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斜陽の妃と、妖しの寵姫 ~金色の鳥籠、紅涙に染まる月~
斜陽の妃と、妖しの寵姫 ~金色の鳥籠、紅涙に染まる月~
裃左右
恋愛夜の世界
2025年06月15日
公開日
3.9万字
連載中
 かつて王の寵愛を一身に受け、後宮に君臨していた妃・瑛麗。  しかし、その輝きは、彗星のごとく現れた若く妖艶な姫・月華によって、脆くも翳りを見せ始める。  嫉妬、策略、そして裏切り――。  美しくも残酷な宮廷で、二人の女の運命が複雑に絡み合う。 「陛下は薄情なお方。いっそ、わたしのほうがいいのではないですか?」  絶望の淵に沈む瑛麗に、妖しく微笑み手を差し伸べる月華。  彼女の真の目的とは? そして、彼女が秘める壮絶な過去とは?  忠誠を誓う若き将軍・暁勇も巻き込み、物語は予期せぬ結末へと加速していく。  愛とは、憎しみとは、そして真の絆とは何かを問いかける、  息もつかせぬ宮廷愛憎ドラマ、ここに開幕。  「綺麗なものじゃない」けれど、強く焦がれてしまう想いが、あなたの心を揺さぶる。禁断の純愛絵巻。

第1話 金色の鳥籠に、忍び寄る影

 のちに残された華陽国かようこくの史料には、こう記されていた。

 ――まさに月より舞い降りし、天女の如し。その時、王宮から言葉は失われ、すべてが色褪せ始めた、と。


 玉座に最も近い妃として、瑛麗えいれいは久しく君臨していた。

 玻璃はりを嵌め込んだ窓から、差し込む陽光は纏う艶やかな緋色の衣を照らし。指に嵌められた大粒の紅玉こうぎょくが、気位高く眩さを弾き返す。

 き染められた名香がほのかに漂う閨(ねや)は、外界とは隔絶された、美しくも静謐な鳥籠のようだった。


 そう鳥籠。

 王である景宗けいそうの寵愛――それが、瑛麗の世界とりかごの全てであり、価値そのものであった。


 瑛麗は幼き日より、そう教え込まれ、その一点を目指して磨き上げられてきたぎょくなのだ。

 他の妃たちを差し置いて、王の隣に侍ることは当然であり、誇りだった。彼女の穏やかな微笑みの下には、決して揺らぐことのない自信が秘められているはずだった。


「……今宵もまた、独り月光ばかりが相手かしら」


 玉瑛宮ぎょくえいきゅうから窓の外に広がる、安らかなる庭園を眺め、瑛麗はため息をついた。


 ここ数ヶ月、王の訪れは明らかに減っていた。初めは公務の多忙さゆえと自分に言い聞かせていた。


 だが、侍女たちが交わす噂話や、王の視線が自分を捉える時間の短さが、否応なく現実を突きつけてくる。

 「ああ、とうとうあの方は飽きられた」のだと。


 焦燥感が、絹の衣の下でじっとりと汗を滲ませる。それは、今まで感じたことのない、不快な感覚だった。


 そう、初めて月華が、王の御前に姿を現した日のこと。瑛麗は昨日のことのように思い出せる。


 春霞が淡く立ち込める王都の朝。

 その日は、長らく新たな華やぎから遠ざかっていた王宮の正門が、祝祭の訪れを告げるように、ずっしりとした重みを伴って開かれた。

 果たして、その重みは誰の期待だった、恐れだったか。


「新たな姫っ! 月華げっか様がご到着されました!」


 先ぶれの役人が高らかに名を告げると、きらびやかな睡蓮の刺繍がなされた輿が、中庭へと進み入った。

 さざ波のように広がるのは、抑えきれない好奇心。


「辺境の小領主の養女と聞いたけれど、一体どんなお方かしらね」

「またお若いのでしょう? 我らが瑛麗様も、お心穏やかではいられないわね」


 チクリと、瑛麗の胸が痛む。

 新しい姫が入宮するたびに、もしかしたら、と揺らぐ。強がる己の様は、さぞかし彼女たちには滑稽だろう。苦いものが口に広がった。


 さあ、最初に姿を見せたのは、白魚のように細くしなやかな指先だった。そこから導かれるように、現した姿。

 ああ、なんと。最初に感嘆の溜息を漏らしたのは、誰であっただろうか。


 雪渓の最も清らかなる部分だけを掬い取り、カタチをなしたとすれば、その白磁の肌となるだろう。その肌の上を流れる髪は、天の川辺で織られる絹織物かと思わせた。

 なにせ、その髪ときたら、陽の光を受けては玲瓏れいろうと透き通りながらも輝く銀糸のようであり。かと思えば、影に入れば濡れたように艶めく、不思議な色合いをしていた。

 それは朝露に濡れた黒百合の花弁にも似て、見る角度によりて、様々な顔を見せるのだ。


「なんとまあ……」


 美しさを誇りとする妃たちから、思わず敗北を認めるような声が上がった。

 だが、身に纏うのは淡い藤の衣。高価には違いないのだろうが、あまりに簡素。月華本人と比べれば、引き立てる程度にもならない。


「道中は息災であったか。此度の新しい姫、月華よ」


 王である景宗は、明らかに上機嫌だった。

 その視線は、前に控えた伏した月華に惜しみなく注がれている。それは、かつて瑛麗が一身に受けていたものと同じ、熱のこもった眼差しだった。


「月華と申します。陛下におかれましては、よしなにお願い申し上げます」


 月華は、か細い声でそう言うと、深々と頭を下げた。

 所作は丁寧だが、どこか作り物めいた、そう人形のような印象を与えた。


「よい、月華。面を上げい、その顔をとくと見せてみよ」


 しかし、月華の伏せられた長い睫毛が微かに震え、次に顔を上げた時。

 確かにその瞳は、真っ先に瑛麗を捉えていた。


 切れ長の瞳は、どこまでも澄んだ湖面。星々を映す、水鏡こそが宿す光。長く濃いまつ毛が伏せられるたびに、白い頬にかすかな影を落とし、それがまた、えも言われぬ妖艶さを醸し出している。

 鼻筋は高く、しかし主張しすぎることなく通っており、唇は咲き初めの紅梅のように、ほんのりと色づきながらも、どこか禁欲的な印象を与えた。


(この瞳は……なんとも恐ろしい)


 瑛麗はまるで心の奥底まで見透かされるような、鋭い輝きをその瞳の奥に見た気がした。

 目が合ったのは、一刹那あるか、ないか。


 すぐに視線は外れて、王へと向かった。


「月華は……月華は、お逢いしとうございました」

「おおっ、そうかそうか。無論、余もそうであるぞ。さあ、近寄るがよい」

「陛下に旅の埃がつきまする。叶うなら、のちほどお時間を拝領したく」

「フム……まあ、よい。そなたは、どこか違うな」


 王である景宗は、興味と妙な火にも似た滾りを宿して、見据えた。

 集まった女官たちは、ただ息を呑んで見つめるばかり。家臣の文官も武官も、誰もがこの世のものとは思えぬほどの美の顕現を前にして、言葉を失っていたのだ。

 月華は、そんな視線を一身に浴びながらも、まるで何も感じていないかのように、ただ静かに言葉を交わしていた。

 それからだ。瑛麗の斜陽の日々が始まったのは。


 遠くで鳴り響く歓迎の鐘が、今日に限っては、まるで弔いのように、瑛麗の耳には届いていた。

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