目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

星煌めく夜に 流れ星/ポケット/ブーツ

「私、今度お父さんの仕事の関係で転校することになったの」


 僕は彼女の言葉がすぐに理解できなかった。


「そうなんだ」


 声を振り絞ってそう言うのが限界だった。


「そうなの。宮本くんと星を観察するのも今日が最後。いつかまた一緒に星を観ようね」


「うん」


「約束よ」


 綺麗な星空のもとで指切りをする。


「これは宮本くんが持っていて。私を忘れないように」


 彼女は星座早見盤を僕に渡しながら言った。


*****


 またいつもの夢で目が覚めた。うたた寝していたらしい。時計を見やると十七時過ぎだった。


 僕は空を見るのが好きだ。そのときどきの景色を見せてくれる。なかでも夜空に浮かぶ星を観測するのが好きだ。天体観測をしていると柏原さんのことを思い出す。さっきも彼女との思い出の夢を見た。あれから十年近く経っている。それでも昨日の出来事のように感じる。


 今日は土曜日。ルーティンの天体観測の日だ。普段とは違い、流星群の観測日でもある。天気予報によると今夜は晴天。先週は雨で天体観測を中止せざるをえなかったが、今日は運がいい。


 そのとき、一階から母の声が聞こえた。


「渡、夕食の時間よー」


「はーい、今行く」





 夕食を終えて部屋に戻っても出かけるまでには時間がある。ひとまず天体観測仲間のブログを読み漁る。


 もうそろそろかなと思い時計を見ると時刻は二十二時。ちょうどいいころあいだ。荷物をどんどんバッグに入れる。コンパスや懐中電灯、双眼鏡に折りたたみイス。最後に金属製の星座早見盤。これは僕にとって特別なものだ。小学生のときに柏原さんと使っていた思い出の品だから。十年ほど経ち、ボロボロになった今でも愛用している。買い替えるつもりはない。荷物をつめ終えると車に向かう。寒さのあまり、ポケットに手をつっこむ。


 駐車場から夜空を見上げるとすでに星たちが宝石のように輝いている。今夜も素敵な星たちに出会えそうだ。





 天体観測のためにいつもの小高い丘を登っていくと人影が見えた。どうやら先客がいるらしい。ここは穴場だと自負していた。この丘で他の人を見たことはない。どんな人だろうか。好奇心をそそられる。


 月夜に照らされて、だんだん姿がはっきり見えてきた。ロングスカートが風にたなびいている。どうやら女性らしい。いつもの場所に陣取ろうとすると、自然と女性の方向に向かわざるをえない。向こうは一人だから、不審者に思われないだろうかと逡巡する。


「こんばんは。今日は星がよく見えますね」


 女性が振り向いて声をかけてきた。顔立ちの整った女性だ。恥ずかしくなって足元に視線をおとす。僕は女性のブーツを見ながらもごもごとしゃべる。


「こんばんは。あなたも天体観測ですか?」


 手元には双眼鏡が見える。向こうから声をかけてもらえたので、どうやら不審者にならずに済みそうだ。


「この丘で天体観測をしている人に初めて会いました。地元の人でもここを知る人はいないと思っていたので」


「今もそうなんですね。私、小さい頃からここから天体観測をしていたんです。昔のままで安心しました。街はすっかり変わっていて」


 女性はロングヘアを耳にかける。


「僕もここから見る景色が好きで。昔ということは遠くから来たんですか?」


「ええ。今は東京に住んでいるんです。ここに来るのは久しぶりでしたから、道に迷ってしまいました」


 無邪気な顔で言う。素敵な人だなと思った。容姿がきれいなだけではなく、純真無垢だ。彼女の笑顔を見ると、こちらも心が温まる。


 この感じなら近くに陣取っても問題なさそうだ。女性の隣でイスを組み立て座る。バッグから星座早見盤を出したときだった。


「それ、かなり使い込まれていますね。きっと思い入れがあるのでしょう?」


「そうなんです。小学生のころ、女の子と天体観測をするとき、これを二人で使っていて。その子は転校してしまいましたが、今でもこれを使うと彼女を思い出すんです」


 僕がそう言うと、女性の目は驚きに満ちた。信じられないという様子だ。


「もしかすると……その子の名前って柏原ではありませんか? そしてあなたは宮本さんではありませんか? 間違っていたらすみません」


 今度は僕が驚く番だった。女性の言ったとおりだった。ぴたりと当てるなんて、まるで魔法使いのようだ。


「そうです。なんで分かったんですか?」


「それは私がその女の子――柏原だからです」


 その言葉を受けて改めて女性を見る。きれいな黒髪、くりくりとした目に小麦色の肌。確かにところどころに柏原さんの特徴が見てとれた。


「また会えるなんて」


 僕は夢でも見ているのだろうか。


「私も嬉しい。転校してから連絡できなくてごめん。手紙でやりとりするって約束だたのに。住所が書かれたメモ、引越しのときになくしちゃったの」


 彼女は申し訳なさそうに言った。


 彼女が転校して以来、手紙がなかったの約束を忘れてしまったのだろうと思っていた。


「それ、貸してもらえる?」


 僕が持っている星座早見盤を指す。


「うん。十年近く使ったからボロボロにしちゃったけど」


 僕は慌ててつけくわえる。


「大丈夫よ、すごく懐かしい。ここの傷は私がうっかり落としちゃったときにできたものだわ」


 彼女は星座早見盤を裏返した。そこにはミミズがのたくったような字で「宮本・柏原」と書いてある。


「よくここに来て星を眺めていたよね。柏原さんが転校してからも、君を忘れないように、週末に眺めに来ていたんだ」


 そう言ってからとても気まずくなる。十年間、想い続けてきたのは事実だけれど、彼女はそうではないに違いない。


「私も宮本くんを忘れないように、場所は違っても天体観測を続けていたの」


 彼女が頬を赤らめて言った。


 意外な反応に不意をつかれた。彼女も僕を想っていた? そう受け取っていいのだろうか。でも、それは友達としてに違いない。舞い上がってはいけない。


「そうなんだ、嬉しいな」


 僕は無難な返事をする。だが、彼女はそっけないと感じたらしい。


「私の思い違いだったのね。小学生のときに宮本くんを好きだったように、少なくとも昔はあなたも私のことを好きだと思っていたの。両想いだって。私ってばかね」


「そんなことはない!」


 僕の声が闇夜に響き渡る。


「僕は柏原さんが好きだ。昔も今も」


 彼女は下に落としていた視線をあげた。吸い込まれるような瞳に見つめられてドキドキする。


「すごく嬉しい。私も宮本くんが好き」


 そう言うと彼女は照れ笑いを浮かべる。僕も思わず微笑み返した。次の瞬間、夜空に一筋の光が流れる。


「あ、流れ星だ」


 僕が指すより早く流れ星は去っていった。


「願い事、言えなかったね」


 彼女が残念そうに言う。


「そうだね。でも、隣に君がいてくれる、それだけで十分だよ」


 彼女がクスクス笑う。柄にもなく、くさいセリフを言ってしまった。


「毎週とはいかないけれど、たまにはここで一緒に天体観測をしよう」


「ええ。そのときは必ずこれを持ってきてね」


 彼女が星座早見盤を返しながら言う。

「もちろん」


 そう言って受け取る。ふと夜空を見上げると、僕らを祝福するかのように星たちが煌めいていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?