珀はどうにかして今の状況を打開しようと疲れてきた頭をフル回転させていた。声での情報共有ができるなら、隼人に戦況を見てもらって、光と闇を一挙に放つ攻撃を仕掛けるタイミングを作りたいが、神楽家の応戦によってこちら側の統率が取れていないため、厳しそうだ。
大型の魔形は傷をつけてもある程度の再生能力を持っているようで、すぐに元に戻ってしまう。攻撃を繰り返しながら、疲労と寒さで力が入らなくなっていく手を白い空に翳す。他人の力を頼ってはいけない。自分が一番強いのだから、自分がこの状況をどうにかしなければいけないのだ。宝条の次期当主、1000年に1人の実力。その事実が、責任が、珀に重くのしかかっていた。
ダンッ!
珀が魔形の後ろ側に回り込んで背の部分に大きな切れ込みを入れ、ダウンさせたその時だった。近くで大きな音がした。
魔形の顔の向こう側に、1人の女性が狐の面の男を組み伏せているのが見えた。その女性は、忘れもしない、
でも、状況を整理すると、
「こ、とは……」
愛する人の名前を口に出すだけで、気力を振り絞れる気がした。あと何体だろうか。
珀が次々と魔形に傷を入れていく中、美麗は
回らない頭はいらない分析しかしてくれない。終わってくれと思っても、終わらせなければ終わらないのだ。
周りの能力者が体力の限界を感じているのか、フラフラしながら戦っているのが見てわかる。士気も落ちてきている。鼓舞しようにも、音をシャットアウトしているせいでできない。
最大威力の攻撃さえできれば。珀とて体力はほとんど残っていなかったが、それでも戦えないわけではない。小さな頃から厳しい訓練に耐えてきた。最強の力を持っているのだから、最強でいなければならない。
それでもやはり、動きが鈍っているのが自分でわかって、自嘲気味に笑う。
その時、一筋の光が見えた。比喩ではない。宝条の能力者が待ち望んでいた、緑の光だ。「総員!下がれ!」の合図である。珀はふぅと息をついて魔形から少し離れ、体勢を整えた。
宝条の能力者たちが、周囲の味方を連れて珀から離れていくのがわかる。後ろに人が集まるのを気配で感じる。
次の光を待っている時間が、とても長く感じた。残っている魔形の配置は?今どこに向かって攻撃が繰り出されている?状況を整理する。疲れているのに、希望が見えただけで視界が晴れるものだ。目の前の戦況がよく見える。
黒の光が上がった。手を前に出し、集中する。
「俺は!1000年に1人の存在だ!」
自分を鼓舞する言葉は、宙に浮いて、自分には返ってこない。でも、口に出すだけで十分だった。
目を閉じて、攻撃を放つ。自分が持っている力を最大限出し切る。辺りがまばゆい光に包まれる。今頃魔形は跡形も無くなっていることだろう。
安堵した瞬間、珀の体は吹き飛ばされた。文字通り宙返りのような状態になって、初めて、「作戦実行困難」を意味する赤の光が見えた。状況を理解することなく、珀の意識は真っ暗闇に沈んでいった。
※ ※ ※
珀の攻撃の光が消えてきて、段々と状況が見えてきた。魔形は一掃された、と言っていいのかわからない。隼人は状況に頭が追いつかず、眉間にシワがよる。
魔形というのは、空気の淀みから発生する。能力者が討伐すれば、空気の淀みは解消され、魔形は跡形もなく消え去るのが普通だ。だが、目の前には魔形が倒れて行動不能になっているだけで、消え去ってはいない。つまり、目の前にいるのは普通の魔形ではないのだ。
魔形の向こう側には1人の人が倒れているのが見えた。珀の攻撃を喰らってぐちゃぐちゃになっているが、あれは
こちら側も状況としてはひどい。珀が血に染まりながら吹っ飛び、倒れたのだ。その周辺の者たちも、おそらく神楽玄によるものであろう攻撃の影響でバタバタ倒れている。
神楽家の者はほとんど落ちていることを確認して、こちら側に防御の結界を張り、あちら側の魔形と神楽玄のあたりに「外側に出られない」という条件を付与した結界を張った。その後、珀の元へと急ぐ。
隼人は優秀な人間だから、基本的に冷静である。そんな隼人が焦った真っ青な顔で珀に近づく。
呼吸を確認する。息は止まっていない。脈もある。内臓が一部えぐれている感じになっていて、そこからドクドクと血が溢れ出している。少し離れた場所にいる能力者をかき集めて、止血を始めた。
浅桜美麗が近づいてくる。隼人は焦りから、音を遮断する結界を解くのを忘れていたため、美麗が声をかけても気づかない。美麗は隼人の顔を覗き込むようにして存在を主張した。そして耳を指さす。
ハッとした隼人は周りを見渡して結界を解く。
「浅桜美麗様。先ほどは助かりました。ありがとうございます。味方、なのですよね?」
頷いた美麗は、何かが書かれた正方形の紙に自分の血を垂らすと、包帯のようなものが浮かび上がった。
「こちら、お使いくださいませ。私は珀様をお助けしたいのです。」
他にも何枚も紙を取り出し、アルコールやら諸々応急処置に使えそうなものを生み出してくれた。
2つの広範囲の結界を維持している隼人は、徐々に自分の意識も薄れてくるのを感じる。でも、主兼唯一無二の親友を助けることだけを考え、必死に手を動かした。
「隼人様!?顔色が悪いですわ。珀様の応急処置は私が代わりますから、お休みくださいませ。」
「いや、大丈夫ですよ。これくらい、なんともありません。」
顔に血の気がないことが自分でもわかる。それでも、それが現状を手放す理由にはならない。無理やり笑顔を作って、気丈に振る舞った。
とはいえ、体は限界に近い。気を抜けば意識を飛ばしてしまいそうだ。
マンパワーが足りない。周りにもう少し動ける人はいないだろうか、と見渡したその時だった。
辺りが温かい光に包まれ、倒れている周りの能力者の傷が癒えていく。『浄化』が起こったのだ。光の正体は、蛍のような淡い光の粒の集合体で、それは誘拐された琴葉を助けに行った時、その少女の体から出ているものと同じだと気づく。
隼人は、琴葉が
焦って
浄化が起こっても尚、珀の傷は治癒し切れなかった。能力には上限があるため、広範囲に浄化が及んだ一方で、重症者を完全に回復させることはできなかったらしい。珀の意識が戻ることはなく、一通り処置を施したあと、すぐに救急車を呼んだ。
そこで、隼人の体力の限界が来る。周囲の宝条家を始めとする能力者たちが焦ったように隼人の名を呼んでいるのが微かに聞こえたが、耐えられず意識を手放した。