸が熱くなった。


 コンビニで1日中レジを打って稼ぐよりも、この1時間、命をさらして暗闇を進む方がずっと稼げることを知った。


「こんなんでいいなら……俺の人生、変えられるかもしれない!!ハ、ハハハハハッ!!」


 そのとき、心中で誰かの声が聞こえた。


――悠…ごめんね…。


「ハ、ハハ……」


 ここにいないはずなのに。

 ただの想像なのに。

 おふくろが、そんなことを言ってる気がした。


「………………」


 俺は何のためにここにいる?


 親父の借金を清算するため? 

 自分のため?

 おふくろのため?


 それとも…ただ、生き延びるため?


―――考えると、しんどくなる。


 視聴者の嘲笑も、モンスターの気配も、全部飲み込んで、俺はカメラを握り直した。


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