きみは幸せだった? と訊いたなら、
不幸でしたと答えるだろう。
何故ならきみは、首を切って死んだから。
不幸だから生きるのを止めたのだと、そうとしか思えないから。
とある町の森の外れに、閉店した寂れた雑貨屋がある。ぼくは昔からその店が好きで――店長のきみが好きで、よく通っていた。店の周りは桜の樹で囲まれ、開花の時期はとても綺麗だ。個人の敷地内で誰も見に来ないから、ぼくときみは去年そこでお花見をした。
毎日毎日、お花見をした。
「あたしはね、誰とも関係が長続きしないの。今までできた彼は10人。みーんなあたしを振っちゃうの」
「たまたまだよ」
とぼくは言った。ぼくはきみが好きで、別れたいなんて思ったことはない。ずっとずっと一緒にいたいと。
「もしも別れることになったとしても、きみが気がつかないように別れてあげるよ」
「えー、そんなことできるの?」
「できるよ」
「気づかないなら、あたしはさみしくないね」
「うん。さみしくないよ。ぼくも、さみしくない」
「よかった。振られるのを怖がらないくていいもの」
きみはぼくにキスをした。
何度も何度もキスをした。
ぼくは訊いた。
「きみは今、幸せ?」
「うん。幸せ」
別の日。桜のほとんどが散り、雨が降っていた日。
ぼくときみは泥と花びらにまみれながらふたりでひとりになった。
狂うほどの幸せの中で、きみは言った。
「きみは、ずっと一緒にいてくれるんだよね」
「一緒にいるよ。ずっとずっと一緒にいるよ」
「じゃあ……」
「じゃあ?」
「来年もこうしてお花見をしようね。毎日毎日、お花見をしようね。来てくれなかったら、死んじゃうから」
ぼくは今年、お花見をしなかった。
出張で海外に行っていたからだ。
久しぶりに会えると雑貨屋を訪れた時、部屋の鍵は開いていて、ドアを開けると静寂だけがぼくを迎えた。
きみはもうこと切れていた。
桜の花びらが浮き、水が真っ赤になったバスタブでこと切れていた。
安心感があった。ぼくは警察に電話した。
警察を待つ間、ぼくは雑貨屋だった部屋を見回した。
テーブルの上に、きみの手書きのメモがある。
『きみはどこかにいってしまったね。
でも、あたしもどこかにいってしまえば。
あたしは振られたことにならないよね。
あたしが気づかないように、きみはあたしと離れられる』
その通りだよ。
ぼくもあの時、そういう意味で言ったんだよ。
きみがどこかにいってしまえば、きみは振られたと気づかない。
万が一、ぼくがきみと別れたくなったら。
きみをどこかに送ってしまえば、きみは幸せだと思ったんだ。
でも。
『大好き。大好きだったよ。たとえ×××××××××としても。
ねえ、きみは幸せだった?』
大好きとはあっても、最期に幸せか不幸なのかが書かれていないメモに、ぼくはアンサーを記す。
きみの綺麗な字の脇に、汚い字で書き加える。
『ぼくは幸せでした。
きみといる時間が幸せでした』
きみの体をバスタブから出して、元雑貨屋を出る。
葉桜になった樹の下に横たえ、隣に寄り添ってキスをする。
本当は、警察が来るまで触っちゃいけないんだろう。
触ったら何かの罪になるのだろうか。
せっかく安心したのに。
今回は、ぼくがやってないから安心して警察を呼んだのに。
『大好き。大好きだったよ。たとえきみが殺人鬼だったとしても。
ねえ、きみは幸せだった?』
きみはぼくの正体を知っていた。
けれど、ぼくが言葉の内に秘めた意味には気づいていただろうか。
きみが気がつかないように別れてあげるよというのは、嫌いになったら殺してあげるよという意味だ。
ぼくは今まで、ぼくを振った女の子を殺してきた。
殺したら、
ぼくが振られたことにはならないから。
きみだけは大好きすぎてできなかった。
ぼくはきみの愛を信じていたから。
きみは絶対に裏切らないと、そう信じていたから。
でも、ぼくが遠くに行っている間に。
きみはぼくに振られたと思ったんだね。
ぼくを愛し過ぎたせいなのか。
ぼくへの愛が足りなかったのか。
しあわせだったよ。
だから。
これからまただれかと出会うなんて考えられない。
まただれかと出会って、
ふられて、
殺すなんて。
でも、きみは不幸だったんだよね。
だからぼくも――
何人もの血が染み込んだ、何年も使っていなかった折り畳みナイフをポケットから取り出す。
パトカーのサイレンが、少しずつ近づいてきていた。