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第2話 かわいい川瀬くん


「行こっか」

「ああ」


 脚立を肩に担いだ川瀬と、手をつないで歩く。

 川瀬は、「飛んでしまった」後、当たり前だが、すごく動揺する。なので、手をつないでほしいらしい。考えてみれば、そうだろう。大きな手は、熱っぽい。


「情けない話だが」


 と、頼りない目で頼んできた川瀬を思い出し、日葵はきゅんとした。女子に「可愛がられる」ことの多い日葵だが、実際は頼まれることが好きだった。

 じっと日葵を見下ろす目は、ものすごく透き通っている。川瀬の目を見上げて、にこっと笑った。


「大丈夫だよ。俺がついてるから」

「ありがとう、日葵」


 安堵したみたいに、川瀬が笑う。いっそう放っておけない空気になって、不謹慎だけど可愛いなと思う。なんていうか、熊が笑うと、こんな感じで和むのかなあ。




「あっと、日葵ちゃん」

拓真たくま先輩」


 脚立を返しに用具室まで、向かっていると、一人の青年がやってきた。彼は一つ上の先輩で、川瀬の兄である。つまり、この件の協力者である。


「いつもの~?ありがとね」

「いえいえ!間に合ってよかったです。ね、川瀬くん」

「ああ。ありがとう、日葵」


 川瀬とこういうことになって、初めに引き合わされたのが、拓真だった。

 拓真は脱色した髪にピアス、太縁の眼鏡をしていて、目は静かに日葵を見ていた。

 その理知的な輝きに、この人が学年主席だという、女子の噂を思いだした。

「渡のこと、信じてくれてありがとうね」と、まずまじめに言われ、頭を下げられた。日葵は、「あっ、やっぱりこれは本当の話だったんだ」と思った。

 拓真はスマホを操作して、ある論文を見せてくれた。拓真曰くドイツ語で書かれてあって、日葵には、全然何を言っているかわからなかったが、「飛行症候群」の論文らしい。


「小六のころだったかな。こいつが、ベランダに引っかかっててさ」

「ええっ!」

「うん。危なかったよ。最初はなんもわかんなかったから。まあ運だよね」


 以来、川瀬をずっと拓真はじめとする家族で、助けてきたらしい。

「いろいろ調べてさ、外でだけ起こるらしいんだよね。電磁波っていうのかな……服に鉛を仕込んでるし、上に障害物あるとこ歩くようにしてるから、最初ほど本気飛びはしないんだけど、まあ危ないよね」


「なんとか治す方法はないんですか?」

「それが、今のところはないんだわ。だからむしろ、サンプルに来てって海外の研究機関から言われてるくらい」

「それは……」

「それに、皆信じないでしょ?だから家族で対処するしかないんだわ」


 困ったように言われて、日葵は恥じらう。そうだ、何といっても、小学校六年からのことだ。それは、拓真や二人の家族は皆、手を尽くしてるだろう。


「だから、信じてくれてありがとね」


 そう言って、拓真は笑った。それから、日葵と拓真で、川瀬を守る日々が始まったのだ。


「日葵ちゃん、テスト勉強どう?」

「うーん、計画だけは立派に立てるんですけど……拓真先輩はどうですか?」

「俺は普段からしてるからしない」

「すごい!勉強できる人の意見だ」


 拓真と談笑しながら歩いていると、「日葵」と、くいっと手を引かれる。川瀬が憮然とした顔で、日葵を見つめている。凛々しい眉がひそめられていた。


「川瀬くん、どうしたの?」


 二人で話しすぎたかな。じっと見上げると、川瀬が一拍黙った。拓真が、呆れたように「渡」と言った。


「お前ね、言いたいことあんならちゃんと言いなさいよ」


 兄の言葉に、ぐっと詰まったように押し黙る。弟属性というものだろうか、可愛い。無意識になのか、ぎゅっと手を握られた。


「……だ?」

「ん?」


 聞き取れなくて、日葵は首を傾げた。近づいて、「なに?」と、耳を寄せるように背伸びする。すると、川瀬が今度こそはっきりした声で言う。今度は声が大きくてびりっと響いた。思わずぎゅっと目をつむった。


「気になるんだが」

「う、うん?」


 ちょっと揺れる頭を落ち着けながら、日葵は相槌を打つ。川瀬の手に力がこもる。


「なんで兄貴だけ、名前で呼ぶんだ」

「ん?」


 日葵は、目を瞬かせた。それから、言葉の意味をつかまえて、「ああ」と得心のいった顔になる。


「ほら、二人とも名字が同じだから。川瀬先輩、じゃわかりづらいかなって」

「なにそれ、安直だなあ」


 拓真が笑った。しかし、日葵の後ろを見て、ぐるっと目を動かす。


「あー。でも、それなら俺じゃなくて、渡を名前で呼べばよくない?」

「えっ?」

「ほら、同級生なんだしさ」


 ああ、と日葵はうなずく。確かに、先輩のほうを名前で呼ぶなんて気安すぎたかな。しかし。顎に手を当て、うーんと考え込んだ。


「でも、川瀬くんって川瀬くんって感じだしなあ……」


 それに、同級生を名前で呼ぶのって、なんだか照れくさい。あははと笑ってごまかした。

 沈黙。

 見れば、川瀬がうなだれている。大きな背が、儚く見えるような……。


「川瀬くん?」

「なんでもない」


 一言、切るように言うと。そのままてくてく歩き出した。ぐいっと手をひっぱられ、日葵は慌てて歩調を早めた。日葵がすごく速足になっているのに気づいたらしい。川瀬がぴたっと止まる。「すまない」と歩調を緩め、歩き出した。


「ううん、いいよ」


 今度はあんまりゆっくりになるので、思わず笑った。こういうところ、可愛いんだよなあ。放っておけない。



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