「星宮君っ!?」
息を切らせて駆けつけてきた星宮君の姿に、私は目を丸くした。
「こんばんは、月光さん。待たせちゃったみたいでごめんね〜。」
頬を掻きながら、いつもの笑顔を見せる星宮君。その姿に、私は安堵した。
「ねぇ、星宮君。どうして大旦那様に呼ばれているの?」
「どうしてって…僕が月光さんの婚約者候補に選ばれたからだよ。」
私の問いに、星宮君は少し不思議そうな顔をした。
そして、星宮君の返答に私は息を呑んだ。
婚約者…?私が、星宮君の婚約者…?
「星宮からは学校のクラスメイトと聞いているし、星宮の自己紹介は必要なさそうだな。」
「宜しくね、月光さん。…あ、この機会に羽闇ちゃんって呼んでも良いかな?」
星宮君の予想外の言葉に、私の心臓はドキリと音を立てる。それと同時に息が詰まる様な感覚も覚えた。
「もっ、勿論!この状況だと苗字だと呼びにくいだろうし…」
平静を装いながら私は必死に言葉を紡いだ。星宮君に名前で呼ばれるなんて、内心は喜びでいっぱいだ。それは、今まで誰にも許した事のない特別な響き。
「ありがとう。羽闇ちゃんも僕の事名前で呼んでくれて良いから。」
「ええっ!?良いの!?」
「勿論。」
私に向けられたのは、眩しい程キラキラとした王子様スマイル。まさか、私まで星宮君を名前で呼べる日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
「じゃあ…私も夜空君って呼ぶね。」
「うん、仲良くしようね。」
夜空君が差し出してくれた手に、私はおそるおそる触れた。指先が触れ合った瞬間、心臓がドキドキと高鳴る。
し、幸せすぎる…!そう、心の中で叫んだ。
名前で呼び合うなんて、嬉しすぎる。私は只々、この幸せな瞬間を噛み締めていた。
「……ねぇ、ちょっと。いつまで二人の世界になってんのさ。」
「わぷっ」
再び背後から伸びてきた腕が私を抱きしめる。振り向くと、藤鷹さんが少し拗ねている表情で立っている。その横にいる火燈君は羨ましそうに、一葉さんと碓氷さんはまるで目障りといってる様な視線を私や夜空君に注いでいた。
「いーなー夜空、早速名前で呼ばれてるんだもん。ずるいよー!羽闇!俺も俺もー!」
「わっ、分かったから落ち着いて鳳鞠君!」
火燈君が子供の様に駄々をこね始めたので、私は慌てて彼をなだめる。
その様子を見ていた華弦が、悪戯っぽい笑みを浮かべて口を挟んできた。
「んじゃあさ、僕の事も名前で呼んでみてよ。勿論…呼び捨てでお願いね♪」
「じゃあ…か、華弦…。」
私は少し照れながら、火燈君と藤鷹さんの事を名前で呼んでみた。名前を呼ばれた二人は心底嬉しそうな笑顔を浮かべており、その姿はとても可愛らしかった。
「………やっていられませんね。僕は部屋に戻ります。」
「…用が済んだなら俺も帰る。」
呆れた表情を浮かべながら深い溜め息をついた一葉さんは踵を返し、迷いなく部屋を出て行った。
それに釣られる様に碓氷さんもまた、無言で部屋を後にした。
「では、全員自己紹介が済んだ事だし今日はこれでお開きとしようかの。お前達も各自部屋へ戻れ!」
「はーい。羽闇、また明日ね!」
「じゃあね、僕の可愛いお姫様♪」
「羽闇ちゃん、また明日。」
大旦那様の言葉に、部屋にいた婚約者候補達は一斉に部屋を後にする。そして残されたのは大旦那様と壱月さん、そして私だけだった。
「壱月よ、羽闇を部屋に案内してやれ。」
「承知致しました、大旦那様。…では羽闇様、お部屋にご案内致します。」
壱月さんは、薄い笑みを浮かべながら私を部屋へと誘った。部屋を案内されている間、私は緊張で喉が渇き、言葉を発する事が出来なかった。壱月さんはそれに気付いているのかいないのか、何も言わずに廊下を静かに歩いている。
「ねぇ…壱月さん。」
「羽闇様、私の事は壱月とお呼び下さいませ。月光家の使用人である私にはその様な呼び方も敬語も不要で御座います。」
壱月さんは相変わらず薄い笑みを浮かべたまま、そう言った。
「…じゃあ、壱月。あの人達もこれからこの屋敷に暮らすんだよね?」
「婚約者候補の方々ですか?ええ、勿論あの方々も今後はこの月光邸で暮らして頂きます。ですが、あいにくお部屋は各自別室をご用意致しましたので羽闇様と同室という事は御座いません。そちらはご安心下さい。」
壱月は私の方を振り返らずに答える。彼は私の不安を察している様子だが、その言葉を聞いてもその不安が晴れる事はなかった。
「お気遣いありがとう…。因みにその婚約者候補の人達って、いつまで此処に…?」
「…そうですね。羽闇様が共に生涯を歩む方を選ばれるまで、でしょうか。そして、そのお相手と正式にご婚約されるまでは此方で過ごして頂く事になるかと。」
「え…?嘘でしょ…!?それじゃあ、もし何年も掛かったりなんてしたら…」
私は言葉に詰まった。大旦那様が私の呪いの為に力を尽くしてくれるのは分かっている。それでも、私のせいで関係のない人達まで此処に縛りつけてしまうなんて…。
そう考えているうちに、壱月が廊下の突き当たりで足を止めた。長い廊下を歩き、ようやく目的の部屋へと辿り着いた様だ。
「ご到着致しました。本日から、此処が羽闇様のお部屋となります。」
壱月は懐から鍵を取り出すと丁寧に鍵穴に差し込み、ゆっくりと回した。カチッという音と共に、扉が開かれる。すると、目に飛び込んできたのは淡いピンク色で統一された空間だった。
可愛らしい花柄の壁にキラキラと輝くシャンデリア。窓辺にはふんわりとしたレースのカーテンが揺らめき、足元にはピンク色の絨毯が敷かれている。そして部屋の中央に置かれているのは、天蓋付きのベッド。その上にはレースやリボンで飾られた沢山のクッションが積み重ねられていた。
部屋の隅には小さなテーブルやドレッサーまでも用意されており、おとぎ話に出てくるお姫様の部屋そのものだ。
「わぁ…可愛い!」
「ご満足頂けた様で何よりで御座います。何かご不便な点が御座いましたら、遠慮なく此方のベルでお呼び下さい。お食事のご用意も出来ますが、本日の晩餐は如何なさいますか?」
そういえば夕飯の買い出しに出掛けたものの、色々あって気が滅入ってしまい、食欲どころではなかった。
「…いらない、食欲ないし。」
「…承知致しました。奥に浴室とお手洗いが御座いますのでご自由にお使い下さい、寝間着は脱衣場にご用意致しております。それでは、私はこれにて失礼致します。」
壱月はそう言い残し、部屋から出て行った。
扉が閉じたのを確認すると、私は深い息を吐き出した。緊張の糸が切れたのか、全身にドッと疲れが押し寄せる。
「疲れた〜!少し休んでからお風呂にしよ〜…。」
私はよろめきながらベッドへと近づいて、そのままボブンと倒れ込んだ。まさかペンダントの異変が、こんな事態を引き起こすなんて思いもしなかった。
月の姫…。五人の婚約者…。しかもその中の一人は夜空君だなんて…!大旦那様が連れてきた私の婚約者達は、息を呑む程のイケメン揃いだった。こんな事を言うと周囲からは軽い女だと思われてしまいそうで認めるのは少し憚られたけれど、それぞれが私の理想とする男性像に当て嵌まる部分があった。ハッキリ言うと、
「…そうよ!私は元々、星宮君の事が好きなんだから、夜空君をパートナーに選べばいいじゃない!」
そう思った瞬間、華弦が放った言葉が脳裏を掠める。
『だからこそ、しっかり見極めて、愛を育めると思える相手を選べばいいんじゃん♪』
あの言葉が、まるで小さな棘の様に心に引っ掛かる。本当に、私はすぐに星宮君を選ぶべきなのだろうか?結局、堂々巡りの思考を繰り返すうちに瞼が重くなっていき…いつの間にか眠りに落ちていた。