私の子どもたちは、国王陛下――彼らの実父と、私――実母によって殺されたようなものである。
陛下は、無関心の末の放置によって。
私は、臆病の末の怠惰と自衛によって。
冬の夜の教会でポツンと一人座って、私はただただそう懺悔する。
そして祈る。
息子の冥福を、娘の冥福を。
目を閉じ、胸の前で両手の指を組み、冷たい大理石の上に両膝を付き、ただ一心に祈るくらいしか、今はもうこの無力は母にできる事はない。
直接的に二人に危害を加えるように手を回したのは、側妃だ。
しかしそんな事は、関係ない。
陛下が一言何かを言えば、何かをすれば、結末は変わっていたかもしれない。
しかしそれ以上に、私が父や母や兄や陛下からの愛を欲するあまり、血の繋がりや婚姻という形だけの『家族』に縋るあまりに、後から生まれた尊い命に「いつか私の『家族』が助けてくださるから」と言い聞かせるだけだったのが、いけなかった。
途中で気が付くべきだったのだ。
彼らが私たちに手を差し伸べてくれる事など、絶対にあり得ない事なのだと。
特に利己主義な陛下の、その場しのぎの甘くて優しい言葉の薄っぺらさには、騙されるべきでは、決してなかった。
そんな事に気が付いたのが、すべてが終わった後だなんて。
せめて犯人くらいは罰してもらわなければ、二人が浮かばれない。
そう思って、両親や兄に協力を求めたがあしらわれ、それでもすべての時間を費やして自ら出向き調べた真実を、陛下のところに持って行った時。
側妃たちへの罰を求めたあの時に、言われた言葉。
「既にこの世にいない者の為に、どうして今生きている者を罰する必要がある」
その時に初めて、すべての夢から覚めたような心持ちにさせられたなんて、情けない事この上ない。
もう遅いのに。
今更なのに。
何度も何度も、両親や兄、陛下から愛される自分たちばかりを祈って、結局何もしなかった過去の自分を呪った。
彼らに嫌われるのが怖くて、嫌われないようにと、顔色を窺って、笑って。
その結果が、この有様なのだから。
私は何をしていたのか。
何がしたかったのか分からなくなって、頭がぐちゃぐちゃになって。
――私の中に最後に残ったのが、子どもたちの顔やぬくもりだった。
無垢な瞳で私を頼って、ただただ純粋に慕ってくれる、小さな命たち。
そんな二人の可愛さを、今更ながらに反芻する。
あの二人こそ、何を置いても私が守らなければならない『家族』だった。
ロディスが毒入りのお菓子を口にしてしまった時、もっと早く異変に気が付いてあげていれば。
リリアが私室から出る時に、メイドになど任せずに私自身が付き添っていれば。
もしかしたら、私が両親や兄や陛下からの愛を欲してばかりいなければ、二人にもっと目を配れたかもしれない。
そうすれば、もしかしたらこんな事にはならなかったかもしれない。
二人とも、いい子たちだった。
あの子たちが命が散らさなければならない理由などなかったのに。
大人世界の汚い権力闘争に、見栄と傲慢に巻き込まれたせいでこうなった。
手足が悴むのを通り越し、既に感覚すらなくなった。
飲まず、食わず、立たずでもう何時間、何日経過したのだろうか。
そんな事すらどうでもいい。
ただただ子どもたちの傍で、二人の安寧を祈り、懺悔したい。
それだけが私の本心だ。
教会は、空に一番近い場所。
空には亡くなった者たちの世界があるという。
いい子だった息子と娘も、きっとそこにいる筈だ。
だから少しでも近くで、少しでも長く、一緒にいてあげられるように。
そう思いながら、祈り続けている。
寒さからなのか、空腹からなのか、意識が少しずつ遠ざかっていく。
――あぁ、もう一度あの子たちの事を抱きしめたい。
時間が巻き戻りでもしない限り、その願いが叶う事はないけれど。
教会が祭るウール神は、時の神。
時を行き来する力を持つ神様。
あぁ、神様。
私を過去に戻してだなんて、贅沢な事は言わない。
でもせめて、あの子たちが来世で幸せになれますように。
そう願うこの心だけは、ほんの少しでも届けてくれないかしら。
“相手が死してやっと本当の愛の何たるかを知った、ちっぽけで哀れな魂よ。汝と汝の子どもたちの願いを聞き届けられぬ程、余は狭量で非力な神ではない”
“双方の強い願いの交わるところに、そなた達を送り戻してやろう。我は時の神、そして忘れ去られし反逆を司るウール神なり”
§§§
「お母さま!」
可愛らしい声でそう呼ばれ、私はハッと顔を上げる。
温かい日差しが差し込む、後宮内の私室。
窓の近くにロッキングチェアに腰を掛けていた私は、その目に可愛らしい少年の姿を映した。
今年四歳になる、私の息子。
無邪気で元気な、初めての子。
「もう。ぼくの話、ちゃんと聞いてた?」
ムゥッと頬を膨らませたその男の子――ロディスの抗議に、咄嗟に言葉が出てこない。
まさか。
だってロディスはもう……。
祈るように震える手を伸ばせば、温かく柔らかい頬に触れる事ができた。
ジワリと涙が滲んでくる。
嗚咽がせり上がってきた。
そんな自分を隠したくて、「夢じゃない」と実感したくて、両手の腕の中にその子を閉じ込めた。
たしかな感触と質量が、彼が生きている事の証明だ。
無意識のうちに、ロディスを抱きしめる力が強くする。
もう手放さないように、守れるように。
そんな気持ちがあったのかもしれない。
「そんなに強くギュってしたら、ぼくの大切な妹がお腹の中でぺっちゃんになっちゃうよっ」
プンスコとしたその声に、力を緩めて腕の中を見下ろす。
無垢な瞳でまっすぐに、ロディスがこちらを見上げてきていた。
その視界の端に見えている大きなお腹は、太っているからではない。
その証拠に抗議でもするかのように、もしくは返事でもするかのように、トンッと内側からノックされる。
そういえば、ロディスも私の記憶の中の彼と比べて随分と幼い。
歳にして、おそらく三歳ほど。
娘が生まれる前だと考えると、ちょうど適切な年齢だ。
ロディスが、私の息子が、生きている。
リリアが、私の娘が、もうすぐ生まれる。
きっと今はそういう時期だ。
誰に説明された訳でもないのに、唐突にそう理解できた。
一瞬だけあの悲しい日々を「ただの悪夢だったのかもしれない」と思ったけど、すぐに「違う」と思い直す。
あの時味わった、とてつもない空虚感と絶望感。
あれが夢幻な筈がない。
意識が遠のいてから、虚無に落ちるまでのほんの一瞬。
私は誰かの声を聞いた。
――双方の強い願いの交わるところに、そなた達を送り
そう言っていた。
祈りを捧げていたあの教会の事を思い出す。
あれは時の神・ウールを祭る教会で、ウールは稀に時にまつわる奇跡を起こすという。
ある時は大切な壊れ物の「壊れた」という過去を消し、ある時は未来に故人の言葉を伝えに行く。
それが本当の事ならば、たとえばあの時の私の精神を過去の私の体に送り戻す……などという事もできるのかもしれない。
そうだとしたら、これは奇跡だ。
紛れもなく、そして私が何よりも望んだ奇跡。
――せめてもう一度、子どもたちをこの手に抱きしめたい。
そう願ったあの時の私は、心の奥底に別の願いを抱いていた。
こんな願い、おこがましいと。
この期に及んで私なんかが願っていいような事ではないと。
そう思って心に押し込めていたのは、たった一つ。
過去に戻れたら何よりも、子どもたちを大切にするのに。
私の『家族』はこの子たちだけだと、心の底から思えるのに。
この子たちのためになら、何だってするのに。
どんな怠惰にも負けず、勇気を奮い立たせて守るのに。
そう思っていた。
だから今がもし本当に、神の恩恵を得たやり直し――時戻りの機会なのだとしたら。
いや、たとえ夢や幻でも構わない。
私が心の奥底であの時子どもたちに誓っていた事を、叶えたい。
嘘は付きたくないから。
「貴方達の事は、私が必ず守るから」
これが私の、たった一つにして最大の願い。
そのためには、私には様々な物が足りなさすぎる。
王妃としての盤石な地位。
私個人の、周りに対する発言の影響力。
裏切らない味方。
必要な人脈。
そして、ロディスとリリアが健やかに生きるための、様々な環境づくり。
それらを私は私を愛してくれる、私も愛を返したいと思えるこの二人のために、『家族』のために、やっていこう。
両親や兄、陛下との、家族になれる可能性。
そんなものはもう、要らない。
だってそんな不確かで糸のような可能性、あったところで意味はなかったのだ。
誰も子どもたちの助けにはならなかった。
私の『家族』は、
現状を打破するのには骨が折れるだろうけど、そのすべてを怠っていた時戻り前の私のツケを今払わされる形になるけど、それも二人のためになら頑張れる。
もし何かが私がそう在る事を拒み目の前に立ちふさがるのなら、今度こそ全身全霊で抗おう。
怠惰を捨て、勇気を持って、子どもたちに恥じない生き方で、何に対しても反逆すると、この時私は心に決めた。