「―――レオフィア・サヴィア。我は貴様との婚約を破棄する!」
ヴァンツァー・フォン・リズベルト第一王子の声が、煌びやかな夜会の静寂を引き裂いた。
貴族たちが息を呑み、辺りにざわめきが広がる。
だが、その中心にいるレオフィア・サヴィア──プラチナブロンドの髪を優雅に揺らし、夏の新緑のように輝く翠の瞳を持つ令嬢は、微動だにしなかった。
それどころか、口元に柔らかな微笑を浮かべている。
(ようやく、これで解放される)
まるで、すべてを見越していたかのように──。
「まあ……なんとご立派な宣言でしょう、殿下」
レオフィアの端正な顔立ちには驚きの色ひとつなく、その態度はどこまでも冷静だった。
本来ならば、婚約破棄を言い渡された令嬢は動揺し、場は大混乱に陥るはずである。
だが、レオフィアは違った。
「な……?」
王子は困惑し、周囲の貴族たちもざわめきを強める。
「……聞いていた話と違うぞ」
誰かが小声で呟いた。
王子の隣には、一人の女性が立っていた。
淡い亜麻色の髪に、慈愛に満ちた琥珀色の瞳──ラフィーナ・エヴァレット。
彼女は聖女として覚醒したばかりの平民の少女であり、王子が"真実の愛"を見つけた相手。
しかし、そのラフィーナが今、どこか複雑な表情を浮かべていることに王子は気づかない。
「レオフィア、お前はこの場で潔く身を引くべきだ」
勝ち誇るように王子が言葉を重ねる。
しかし、レオフィアはただ静かに扇を開き、口元を隠しながら微笑むだけだった。
「まあ……殿下は随分とお急ぎのようですわね」
「な……何?」
「ですが、残念ながら──」
レオフィアはそっと視線を上げた。その翠の瞳が王子を射抜く。
「私は殿下に未練など、これっぽっちもございませんわ」
場が静まり返った。
「な……っ」
王子が言葉を詰まらせる中、レオフィアは優雅に一礼する。
「婚約破棄、お受けいたしますわ。殿下、どうぞお幸せに」
扇を閉じた瞬間、その場の空気が大きく揺れた。
王子に婚約破棄を言い渡される令嬢は、嘆き悲しむのが常。
だが、レオフィア・サヴィアは違った。
王子の婚約破棄宣言は、レオフィアが驚きもせず、むしろ歓迎するかのようにそれを受け入れたことで、周囲の貴族たちは逆に動揺を隠せずにいた。
王子は、少しばかり苛立ったように眉をひそめた。
「お前……まるで予想していたかのような態度だな」
彼の言葉に、レオフィアは微笑みながら首を傾げる。
「まあ、殿下のご様子を見ていれば、これくらいは察せますわ」
その物言いに王子は顔をしかめる。
「察せる、だと?」
「ええ。殿下は最近、わたくしよりもラフィーナ嬢との時間を優先されていましたし、周囲にも彼女を"運命の人"だと語っておられましたでしょう?」
会場がさらにざわめく。
ラフィーナが、申し訳なさそうに俯いた。
「……それは……」
「ですから、殿下がわたくしとの婚約を解消したがっていることなど、既に分かっておりましたのよ」
そう言いながら、レオフィアはすっと扇を閉じた。
「むしろ、殿下がわざわざこのような場を設けてくださったことに感謝いたしますわ。なにせ、正式に婚約破棄を認めていただければ、わたくしも晴れて自由の身となれるのですから」
その言葉に、王子は完全に言葉を失った。
まさか、レオフィアがここまであっさりと婚約破棄を受け入れるとは思っていなかったのだ。
本来ならば、貴族の令嬢としての立場を守るため、必死に抗うのが普通である。
王子もまた、それを利用してレオフィアを"悪役令嬢"として追い詰めるつもりであったのに──。
レオフィアの堂々とした態度は、その思惑を根底から覆してしまった。
レオフィアは王子の沈黙を見届けると、ふわりと微笑む。
「では、殿下。これでよろしいですわね?婚約破棄の証人となる方々もいらっしゃいますし、どうぞ王家の方々にも正式な手続きをお取りくださいませ」
そう言い残し、レオフィアは優雅にその場を後にした。
その毅然とした態度に、貴族たちは圧倒され、静まり返る。
そんな中、ラフィーナは微かに笑みを浮かべた。
(これで、ようやく──)
彼女の視線が、"ある人物"へと向けられる。
それに気づいた者は、まだ誰もいなかった。