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第12話 終焉の華、血涙に染まる(2)

 王宮が享楽に満ちた大祝宴で賑わう夜に、その夜更けに――それは、音もなく忍び寄り、そして唐突に牙を剥いた。

 まず、重く大地を揺るがすような轟音が、祝宴の喧騒を打ち破った。


 宮廷のどこかで、何かが爆ぜ、崩れ落ちる音。居並ぶ貴人たちの顔から血の気が引き、華やかなりし楽の音が、不協和音を響かせて途絶える。


 続いて、刃が火花を散らしてぶつかり合う音が、芳醇な酒の酔いを一瞬にして醒まし、遠く近くから聞こえ始める断末魔の叫びが、この宴の終わりが無惨なものであることを残酷に知らせた。

 あちこちで巻き起こる炎の不吉な揺らめきは、星々を焦がさんと禍々しい煙と共に立ち上る。


 後宮の隅々まで、不穏な調べは容赦なく到達した。金襴緞子で飾られた絢爛たる楼閣は、一転して阿鼻叫喚の地獄絵巻を綴り始め、美しく着飾った妃たちの悲鳴が幾たびも廊下に木霊した。


 玉座にも、騒乱の報せは疾風の如く届いた。

 侍従たちが蒼白な顔で駆け込み、玉座に深々と身を沈めた王に、震える声で事態を報告する。

 しかし、当代の王、景宗は深く身を沈めたまま、漆塗りの豪奢な盃を片手に、身動き一つしなかった。それどころか鷹のような双眸には、どこか猟奇的なまでに愉悦が浮かんでいた。


「ほう、ようやく幕が上がったか。月華め、なかなかどうして、退屈させぬ趣向ではないか。余興としては上出来。今宵の月は、格別に血の色が映えそうであるな」


 こともなげに命じ、長年、蔵の奥深くに仕舞われ、袖を通すことのなかったという、最も豪奢にして壮麗な深紅の礼装を運ばせた。侍女たちが震える手でそれを着せ付ける間も、王の鉄面皮は微塵も変わらない。


「うむ、良い。この色こそ、今の余に最も相応しい」


 そして、飲みかけの盃を放り投げ捨て砕くと、長らく保管してきた秘蔵の美酒の封を、自ら開け始めた。


「もし、これが余の最後の酒宴となるならば、最高の美酒でなくては興が醒めるというものだ。そうであろう?」


 恐怖に引き攣った顔のまま侍う女たちから、震える手で差し出された新たな金の盃を、王はゆったりと受け取る。入念に振り付けられた演戯の一場面のように。

 景宗にとって、起ころうとしている国の崩壊、そして自らに訪れうる死や滅びさえも、一つの美を追求するための演目に過ぎなかった。


 起きた事象は少々、複雑だった。騒ぎに呼応するように、あるいは全く別の意図をもって、燻っていた不満や野心を抱えた家臣たちが、各々の思惑で、自分勝手に武装蜂起を開始していたのだ。それは、まさに混沌。


 曰く、王は大宴会を名目に邪魔者を一掃する気であるとか。曰く、王の粛清に激しく抵抗した者により、火薬に引火したのであるとか。曰く、軍をまとめて反乱した者が攻め込んできたであるとか。


 もはや、兵たちは一体誰の命令に従い、誰を敵と見なすべきなのか、全くわからなかった。武器を手に右往左往し、同士討ちすら起き始めている有様だった。


 確固たる意志と目的をもって、統率された軍勢を率いていたのは、ほんの一握りの勢力のみ。その中でも最も鋭く、存在感を放っていたのが、月華だった。

 少数ながらも率いるのは、一人一人が王に滅ぼされた国々の出身者やその縁者であり、骨の髄まで染み込んだ憎悪と、月華への絶対的な忠誠心で結束した、復讐者の軍団だった。


 先頭に立つ、消えぬ復讐の炎を瞳に宿す月華。その姿は、もはや儚げな寵姫ではなく、炎と血を纏う夜叉。炎風に煽られ乱れる髪が夜空に舞い、手にした抜き身の剣は、松明の光を反射して不吉を告げる。

 目的はただ一つ、この腐りきった王家を根絶やしにし、その血塗られた歴史に終止符を打つことだった。


「ですが、この騒ぎでは瑛麗様の安全を確保するのも、難しいのもまた事実。油断なりませんね」


 愛しい人の名を呼び。僅かに生じかけた迷いを振り切る。

 王の間に通じる回廊で、月華は忠誠を誓う近衛兵たちと激しく衝突する。血飛沫が舞い、肉を断つおぞましい音。

 自らも、袖に隠し持っていた短剣を抜き放ち、舞うように敵の刃を避け、急所を的確に突いていく。


 剣筋は、可憐さからはかけ離れたもの。想像を絶するほど鋭く的確。長年鍛錬を積んだ武人のそれだった。

 藤衣が返り血でみるみるうちに紅く染まっていく。しかし、花の貌に苦痛や恐怖の色はない。全てを焼き尽くさんばかりの決意だけがそこにはあった。


「舞踊の達人は、剣にも通ずる。……あながち嘘でもないのです」


 そう、物言わぬ骸と化した敵兵に冷ややかに吐き捨てると、亡骸を踏みつけてでも、ためらいなく先へと進んでいく。

 賽は、もう遥か昔に投げられていたのだ。もう、どのような結果が待ち受けようとも、後戻りはできない。

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