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第4話 :華麗なる復讐と新たな道



 王都セレヴェールは、今や一種の緊張感に包まれていた。かつては活気に満ち、貴族の社交と商人の往来で賑わっていた城下町だが、最近は奇妙な噂が後を絶たない。


 ――王宮の関係者が次々と行方不明になる。

 ――黒魔術による儀式の痕跡が、近隣の森や教会跡で見つかる。

 ――第一王子アゼルは、最側近ロドルフにすべてを任せきりで、公務にもほとんど姿を見せない。


 噂を耳にした庶民たちの間では、不穏な空気がじわじわと広がっていた。しかし、“王太子の絶対的な信任を得ている”とされるロドルフには誰も逆らえず、国王夫妻も病に伏せっているという話が漏れ聞こえるのみ。事実上、ロドルフが王都の実権を掌握しつつある――多くの人々はそう感じていた。


 一方、そんな王都へ向かうべく動き出したのは、追放された伯爵令嬢シャーリーズと、その仲間たちだった。辺境の村で出会った元王宮魔術師グラド、弟子のアリン、流れ者の剣士レオン、そして生き残りの王宮騎士カイル。黒魔術の陰謀を阻止し、ロドルフの横暴を白日の下に晒すため、彼らは綿密な準備と情報収集を重ねてきたのである。


 「……本当に行くのね。危険は承知しているんでしょうけど」

 隠れ里の治癒師レイナは、まだ完全には回復しきっていないカイルに薬を渡しながら、心配そうに声をかける。

 「ああ、大丈夫です。あなたのおかげで、何とか戦線に復帰できるくらいには回復しました。もっとも、以前のように剣を振れるわけじゃありませんが……」

 カイルは苦笑しながら、まだ多少痛む肩を回す。廃教会での深い傷は、シャーリーズとレイナの治癒魔術・薬草治療によって奇跡的に完治に近い状態までこぎつけたが、激しい動作をすれば古傷が疼く。それでも、ロドルフの横暴を許すわけにはいかない。彼は亡き仲間たちの無念を晴らすため、無理を承知で剣を取る覚悟を決めていた。


 「私たちだって、何も考えなしに突入するわけではないよ」

 アリンがそう言いながら、地図を広げる。王都の外れにある下町や裏路地、古い下水道の位置関係を指し示し、侵入経路や退路を検討しているのだ。

 「王宮の正面ゲートから乗り込むなんて自殺行為だわ。ロドルフが用意した衛兵や兵士が待ち構えているだろうし、今の王都の雰囲気を考えると、迂闊に表を歩くだけでも目立つはず。グラド先生と私は、先に街へ潜入して“魔術の痕跡”を辿るつもり。カイルは、かつての仲間に連絡を取れるなら、それも有効な手かもしれない」

 「ええ、私も何人か、信頼できる騎士仲間の居場所を知っています。彼らがまだロドルフに与していないなら、協力を得られるかもしれません」

 カイルは表情を引き締めながら頷く。ロドルフ派に取り込まれた騎士たちばかりではないことを信じたいが、内部で誰が味方かは簡単には判別できない。

 そんな不安と期待が入り混じる中、シャーリーズは静かに口を開いた。

 「……私たちは、あの夜会で結ばれるはずだった王太子アゼル殿下にも会いに行くことになるでしょう。あの人は今、ロドルフに操られている可能性が高い。でも――それでも責任は免れないわ」

 自分を追放し、無実の罪を着せた張本人でもあるアゼル。その裏にロドルフの謀略があるとはいえ、彼女の心にはまだ消えない怒りと哀しみがあった。

 「それでも、アゼル殿下を救う必要があるなら……私たちはどう動くべきか、現状を見極めないといけない。ロドルフを討つだけが目的じゃないの。国を壊されないようにすることが大事だから」

 シャーリーズの目には、揺るぎない決意の光が宿っている。隣に立つレオンはそれを見て、わずかに目を細めた。彼女が持つ芯の強さと優しさに、いつしか深く惹かれるようになった自分を再認識する。だが、今は無粋な感情を口にする時ではない。


 こうして、彼らは隠れ里を出発し、王都を目指す旅へと踏み出した。グラドとアリンは魔術に関する書簡や道具を携え、カイルは騎士の証である短い軍用マントと、治癒師から借りた新しい鎧を身に着けている。シャーリーズは、以前とは比べ物にならないほど鍛えた身体と精神を、そして新調したローブをまとい、腰にはグラド特製の魔術用短杖を差していた。レオンはいつも通り軽鎧に片手剣を携え、臨戦態勢を整えている。


 道中、危険を避けるために街道を大きく外れ、森や廃村を抜けながら数日の行程を経て、ようやく王都近郊へとたどり着く。そのころには、空模様も重々しい雲が垂れ込め、冷たい風が吹き付けていた。まるでこれから起こる大きな嵐を予感させるかのようだ。


街への潜入と再会


 王都セレヴェールの外周部――かつてシャーリーズが追放されたとき、護衛兵に無理やり連れ出された門の付近は、今も立ち入りの監視が厳しかった。かと言って、他の門が安全とも限らない。

 グラドは「裏から下水道を通る」「夜を待って古い路地から進む」など、いくつかの潜入作戦を考案していたが、実際のところは当日の状況を見て判断するしかない。下水道は危険が多く、魔物が潜んでいる可能性もある。一方で、夜間の城下町を通れば、盗賊やならず者の横行を避けられない。

 結局、グラドとアリンは魔術を用いた“簡易幻術”で姿をある程度ぼかしつつ、夕刻に城下町へ入り込むことにした。カイルは街の裏門方面から旧知の騎士仲間を探し、レオンはシャーリーズを守りながら別のルートで潜入を試みる。

 もし何かあれば王都の中心近く――かつてシャーリーズが暮らしていた伯爵家の近所にある小さな教会跡で合流する、という手筈だった。


 「……気が重いわね。まさかまた、王都の石畳を踏むことになるなんて」

 シャーリーズはそう呟き、目の前に広がる城下町の姿を見つめる。高い塀の内側には、懐かしいようで苦い思い出が息づいていた。

 「大丈夫さ。もし何かあっても、俺がいる」

 レオンが軽く微笑み、彼女の肩をポンと叩く。そのしぐさに、シャーリーズは小さく笑みを返した。今は、もう孤独ではない。この数か月で得た仲間や、自分自身が培った力を信じたい。


 夕暮れが深まるころ、彼らは城下町の裏路地からしのび足で潜入した。思ったほど警備兵の数は多くなく、むしろ街並みには独特の張り詰めた静けさが漂っている。

 (ロドルフが、王都の警備をどう変えているのか読めないけど……むやみに人員を増やすと反発を招くから、彼は暗部の情報統制に力を入れているのかもしれない)

 そう推測するシャーリーズの隣を、レオンが無言で歩きながら周囲の気配をうかがう。時折、住民と思しき人影が細い路地に顔を出すが、すぐに怯えた様子で引っ込んでしまった。

 「……ここは昔、もっと賑やかだったはずなんだけど」

 伯爵令嬢として、王都の繁栄を“上から見ていた”ころの記憶と、今目にする荒んだ街の様子が大きく食い違う。浮浪者のような人々があちこちにたむろし、貧困を思わせる影が広がっている。街がここまで疲弊しているのは、王宮の統治が機能していない証拠だろう。


 そして、やがて旧市街地に差し掛かる手前で、彼らは思わぬ人物と再会することになった。

 「……シャーリーズ……?」

 か細い声が路地裏から聞こえ、振り向くとそこに立っていたのは教会の修道女リディアだった。王都を出て以来、別行動となっていたはずの彼女は、ぼろぼろの外套に身を包み、疲れ切った表情をしている。

 「リディア! どうしてこんなところに……あなたは、教会で働いているんじゃなかったの?」

 思わぬ再会に、シャーリーズは急いで駆け寄る。リディアはどこか涙目で、彼女の手を取った。

 「ずっと心配していたのよ。あなたが危険に巻き込まれているんじゃないかって……私のほうも王都が怪しい空気になっていて、何とか教会を通じて助けたいと思ったんだけど……。いまじゃ教会も王宮の監視下にあって、思うように動けない状態なの」

 その言葉に、シャーリーズは嫌な予感を抱く。以前出会った神父や修道女たちも、ロドルフの影響下にある王宮と関係を断てない立場だ。もし教会が完全に抑え込まれているなら、正面切って行動はできまい。

 「リディア、あなたは危険を承知でここにいるの? 私たちは今から、王宮の陰謀を暴きに行くのよ。巻き込んだら大変じゃ……」

 リディアは首を振った。

 「いいえ、私も一緒に行きたい。こんな恐ろしい状況を見過ごせない。せめて治癒師として、あなたたちの助けになりたいの。……それに、あなたが戻ってきたら、きっと王太子殿下や大臣たちに糾弾されると思っていたけど、やっぱり戻ってきたのね」

 彼女の瞳には迷いがない。シャーリーズは一瞬、リディアを危険に晒すことを躊躇したが、思い直す。こういうときこそ、彼女の“優しさ”と“意思の強さ”が大きな支えになるかもしれない。

 「わかった。今は仲間が多いほうがいいわ。私たちも、あなたの助けが欲しい。……ありがとう、リディア」


 こうして、思わぬ形で仲間が増えた一行は、古い教会跡を目指す。そこは数年前に火災で焼失したため使われておらず、今はほとんど廃墟同然だが、最低限の身を隠すには十分だ。


廃教会での作戦会議


 王都の旧市街を抜け、ほとんど人の気配がない路地を経由して廃教会へたどり着くころには、夜が更けていた。ガラスの割れた窓や焦げた柱が、かつてここが教会だった面影をわずかにとどめている。

 シャーリーズたちが扉を開けると、先に到着していたアリンがいた。どうやらグラドは別の調査を続けているようだ。カイルもまだ姿を見せていない。

 「大丈夫だった? 王都の様子はどう?」

 アリンが心配そうに聞いてくる。シャーリーズはリディアとの再会を報告し、教会の閉鎖や町の異様な雰囲気について話した。

 「やっぱり状況は悪化しているのね。私たちはさっき、王宮近辺を少し遠目から観察したけど、夜にもかかわらず門周辺の警備が手薄なの。逆に、城下町のパトロールがやけに多いわ」

 レオンが首をかしげる。

 「それって妙だよな。普通、王宮を守るなら正門や城壁の警備を増やすはずなのに」

 「そう……まるで、町の中を警戒しているというより、住民を監視しているかのような動きなのよ。兵たちが小隊を組んで路地を巡回しているらしいわ。誰かを探しているのか、それとも暴動を警戒しているのか……」

 王都全体が、いつ暴動や騒乱が起きてもおかしくない緊張状態にあるのかもしれない――そう推測するアリンに、シャーリーズも同意する。ロドルフがやりたい放題を続ければ、民衆の不満が頂点に達しても不思議ではない。


 そこへ、大きく軋む扉の音が聞こえ、入ってきたのはカイルだった。見ると、彼の背後に騎士の装備らしき影がもう二名。怪訝そうにこちらを見る男性と、少し気弱そうな若い騎士が続いている。

 「紹介します。彼らは私の仲間――王宮騎士団のレナートとベルクです。どちらもロドルフの命令に疑問を持ち、私と同じように独自に動いていたんですよ」

 カイルの言葉に、レナートが前に進み出て名乗った。短く刈り込んだ黒髪と、いかつい顔つきに似合わず、深々と礼儀正しく頭を下げる。

 「私も、黒魔術に関する噂を聞いておりました。まさか、ロドルフ様が深く関与しているとは信じたくありませんでしたが、カイルが話してくれた内容を聞く限り、もう疑う余地はありません。もしこのまま放置すれば、国は滅びかねない……」

 一方、ベルクはまだ若く、青ざめた顔で口を開く。

 「僕は正直、怖いです。でも、騎士団の誇りにかけて、あの男の悪行を見過ごすわけにはいきません。ロドルフ様の下で働く騎士の中にも、不満を抱えている人は多いはずです。うまく連携できれば、きっと協力してくれる……と思いたいです」

 この二人を見て、シャーリーズは少しだけ胸を撫でおろす。王宮騎士団すべてが敵というわけではない。ロドルフに盲従している者もいれば、こうして正気を保つ者もいるのだ。

 「みなさん、ありがとうございます。私の名前はシャーリーズ……追放された伯爵令嬢といえば、ご存じかもしれませんね」

 そう言うと、二人の騎士は明らかに表情を曇らせ、申し訳なさそうに言葉を濁した。

 「そう、あの婚約破棄……私たちも詳しい事情を知らずに鵜呑みにしていました。あなたが闇取引をしているなんて、今となってはデタラメだったと分かります。失礼しました」

 「いいの。私も、あのときは何もできず、追放されて……でもいまは、あなたたちと同じ道を歩いているわ。だから力を貸してほしい。ロドルフの陰謀を止め、王太子殿下の目を覚まさせるために」


 こうして廃教会には、シャーリーズの仲間に加えて、新たに騎士たちが少数合流し、さながら秘密結社のような緊迫した雰囲気が漂う。

 彼らは今後の作戦について時間をかけて議論した。ロドルフの拠点がどこにあるのか、王宮内部をどう攻略するか、そして最終的に王太子アゼルを説得する方法はあるのか。

 だが、情報は圧倒的に不足していた。グラドが姿を見せないまま、夜は更けていく。


グラドの警告


 深夜、みなが疲れ果てて眠りにつこうとしていた頃、風のようにドアが開いてグラドが戻ってきた。肩で息をし、ローブの裾が焦げたようになっている。何か戦闘があったのだろうか。

 「先生、大丈夫!? 怪我はない?」

 アリンが真っ先に駆け寄るが、グラドは「平気だ」と吐き捨てるように言って、近くの椅子に倒れ込むように腰掛けた。

 「少しばかり強力な魔物に襲われてな。どうやらヤツらは、王宮周辺にも“使い魔”を放っているようだ。黒魔術師どもが、この王都を実験場にしようとしている証拠だろう」

 疲労困憊の面持ちでありながら、彼は懐から複数の巻物を取り出し、テーブルに並べる。そこには古代文字の刻まれた禍々しい文様や、血の色に似たインクで描かれた符号が記されている。

 「見ろ。これは廃教会での儀式と同じ系統の魔術書だ。王都のある屋敷に隠されていた。……俺が少し探ってみたんだが、どうやら“次の儀式”は王宮の地下で行われる可能性が高い」

 シャーリーズたちは声を失う。王宮の地下で、黒魔術師が大々的な儀式をするなど、正気の沙汰ではない。だが、ロドルフが王太子を抱き込んでいるなら、王宮内のスペースを自在に利用することが可能かもしれない。

 「もしこれが成功すれば、“魔人”どころじゃない。国そのものが闇に飲まれるだろう。具体的にいつ決行されるかは分からないが、おそらく近日中だ。あのロドルフという男は、すでに“王太子殿下の新体制”をぶち上げるなどと噂されている。儀式の成功を機に一気に権力を掌握する腹積もりだろうさ」


 まさに一触即発。黙っていては国全体が破滅する。それを食い止めるには、王宮の地下へ侵入し、ロドルフや黒魔術師たちを撃破するしかない――そう結論づけるのは容易いが、実際にやるとなると死を覚悟する必要がある。

 静まり返った廃教会の中で、レオンが一歩前へ出て言う。

 「……俺たちは、やるしかないんだろう? どうせここまで来たんだ。尻込みしたところで状況は変わらない。なら、多少の無茶を承知で突き進むだけだ」

 彼の瞳には、決意が燃えている。追放者や流れ者として逃げ回るだけだった過去から脱却し、誰かを守るために力を振るう覚悟が伝わってきた。

 「賛成です。何もしなければ、ロドルフの思うがまま。王太子殿下を利用して、この国を闇の王国にしてしまうかもしれない……。でも、私たちが王宮に潜入すれば、あるいは――」

 シャーリーズもまた、同じく前を見る。思い返せば、伯爵家で押し付けられていた「王太子妃になる未来」を失ったあの日から、この瞬間を迎えるために歩んできたのかもしれない。自分の誇りと意志の力で、奪われたものを取り戻し、さらには国を守る道を切り開きたい。

 カイル、レナート、ベルクといった騎士たちも歯を食いしばる。グラドやアリンは言わずもがな、ここまで黒魔術の脅威を追ってきた当事者だ。リディアも沈んだ顔をしながら、それでも意志は固い。

 「決行は、できるだけ早いほうがいいね」

 アリンが地図をテーブルに広げ、王宮とその周囲の見取り図を指差す。

 「まだ“儀式の日取り”が確定していないなら、ロドルフも油断している可能性がある。王都の内外にいる仲間を総動員して、王宮の地下に突入、もしくは上層部への奇襲をかけるしかない」

 「どうやって突入するかが問題だが……この地図によれば、王宮の南側に古い地下水路がある。今は使われていないかもしれないが、実は正規の騎士たちが有事の際に脱出に使うルートがあったはずだ」

 カイルが指し示す場所は、王宮の南壁のさらに下層に通じる廃井戸のようなマーク。確かに非常時の抜け道として騎士たちに伝えられていたが、現在は王宮内部から封鎖されていると聞く。

 「それを破って潜入するのか? 騒ぎにならないか?」

 レオンが眉をひそめると、レナートは肩をすくめて答えた。

 「騒ぎになるかどうか以前に、兵士がそこまで警戒していない可能性が高い。むしろ正面から行けば一瞬で捕縛される。成功率は低いが、やるならここしかないだろう」


 作戦は固まってきた。地下水路から潜入して、王宮地下を突き止め、黒魔術師を撃破する。その際、状況を見て王太子アゼルにも接触する。もしアゼルがロドルフに完全に取り込まれていたら――悲しいが、彼を排除するか、もしくは強引にでも目を覚まさせる必要がある。

 さらに、王宮内部に潜伏しているかもしれない反ロドルフ派の騎士たちに呼びかけられれば、少しは助力を得られるかもしれない。

 「大人数で行動すると目立つから、潜入班は必要最低限。それから、騎士たちは町の各所で陽動を仕掛け、パトロール隊を引きつけてくれると助かるわ。そうすれば、私たちが地下へ潜り込む時間が稼げる」

 アリンの提案に、レナートたちは即座に同意する。自分たちは潜入よりも、外部での陽動作戦や、いざというときの救援隊として動くほうが得策だろう。

 「わかった。では、明日の夜に一斉に動く。今夜はもう休んで、体力を温存しておけ」

 グラドの声には張り詰めた空気が含まれている。誰もが、この作戦が生死を分ける大勝負になることを理解していた。


王宮地下への突入


 翌日の夜が更けたころ、王都の一角でいくつかの騎士団装備をまとった人々が不審な動きを見せ始める。城下の広場や区役所、兵舎周辺で小競り合いや抗議の声が上がり、兵たちがそちらに気を取られる。

 それと同時に、シャーリーズたちは南壁の地下水路を目指して動き出した。メンバーはシャーリーズ、レオン、グラド、アリン、カイル、そして治癒師リディアを含む合計六名。レナートたち騎士の一部は陽動に参加し、残りは万が一の脱出ルートを確保するため別働隊を組んでいる。

 夜闇に紛れ、南壁の近くまでたどり着くと、幸いにもそこに兵士の姿はない。薄汚れた古井戸の縁を確認すると、鉄格子がかけられていたが、グラドが低い声で呪文を唱えると錆びた鍵が外れるように壊れた。

 「そうそう都合よく開くもんかね……いや、強行突破でも構わんが、なるべく音は立てたくない」

 レオンが釘を刺すように言うが、グラドは「問題ない」とばかりに杖を振るい、鉄格子をゆっくり押し開ける。

 カイルが先陣を切って中を覗き込むと、暗く湿った井戸の底へと繋がる梯子があるようだ。ある程度深い場所で、横穴が伸びているのが見える。

 「ここが昔、非常口として使われていた坑道です。誰も通っていないなら、相当朽ちているかもしれません。足元に気をつけて」


 全員が慎重に梯子を降り、狭い横穴を進む。漂う空気はカビ臭く、生温い。どこか排水の溜まり場に似た不快な湿度が身体にまとわりつく。

 さらに奥へ進むと、朽ちた木製の扉が一枚立ちふさがっていた。カイルが力を込めて押すと、ぎい、と軋む音を立てて開く。その先には人工的に整備された通路が伸びていた。石で作られた壁と天井。かつて王宮の地下回廊として利用されていたのだろうか。

 「……魔物の気配がする。気を引き締めろ」

 グラドが低く警告する。すると、シャーリーズもかすかに肌を刺すような嫌な気配を感じ取った。あの日、廃教会で黒魔術師たちと対峙したときにも感じた、闇属性の魔力の残滓に似ている。

 そっと進むと、案の定、通路の先に狼のような魔物が一匹うろついていた。だが、あからさまに普通の狼より大きく、眼光はギラギラと赤黒く光っている。まさに“魔物”と呼ぶべき外見だ。

 「来る……!」

 アリンが短剣を構えるのと同時に、魔物は咆哮を上げて突進してきた。しかし、さすがは鍛え抜かれた面々。レオンが剣を振るって牽制し、グラドが素早い呪文で魔物の動きを鈍らせる。

 とどめを刺したのはシャーリーズだった。

 「……っ、集まれ、浄化の光!」

 必死にイメージを結び、右手に構えた魔術用短杖へ魔力を集中する。これまで練習してきた攻撃魔法は、まだ未熟だが、闇属性に対する浄化の力が含まれる初歩的な“光魔術”が使えるようになったのだ。

 杖の先端が眩い金色に輝き、魔物へと奔る。衝撃とともに魔物は悲鳴を上げ、その体表から黒い煙が立ち上る。ほどなくして絶命したのか、その場に崩れ落ちた。

 「す、すごい。ちゃんと攻撃魔法が使えるようになってるじゃないか……!」

 レオンが驚き混じりに声を上げると、シャーリーズは少しだけ息を切らしながら微笑んだ。

 「まだ威力は大したことないけど、闇属性に対しては有効みたい。グラド先生の教えのおかげよ」

 「ふん、まあ合格点というところだな。だが、もっと強力な相手が出てくる可能性はある。気を抜くなよ」

 グラドが口ではそう言いながらも、目はどこか誇らしげだ。シャーリーズの成長を感じ取っているのだろう。


 リディアは後方で看護と治癒魔術の準備をしながら、祈るように仲間の背中を見つめている。いつ何時怪我人が出ても対応できるよう、常に魔力を落ち着かせておかなければならない。


 こうして先へ進むと、魔物や闇の気配はさらに濃くなっていった。壁や天井に黒いシミのような模様が広がり、ところどころに血痕の痕跡が見える。まるで、すでにこの地下回廊が“黒魔術の儀式場”となりつつあるかのようだった。

 シャーリーズは胸騒ぎを覚えながら、仲間たちとともに暗い石畳を踏みしめる。次に待ち受けるのは、いったい何か。


王太子との再会


 通路を抜けた先には広い地下空間が広がっていた。かつて倉庫や牢獄として使われていたのだろう、高さのある天井といくつもの支柱がそびえ立ち、部屋のあちこちに旧式の檻や仕切りが並んでいる。

 そして、その中央部――石床に描かれた巨大な魔方陣が、不気味に煌めいていた。黒と赤を基調としたその円環には、獣の骨や血の痕跡が散りばめられ、幾つもの蝋燭が妖しく揺れている。

 「こ、これは……」

 リディアが青ざめた顔で呟き、シャーリーズも言葉を失う。まるで廃教会で見た光景の“巨大版”がそこにある。

 「やはり、ここで大規模な黒魔術の儀式をするつもりだ……」

 グラドが苦々しい表情で言い放ったそのとき、暗闇の奥から足音が響き渡った。

 「フフ……まさか本当にここまで来るとはね。愚か者どもが」

 聞き覚えのある冷たい声――ロドルフ。それは、シャーリーズを婚約破棄の宴で公衆の面前で貶めた、あの側近。やがて、彼が一人悠然と姿を現した。漆黒の衣をまとい、手にした杖からは禍々しい気配が漂っている。

 「ロドルフ……!!」

 真っ先に声を荒げたのはカイルだ。彼は怒りに任せて剣を抜き、今にも斬りかかりそうな気迫を放っている。

 「お前のせいで、仲間たちは無残に殺された! こんな邪法を国に持ち込んで、いったい何を企んでいるんだ……!!」

 しかしロドルフは「フン」と鼻を鳴らしてあざ笑うだけ。

 「何を、だって? もちろん、王太子殿下を“闇の王”として即位させるためさ。おとなしいだけの殿下より、もっと強大な力を与え、僕の――いや、我らの望む形で王国を再建する。そうすれば、僕こそが国の実質的支配者となれるわけだ」


 唖然とするシャーリーズやカイルたちを余所に、ロドルフは杖を掲げる。すると床の魔法陣が淡く発光し、ゴゴゴ……と鈍い振動が地下室全体に響いた。

 そして、暗闇からもう一つの人影がゆっくりと姿を現す。

 「……ロドルフ、お前に任せていたが、まさかシャーリーズがここまで現れるとはな」

 シャーリーズの心臓が凍りついた。その声は、婚約者だったはずの王太子アゼル――まさに、彼女の運命を翻弄した男のもの。

 しかし、そこに現れたアゼルは、かつての穏やかな面影を完全に失っていた。頬はやや痩せ、瞳は濁った金色に沈んでいる。漆黒のマントに、胸には王家の紋章を象った金具が輝いているが、それらもどこか異様な雰囲気を漂わせていた。

 「アゼル殿下……」

 シャーリーズは目を見開き、声を震わせる。

 アゼルは、うっすらと口元を吊り上げて彼女を見下ろした。

 「お前は、追放されたはずだ。国を陥れる陰謀を働いていた汚れた女……。今さら何の用だ」

 「陰謀なんて、すべてデタラメです! あなたはロドルフに騙されているのよ……!」

 必死に訴えるシャーリーズだが、アゼルの表情には冷たい嘲笑しか浮かばない。

 「ロドルフが、僕を騙す? ……ふざけるな。そもそも、お前がこの国の役に立たないと分かったから、僕は婚約を破棄したんだ。お前に心を惑わされる必要などない。……それとも、まだ自分が王太子妃になれるとでも思っているのか?」


 聞き慣れた声のはずが、今は恐ろしく冷徹で遠い。シャーリーズの胸には怒りと悲しみが混在して燃え上がる。

 (こんなにも……変わってしまったの? 本当に私を切り捨てて、ロドルフの力に溺れているの……?)

 喉が焼けるように痛む。それでも、ここで退くわけにはいかない。王都を、国を、このまま闇に落とすなど許せない。


 「殿下、目を覚まして……! あなたのそばにいるロドルフは、黒魔術で国を支配しようとしている! あなたを闇の力で操り、人々を苦しめているのよ……!」

 叫ぶシャーリーズの声に、アゼルは苛立ったように眉をひそめる。ロドルフは横から口を挟むように囁いた。

 「殿下、この女の言葉に耳を貸す必要はありません。あなたが今ここで“力”を完成させれば、誰にも邪魔されない真の王となれる。……さあ、儀式を始めましょう」

 そう言ってロドルフが杖を振り上げると、魔方陣の光がさらに強まり、周囲から低い唸り声のようなものが響きだす。蝋燭の炎が狂ったように揺れ、床や壁から黒い影の触手が伸びてきた。


 「いけない……このままじゃ、アゼル殿下が本当に“闇の器”にされてしまう……!」

 グラドが焦燥の声を漏らす。同時に、闇の触手が彼やアリンの足元を絡め取ろうとしてくる。

 「くっ、離れろ!」

 カイルが剣で叩き切ろうとするが、闇の触手は斬ってもすぐに再生するように蠢いている。

 「こんなバケモノ相手に……!」

 レオンも必死に剣を振るいながら、シャーリーズのほうに視線を送る。

 「シャーリーズ、ここはお前の光魔術しかないだろう……!」

 (そうだ、闇を打ち払うには光が必要……!)

 シャーリーズは短杖を握り締め、深く息を吸う。自分が学んだ浄化の力を、最大限に発揮しなければ――みんなが闇に飲まれてしまう。


 「私が、やる……!」

 胸の奥に渦巻く決意と怒り、そして悲しみを、一筋の光に変えるイメージを抱く。かつて“治癒魔術”に目覚めたときの記憶も呼び起こし、魔力を短杖の中心に凝縮する。

 「消え失せろ、穢れた闇の力よ……!」

 彼女が短杖を振りかざすと、金色の光が炎のように迸った。それは周囲に絡みついていた黒い触手を焼き払い、アリンたちを解放する。ロドルフは目を眇め、憎々しげにシャーリーズを睨んだ。

 「ほう……その程度の光で、僕の闇をどうにかできるとでも?」


 激昂したロドルフは、新たな呪文を唱えはじめる。魔法陣がいっそう強く発光し、闇の気配が渦を巻くように収束していく。部屋の中央に、ドロドロとした漆黒の塊が姿を現し、それが人間の姿へと変化し始めた。

 ――黒魔術の粋を集めて“魔人”を生み出そうというのか。かつて廃教会で未遂に終わった儀式を、ここで完成させるつもりなのだろう。

 「この国は、闇の力によって進化する! いまさら貴族だの騎士だの、無能な制度には期待しない! 僕が選んだ“闇の王”アゼル殿下こそ、新たな時代を切り拓くんだ!」

 ロドルフの狂気に満ちた笑みが浮かぶ一方、アゼルは何か苦しげに頭を押さえていた。ロドルフが黒魔術によって彼を意のままに操ろうとしているのか、それとも自我が消えかけているのか――表情が歪んでいる。

 (殿下……!)

 シャーリーズは胸を突き上げるような感情に耐えきれず、アゼルへと駆け寄った。だが、魔人の形をとりつつある闇の塊が、凶暴な咆哮を上げながら彼女の行く手を阻む。

 「シャーリーズ、俺が引き受ける……! お前はアゼルに行ってくれ!」

 レオンがすかさず身を投げ出すように前へ飛び込み、魔人の剛腕を剣で受け止めた。衝撃で床の石が砕け、二人が激突する。このままではレオンが危ない――だが、彼は歯を食いしばって耐え、シャーリーズを振り返る。

 「早く……! お前しか、アゼルを止められないんだろ……!」

 (レオン……!)

 シャーリーズの胸に熱いものがこみ上げる。たとえ彼が命の危険に晒されようとも、今はその思いに応えなければならない。

 彼女は一気にアゼルのもとへ駆け寄り、彼の腕を掴んだ。

 「殿下、聞いて……! 私がどうしてここまで来たと思いますか? 追放された身で、危険を承知で……! あなたを憎んでいる、でも……あなたをこのまま闇に堕としたくないの!」

 アゼルは混濁した瞳でシャーリーズを睨むが、その表情には苦悶が滲んでいる。明らかにロドルフの魔術に意識を操られているのだろう。

 「黙れ、シャーリーズ……! もう僕には、お前など……!」

 「いいえ、あなたは本来、そんな弱い人じゃない! ロドルフに振り回され、黒魔術に心を侵されているだけ……!」


 横で見ていたロドルフが舌打ちする。

 「邪魔だ、あの女を排除しろ、殿下……!」

 ビリビリと闇の稲妻がアゼルの身体を包み、彼の表情がさらに苦痛に歪む。だが、シャーリーズは必死にその手を離さない。自分の光の魔力を少しでも、彼に届けるように。

 「私がここまで来たのは、あなたを救いたかったから……でも、無理なら……私があなたを倒すしかない。それでもいいの?」

 絶叫にも似た叫びに、アゼルの瞳がほんのわずかに揺れる。

 思えば、幼いころにふと見せてくれた笑顔や、宮庭での散歩、夜会で踊った記憶――それらがすべて嘘だったわけではないはずだ。ロドルフの陰謀によって踏みにじられたこの国を、アゼル本人も守りたかった時期があったのではないか。

 「思い出して……あなたが王太子として誓ったことを。人々を守り、国を繁栄させると……そう言っていたころのあなたに戻って……!」


 その瞬間、アゼルが大きく喉を詰まらせるように咳き込み、両手で頭を抱えた。ロドルフの「殿下、どうした!」という焦った声が聞こえる。

 「ぐ……あ、ああ……頭が……割れる……!」

 アゼルの金色の瞳が一瞬、揺るがされるように正気を取り戻しかけたかと思うと、再び闇の力が上書きしようとする。

 (あと少し……!)

 シャーリーズは彼に寄り添い、自分の光魔力を注ごうと試みる。人の心を操るほどの力はないが、“治癒魔術”の派生として相手の体内を浄化するイメージを思い描いた。

 「……落ち着いて、あなたはこんなところで終わる人じゃない……!」

 震える声でそう伝えたとき、アゼルの中で大きな衝突が生じたのか、彼は強烈な悲鳴を上げ、ロドルフの呪縛を振りほどくように後ろへ倒れ込む。

 「くっ……殿下、何をしている……!」

 ロドルフが怒りの表情を見せると同時に、魔人の唸り声が響く。だが、見るとレオンが魔人の腕を深く斬りつけ、アリンも空中から風の刃を放って魔人を翻弄している。グラドも加勢し、闇の怪物を封じ込めつつあった。


 「ロドルフ……!」

 シャーリーズが振り向くと、彼は杖を握りしめ、今にも最強の呪文を放とうとしているようだ。

 「ちっ……ならば、まずはお前から血祭りに上げてやる……! 死ぬがいい、裏切り者め!」

 ほとばしる闇の稲妻がシャーリーズに襲いかかる。しかし、真正面から来るそれを回避するのは難しい。次の瞬間、鋭い火花が散り、シャーリーズは思わず目を瞑った。


 しかし、襲ってきた闇の刃は、別の剣によって受け止められていた。

 「カイル……!」

 彼は血を滲ませながらも、かろうじて剣を構えてロドルフの攻撃を逸らしたのだ。

 「こんなところで、俺は死ねない……仲間の無念を晴らすまで……!」

 震える腕で必死に剣を支えるカイル。その姿を見たロドルフがさらに追撃の呪文を唱えようとした刹那、横合いから光弾が飛んできて彼の杖を弾き飛ばした。

 「させない……!」

 放ったのはシャーリーズだ。先ほどまでアゼルに注いでいた魔力は、限界ぎりぎりとはいえ、最後の力を振り絞って光弾へと変えたのだ。ロドルフは腕を弾かれ、杖を床に落として転がる。

 「バカな……僕がこんな……!」

 口元から血を流しながら、ロドルフは怨嗟の声を吐く。そこへ、アゼルを支えたレオンが駆け寄り、ロドルフの動きを封じるように剣を突きつける。

 「終わりだ、ロドルフ……!」

 しかし、ロドルフはそれでも諦めず、不気味な笑みを浮かべて小さな短剣を取り出す。闇の刃がその先端に宿っているのか、禍々しい気が立ち上る。

 「ならば道連れにしてやる……!」

 ロドルフは自らの胸に短剣を突き立てるような動きを見せ――その血をもって最後の呪いを発動させようとした。もし成功すれば、この部屋全体を吹き飛ばす程の破滅的爆発が起こりかねない。


 だが、その刹那、カイルの剣が素早くロドルフの腕を切り払った。

 「ぐあっ……!」

 ロドルフは短剣を地面に落とし、悶絶する。命こそ助かったが、既にまともに魔術を唱えられないほどダメージを負ったのだ。

 「……悪魔が……!」

 ロドルフはなおも暴言を吐くが、すぐに意識が遠のいていく。


 こうしてロドルフは事実上、戦闘不能となった。魔人のほうも、グラド、アリン、レオンの連携攻撃とシャーリーズの光魔術により消滅寸前まで追い詰められている。


真の決着と新たな道


 激戦の末、部屋には荒い息遣いだけが残った。魔人は消え去り、ロドルフは動けない。奥のほうではアゼルが倒れ伏し、怯えたように肩を震わせている。

 「終わったの……?」

 リディアが駆け寄り、怪我人たちを確認する。カイルの腕からは血が流れていたが、命に別状はなさそうだ。レオンも浅い傷を負っているが、大事には至っていない。

 シャーリーズは少しふらつきながらアゼルのもとへ歩み寄った。彼の瞳はまだ定まらず、しかし先ほどまでの闇の狂気は薄れている。ロドルフの力が消え去った影響だろうか。

 「……シャーリーズ……お前は……」

 アゼルが掠れた声で呟く。顔は苦痛と後悔に歪んでいるようにも見える。ほんの少し、正気を取り戻したのかもしれない。

 「殿下……もう何も言わないで。とにかく、今は安全な場所で治療を……」

 シャーリーズはそう言いかけ、続く言葉を飲み込む。

 (安全な場所? 王太子としての責務は……この国をどうするの?)

 様々な疑問が渦巻くが、今はそれを問う時間ではないのかもしれない。彼は明らかに闇の魔力に蝕まれており、精神も肉体も限界に近い。

 しかし、アゼルは微かにシャーリーズの手を掴み、途切れ途切れに声を絞り出す。

 「すまない……。僕は……ロドルフに……全部、任せすぎた……。お前の言葉を……聞かなかった。……許して、くれ……」

 涙のようなものが、濁った瞳からこぼれ落ちる。シャーリーズは複雑な思いに駆られた。かつて愛した人が、今こうして悔いている。それでも、過去のすべてが帳消しになるわけではない。

 「殿下……私は許すかどうか、まだ答えられません。だけど、あなたが本気で償おうとするなら、まだ遅くはないはず……この国の王族として、あなたにしかできないことがあるでしょう」

 その声に、アゼルはうなだれるように頷いた。崩れるように気を失い、シャーリーズの腕の中に倒れ込む。

 「殿下……」

 シャーリーズは戸惑いながらも、少なくとも彼を見捨てることはできなかった。もう一度、やり直せるなら――たとえ王太子妃には戻らなくても、アゼル自身が国を建て直す責務を果たすならば、それが彼にとっての“本当の救い”になるだろう。


 そして、グラドたちがロドルフを捕縛しようとした矢先、奥の扉を破ってレナートやベルクら騎士たちが駆け込んできた。どうやら陽動作戦が成功して兵士の大半を街中に引き離し、最終的に王宮へ突入してきたらしい。

 部屋を見回した騎士たちは、魔術陣の惨状とロドルフの姿を見て驚愕すると同時に、これですべての謎が解けたと確信したようだ。彼らは素早くロドルフを拘束し、負傷者の手当てに取り掛かる。

 「王太子殿下の護衛を……! まだ殿下は意識不明だが、息はある!」

 「こちらの黒幕はこの男、ロドルフ。黒魔術に手を染め、国を我が物にしようとした重罪人だ……!」


 この地下で行われようとした凶行が暴かれた今、後は王宮を混乱から収拾し、ロドルフの罪を公式に糾弾するだけ――とはいえ、それにはまだ大きな混乱が伴うだろう。王宮の体制は大幅に揺らぎ、王太子の信用も失墜している。

 それでも、闇の脅威は取り除かれた。少なくとも、魔人による国の蹂躙は回避されたのだ。


ざまぁと、その先の未来


 闘いが終わり、王宮は夜明け前の慌ただしい時間に突入していた。ロドルフが拘束され、魔術陣はグラドの手で破壊され、闇の残滓を浄化する作業が進められている。

 シャーリーズは廊下の隅で一人、深呼吸をしていた。激しい魔力の行使で疲れ果て、身体の震えが止まらない。

 すると、そこへレオンが静かに近づいてきて、言葉少なに外套をかけてくれる。

 「大丈夫か? 無茶をしたんじゃないか」

 「ありがとう……でも、まだ平気よ。少し休めば大丈夫」

 そう答える彼女に、レオンは安堵の笑みを浮かべる。戦闘中にお互い危険な場面は何度もあったが、最終的に無事でいられたことに胸をなで下ろす。

 「それより、アゼル殿下は……?」

 「騎士たちが医師を呼んで、治療を始めてる。意識は戻らないが、命に別状はないらしい。闇の呪縛が解ければ、いずれ正気に戻るだろうって」

 シャーリーズは瞳を閉じて一息つく。かつて結ばれるはずだった相手が、闇に落ちかけた末に救い出された――だが、その先に待つのは、彼が自分の責務をどう全うするかという試練だ。もはや、彼女がどうこう言う問題ではない。

 「殿下が目を覚ましたら、真実を知ることになるでしょうね。ロドルフがしてきたこと、私が本当に無実だったこと……。きっと、彼は厳しい道を歩むことになるわ」

 シャーリーズの言葉に、レオンは少し複雑そうな顔をした。彼自身、シャーリーズが婚約破棄で追い詰められた過去を間近で見たわけではないが、それでも「ざまぁ」と言いたくなる気持ちは理解できる。

 (ただ、シャーリーズはそんな単純な思いだけで行動してきたわけではないんだろう。)

 レオンは心中でそう思い、そっと彼女の手を握った。

 「お前はどうするんだ? 王太子殿下が回復すれば、改めてお前に謝罪するかもしれない。昔みたいに、伯爵令嬢として扱われることだってあるだろう。……王太子妃の座が復活するかもしれない。お前が望めば、だけど」

 その問いに、シャーリーズは一瞬だけ苦笑し、首を横に振る。

 「もう、戻るつもりはないわ。伯爵家の娘でも、王太子妃でもない“私”になれたから……。それに、私がこの国のためにできることは、もう別の形で続けていきたいの」

 かつては地位や名誉を失うことを何より恐れていた自分が、今や「王太子妃」という重責を放棄してまで、新しい道を歩みたいと思っている。もはや、王宮という狭い世界には収まらない――それが彼女の本心だ。


 そう答えたシャーリーズを見て、レオンは小さく微笑み、彼女の手をもう少しだけ強く握る。

 「そっか。なら、俺もついて行っていいか? さっきの戦いで痛感したけど、お前は無茶ばかりする。俺がそばにいないと、危なっかしくて見てられないからな」

 思わぬ告白とも言える言葉に、シャーリーズは頬を染める。喧騒の中で、二人だけの静かな瞬間が流れる。

 「……ありがとう、レオン。私も、あなたがいてくれると心強い。もっと力を伸ばして、闇の魔術から国を守る手段を整えたい。……これが私の“新しい生き方”だと思うから」

 “追放”されてから経験したすべてが、彼女を強くし、優しくした。伯爵令嬢でもなく、王太子妃でもなく、一人の魔術師、冒険者としての道を切り拓く――その意志を、レオンは温かい眼差しで受け止める。


 そして翌日。

 アゼルが目を覚まし、ロドルフの悪行が公になると、王都は大混乱となった。黒魔術に手を染めた国家反逆罪として、ロドルフは厳重に拘束され、その部下だった者たちも次々と逮捕される。闇に怯えていた貴族や兵士たちはほっと胸を撫で下ろし、国王夫妻もようやく病床から回復しはじめた。

 王太子アゼルは、ロドルフに踊らされて国を危機に陥れた責任を問われ、しばらく政務から退き、反省の時を過ごすことになる。シャーリーズに対しては、手紙と使者を通じて謝罪の言葉を伝え、もし可能ならば再び協力して国を建て直して欲しいと願ったが、彼女は丁重に断った。

 「私は、もうあなたのもとに仕える意志はありません。今は私の道を歩んでいます。……ただ、国が平和になるよう、遠くから祈っています」

 それが最後の言葉だった。アゼルは深く頭を垂れ、彼女の決意を受け入れるしかなかった。王太子の地位を失わずに済んだだけでも、彼にとっては救済と言えるかもしれない。だが、かつて愛するはずだった存在を理不尽に追い出した代償は、そう簡単に拭い去れないだろう。


 追放ざまぁ――と胸がすくほど、シャーリーズは痛快に勝利を収めたわけではない。心の奥にはまだ、裏切られた傷跡と国への複雑な思いが残る。

 それでも、彼女は今、自分自身の力で歩む道を選んだ。グラドやアリンたち、そしてレオンや騎士団の新たな友人たちと手を携えながら、国の辺境へ足を運び、まだ残る黒魔術の爪痕を消し去るための旅を始めるという。

 「私の魔術は、まだまだ未熟。だけど、この世界には多くの闇や危険が溢れている。追放されたからこそ、分かることがあるの。見つけたいの……本当に平和な国を築くために、私ができることを」

 そう語るシャーリーズの姿は、かつて華やかなドレスをまとっていた伯爵令嬢とはまるで別人のように逞しく、美しく輝いている。


 出発の朝、王都の外れで荷馬車を用意していたレオンが、最後にこっそりシャーリーズへ笑いかけた。

 「次に戻ってくる頃には、きっともっと強い“光の魔術師”になってるんだろうな。俺も、頑張って腕を上げないと置いていかれそうだ」

 「ふふ、私だって、そう簡単には強くなれないけど……。あなたが一緒なら、きっと大丈夫ね」

 二人はこれから始まる旅路を思い描き、自然と頬が緩む。切り傷の絶えない生活になるだろうが、それでも孤独ではない。


 やがて、馬車が軋む音を立てて動き出す。シャーリーズは振り返り、遠ざかっていく王都の城壁を見つめた。昔はあの壁の中で生きるしか道がなかった自分が、いまはあっさりとそこを去っていく。それが寂しいかと問われれば、答えは“No”だ。

 ――追放されたからこそ、得られた仲間と自由がある。

 嵐のような出来事を乗り越え、なお自分の足で立ち上がった彼女の瞳には、新しい世界が映っていた。今度こそ、本当の幸せを掴むために、そしてまだ見ぬ冒険を続けるために。

 王都の空には、朝日が昇り始めていた。その光の筋が、シャーリーズの旅立ちを祝福するかのように、まっすぐ彼女のローブを照らしていた。




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