――あそこには、変人が住んでいる。
日が暮れるたび、魔術都市エルミオンの子どもたちは丘を見上げてそう言う。
しかしその変人は、市民の前に姿を現すことは滅多に無かった。
城のようで城でなく、屋敷のようで屋敷でもない。
鉄色の外壁は朝日に照らされても光らず、窓という窓に黒い影だけが揺れる。
その主こそ十八歳の魔術師ドルジークだった。
「塩、0.2パーセント多いな」
広すぎる食堂で、彼はキッシュを一口かじるなり顔をしかめた。
正面に立つ
「次回、調整いたします」
「頼む。味覚パーツの調整も可能だ。必要なら言ってくれ」
ドルジークはフォークを置き、カップのコーヒーをすすった。
香りの奥で歯車が回る音がする。机の上には革張りのノート。
ページいっぱいに数式と設計図、そして赤い丸つきのメモ。
『荷役用小型魔道人形・要改良』。
「車輪式は段差に弱い。脚部サスペンションを――」
ぶつぶつと呟く声だけが、冷えた大広間にこだました。
街はもうすぐ収穫祭でにぎわうが、この丘の主は相変わらず研究以外に興味を示さない。
時計が正午を告げても、彼の視線はノートから離れなかった。
「主様、門前に人影を確認いたしました」
そんな彼の集中を途切らせたのは、キャミィの魔術仕掛けの音声だった。
ドルジークはペンを置き、コーヒーで喉を潤した。
「誰だ」
「登録情報を読み上げます。氏名ゲオル・フラスト。年齢一八、職業・冒険者」
「……だろうな。もういい、開けてやれ」
命を受けたキャミィは無言で敬礼すると、廊下へ消えていった。
まもなく、玄関ホールに響く重々しい扉の開閉音。
革ブーツの足音が真っすぐ食堂へ向かってくる。
姿を現したのは栗色の短髪に鋭い目をした青年。
鍛えた体を軽鎧で包み、背には装飾の無い無骨な長剣。
実用一点張り、彼の性格を物語っている。
「まったく……いつ来ても不気味だな。呼び鈴くらい付けたらどうだ」
「近所迷惑にならないだろう?」
ドルジークが事も無げに返す。
ゲオルは鼻で笑った。
「こんな離れに住んでおいて、何が近所迷惑だ」
椅子を勧める素振りもない主人に構わず、ゲオルはテーブルの向かいへ腰を下ろした。
「またゴーレムに埋もれていたのか」
「観察は重要だ。キャミィの歩行アルゴリズムは改善の余地がある」
「お前に必要なのはアルゴリズムじゃなく社会性だ」
ゲオルが額を押さえる。
「……まあいい。本題に入るぞ」
ドルジークは返事せず、視線だけを向ける。
「明日は収穫祭だが、実はまだ準備が終わっていない。運営が人手不足でな。そこでお前に、荷運びや屋台設営の支援を頼みたい」
「却下だ。午後は予定がある」
「即答かよ……一応聞くが、どんな予定だ?」
「キャミィ用の新型ドレスを編む」
「ドレスぅ!?」
ゲオルの声が裏返った。
「街は祭りで大忙しだってのに、呑気にお人形遊びか!」
「布地と装甲素材の相性試験だ。立派な研究だぞ」
ドルジークの返答を聞くと、ゲオルは椅子を蹴って立ち上がる。
勢いそのままに壁際で控えていたキャミィに早足で近寄り、背負い剣を半ば抜いた。
「……こいつを壊せば、その予定も無くなるな」
刃先がきらりとキャミィの首元に迫る。
ドルジークの手が止まり、空気がぴたりと張り詰めた。
「何の真似だ、ゲオル。キャミィを壊しても、予定が編み物からメンテナンスに変わるだけだぞ」
「ならこの屋敷ごとぶっ壊してやる。お前が動かないなら、強硬手段だ。街と関われ。人は一人では生きていけない――そう言ったのはお前の父上だったろう?」
沈黙ののち、ドルジークは溜息をついた。
「わかった。祭りの準備とやらに協力しよう」
ゲオルは剣を収め、安堵と呆れの混じった笑みを浮かべる。
「やれやれ。最初から素直に頷け、変人」
ドルジークは椅子を押し退け、キャミィの損傷チェックをする。
何も異常が無いことを確認すると、ノートに大きく『外出 - 臨時フィールドテスト』と書き込んだ。