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<26・Smile>

 真夏の太陽が、ギラギラと照り付ける。

 肌に感じる潮風は熱く、濃い潮の香がした。今日はひときわ蒸しているようだ。お風呂で丁寧に洗わないとまたべたべたになってしまうことだろう、とフィオナは思う。まあ、そんなこと、この国で暮らすようになった自分達にとっては今更過ぎる問題ではあったが。

 それよりも、日射病を防ぐため、麦藁帽子が飛ばされないようにしなければいけない。いくら自分が一般女性より元気なタイプであっても、故郷のそれより遥かに強烈なこの日差しにはまだ慣れきっていないのだ。帽子をかぶり直し、まくれたTシャツを直して今日も町へと歩いていく。

 自分達が故郷を亡命してから、おおよそ五年。

 此処では自分達が元伯爵家の貴族と使用人だった事実を知っている者はいない。この国では、全て自分達の実力で、信頼を一から勝ち取っていかなければいけない。しかしだからこそ、生きていくのに相応しい国だったともいえる。この南国の人々は、能力さえあれば、人種も思想も関係なく受け入れてくれる気質の持ち主であったから。


「お」


 不意に足を止めたフィオナは、目をまんまるに見開いた。

 そこは一つの八百屋である。自分達がよく世話になっている店の一つだ。気に鳴ったのは、真っ赤に熟れたモロトマト。


「おおおおおおおおおおおおおお!おじさん、これえ!超美味しそうじゃないの!」


 カタコトの言葉でも関係ない。この国の言葉を話そうという姿勢を見せれば、それだけでこの国の人々は親切に接してくれるものだ。

 この八百屋を切り盛りする、カンデおじさんも同様だった。


「すっご、すっご!わあ、こんなに大きいモロトマト久しぶりに見た!」

「おお、おはようフィオナ。今日も元気だね。そしてお目が高くて何より。そのモロトマトは今朝ウーゴさんのところで収穫できたばっかりの品物さ。美味しそうだろう?」

「うんうん」


 フィオナは真っ赤な果実を手に取り、まじまじと見つめた。

 美味しいモロトマトを見分けるコツは、ヘタがしおれていないかどうか?お尻の形がツンとしているかどうか?そして、より艶やかな赤い色をしているかどうか、だ。

 果樹園を経営するようになってからまだ三年。それでも審美眼は育つというもの。ここまで美味しそうなモロトマトを見たのは初めてだった。

 しかも、本当に旬のいい野菜は安いことが多いのだ。このモロトマトについている値札も見て驚いた。これだけ大きなトマトが、一つたったの15レニーとは!自分達の生まれ故郷だったら、この十倍の値段はついていたことだろう。


「こ、これ!一箱全部くださいって言ったら怒られます!?」

「おお、太っ腹だねえ!元貴族のお嬢様はさすが」

「もう、やめてってばカンデおじさん!私達もう、貴族でもなんでもないんだから。この国に逃げて来た時点で、ただのフィオナと、ただのキャンディと、ただのエメリーと、ただのヒューイなんですからね」

「はいはい。あ、そうだ」


 トマトを梱包しながら、おじさんは思い出したように言った。


「君のところのロイヤルピーチ、今年はどうなりそう?去年はちょっと不作だったから心配しているんだよ」

「え」


 フィオナは驚く。この八百屋に商品を卸している業者は多数に上る。自分達も去年から一部商品を買ってもらっていたのは事実だが、まだまだロイヤルピーチを少数置かせて貰ったにすぎない。それなのに、もう覚えてくれたというのか。


「何そんなにびっくりしてるんだい。プロの八百屋ならこれくらいのことは当然さ!」


 おじさんは日焼けした腕で、大きくせり出したお腹を自慢げに叩いた。


「それに、君たちが作ってくれたロイヤルピーチ。あれ、確かに去年は数が少なかったようだけれど……それでも買ってくれたお客さんにはかなり好評だったんだよ。今年の秋はどうだい?みんなのためにも、たくさん持ってきてくれると嬉しいね!」

「そ、それはもちろん!」


 お金を渡し、トマトの箱を抱えながらフィオナは頷いた。


「そんなに期待してもらってんなら、私達もがんばらないとね!今年は去年より発育がいいの。雨が多かったのと、冬にしっかり冷えたってのが大きかったみたい。もっとも、この国の冬は、私たちの故郷よりずっと暖かいものだけど」

「そうらしいね。……というか、こんなにいっぱい、本当に君一人で持てるのかい?」

「ジョッジラノ!問題ないわ」


 ジョッジラノ、とはこの国の言葉で「何も心配ない」というポジティブな意味である。


「これでも私はとっても力持ちなんだから。農家やりながら、ちゃんと毎日体を鍛えてるの。なんといっても……家族がまた新しく増えるんですからね!」




 ***




 自分達がこの国に逃げて来た時。当たり前だが、財産にできるようなものは、着ていたドレスくらいしかなかった。あの会場から逃げる折、持っていくことができたのは僅かな貴重品と銃くらいしかなかったからである。

 明らかにワケアリ、上等な身なりの男女四人組。遠い西の国から亡命してきた自分達を助けてくれる人などそうそういないだろうと諦めていた。国際手配されてしまえば、この国の人達だって自分達を探すようになるからである。

 無論、この国を逃亡先に選んだのにも当然理由はある。

 一つは、自分達の故郷の国と、国交が失われていること。自由の国、と呼ばれるこの南国は、国際人権保護機構に属している。

 これはいわゆる宗教や肌の色、身分などでの不当な差別や弾圧を許さない、何より大切にされるのは個人の人権であるという考えの組織だ。もちろん、自分達の母国は参加しておらず、ことあるごとに国内でのクリシアナ教にまつわる『悪魔祓い』の儀式が人権侵犯にあたるとして非難されてきたという背景がある。

 そもそも、国外に犯罪者が逃亡したとて、それを引き渡すための条約というものを結んでいる国と結んでいない国があるのは事実なのだ。

 二つの国の間にはその条約がない。

 西国の政府にいくら要請されても、この国に逃げ込んだフィオナたちを引き渡すだけの義務がないのだ。そしてフィオナたちの故郷も、『大叔父への傷害罪』だけでエメリーを追い続けるのは非常に難しいだろうと予想されていた。金と手間がかかるからである。自分達が国家転覆でも目論んだ大罪人ならともかく、ほぼほぼやらかしたのは『クリシアナ教への背信行為』のみなのだから。


――それでも、新天地では苦労が絶えないだろうと思っていた。私達には何もなかったのだから。明らかにワケアリの四人組を雇ってくれる会社を探すのは、きっと難しいことだろうって。


 だが、自分達は出会いに恵まれていた。

 たまたま助けた老婦人が、とある果樹園を経営していたのである。そして、息子に先立たれてしまい、人手が足りなくて困っていたのだ。

 フィオナ達が住み込みの仕事を探していると聞くと、彼らは喜んで受け入れてくれた。この時点で南国の言葉が喋れたのは、勉強していたエメリー一人であったにも関わらず。


『あたし達は、なーんも気にしないよ。あたし達の家と、あたし達の果物を愛してくれる人ならそれでいいのさ。そもそも、この国の人間はあんたらよりずーっと大雑把なやつらが多いもんでねえ!』


 果樹園のおばあさんは、そう言って笑っていた。

 フィオナたちは彼女らの元で働きながら、果物を作るノウハウと、運営スキルを勉強させてもらったというわけである。

 元々この国には西国から逃げてくる人が少なくなかったらしい。そして、逃げてくるのは基本的に、クリシアナ教による弾圧を恐れた同性愛者たちばかり。老婦人も町の人々も、同性愛者の存在には慣れていたというわけだ。自分達にとっては二重で助かるのは間違いなかった。

 今は腰が曲がって仕事を引退した老夫婦に代わり、自分達がこの果樹園を切り盛りしているというわけである。一昨年からは新種の桃であるロイヤルピーチの栽培も初めている。


「あ、フィオナさーん!」

「フィオナさんだ!」

「フィオナままー!!」


 大きな木箱を持ってフィオナが帰宅すると、家の方からわらわらと子供達が飛び出してきた。

 黒い肌に黒い目の少年。

 赤い髪に黄色の肌の少女。

 金髪に青い目、白い肌の少年。

 三人の子供達は、三年前にフィオナたち家族が養子に迎え入れた子供達だった。そう、この家は今とても賑やかなのである。フィオナにキャンディ、エメリーにヒューイ。それから、初等部に上がる年ごろの三人の少年少女たち。孤児院育ちとは思えぬほど、駆け寄ってくる彼らの瞳はキラキラと輝いていた。


「ただいま、三人とも!今日はでっかーいトマトを仕入れてきたぞ!」


 フィオナはにかっと笑って言った。


「こいつで、大きなピザを焼いてやる!どうだ、嬉しかろう!」

「やった、ピザ!」

「嬉しいけど、フィオナさん大丈夫?また、オーブン爆発しない?」

「だ、大丈夫よ!私だってね、ちょっとは上達したんだから……多分!」

「多分かーい!」


 あははははは、と笑い声が上がる。おかしい。この国の言葉もカタコトとはいえ喋ることができるようになったのに、果樹園のあれこれもだいぶ覚えたというのに。どうして自分は、料理だけは一向に上達しないのか。

 まあ、手先が器用な残り三人にほぼ任せてしまっているからというのが大きいのだろうが。


「フィオナ、ただいま」


 ひょこり、と木造の家の窓から顔を出すのはエメリーだ。


「キャンディが、孤児院に新しい子を迎えに行ってる。ヒューイは果樹園だ。買い物お疲れ様。安心しろ、そのトマトは俺が上手に料理してやる。お前と違ってな」

「あんたはいちいち一言多いの!もう、もう!」


 その言葉に、三人の子供達が反応した。


「え、新しい家族増えるの!?弟、妹!?」


 同性愛者である自分達に、確かに子供は作れない。でも、家族を作ることはできるのだ。

 トマトの箱をエメリーに渡すと、一番誕生日が早いベリンダの頭をフィオナは撫でた。


「妹ちゃんよ。ベリンダ、貴女が一番のお姉ちゃんになるの。可愛がってあげてね」

「やったあ!」


 あの国で最も信じられていた宗教、その聖書にはこう書かれていた。『この世で愛ほど尊いものはなく、愛は全てにおいて最も重視され育まれるべきものである』、と。

 それは確かに、間違っていない。愛こそ、この世界で最も尊いものだ。人がその価値を誤らないのならば。誰かの愛もまた、尊ぶ心を持つことができるのであれば。

 自分達は今太陽の下、愛の為に生きている。

 誰にも否定されない、自分達だけの家族を作って。



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