「拝啓 ジャミル殿
貴殿は十八歳となり、ダンジョン運営の権利及び義務が生じました。つきましては、ダンジョンを一つ差し上げますので、運営・管理をよろしくお願いいたします。所在地については、別紙をご参照ください。 敬具」
――静かな部屋に紙の擦れる音が響く。
俺は、届いたばかりの一通の手紙を何度も読み返していた。差出人は、日本国政府。まさか、本当に来るとは思っていなかった。
「ついに、この日が来たか……」
しみじみと呟く。言葉にしてみると、妙に実感が湧くから不思議だ。
日本に来てまだ日は浅いが、街のそこかしこで「ダンジョン運営」という単語を耳にしていた。公園で子供がスライムを叩いている横を、おじいさんが「うちのミノタウロスは元気だよ」と笑って通り過ぎる。向かいのサラリーマンは、朝の挨拶代わりに「ゴーレムの調子はどう?」と聞いてくる。
この国では、十八歳になると一人一つ、ダンジョンを持つことが当たり前になっているらしい。しかも、運営の善し悪しで、その人間の「格」が決まる。まるで、ダンジョンが人生の履歴書でもあるかのようだ。
思えば、隣のおじいさんのダンジョンも、かなり手が込んでいた。苔むした石造りの通路に、歴戦のトラップ。あれを一人で作ったのかと思うと、ちょっと尊敬する。
――俺も、一人前にならなきゃいけない。
まずは勉強からだ。この都市には、日本一のダンジョン運営者がいるという噂を聞いた。名前は……ええと、相沢? 秋山? 赤崎?
――いや、名前はどうでもいい。重要なのは、彼が「ダンジョン運営のコツ講座」を開いているということ。それさえ学べば、俺もこの雪深い地で立派にやっていけるはずだ。
「ここが、講座の開催場所か……」
地図に従ってたどり着いた先は、ごく普通の一軒家だった。看板には「天田」と書かれている。
名前すら違った。思っていたよりも地味だ。いや、地味というより、「これで合ってるのか?」というレベルの佇まい。
インターホンを押すと、奥から野太い声が聞こえた。
「入って左の部屋に行ってくれ」
どうやら、今は手が離せないらしい。俺は言われた通り、靴を脱いで中へ入る。廊下はやや狭く、生活感がある。玄関にゴブリンの置物があるのを見て、少し緊張した。
左の部屋に入ると、そこには見た目そのまんまのゴブリンがいた。
小柄で、灰緑色の肌。鋭い爪と、ぎょろりとした目。思ってたよりも、臭い。
「これが、ゴブリン……?」
思わず呟くと、奥で椅子に座っていた男が声をかけてきた。
「おっ、君も受講者か?」
柔和な笑みを浮かべながら近づいてくる。
「仲間がいて心強いよ。俺は町田っていう」
「俺はジャミル。エジプト人だ」
「へえ、エジプトは乾燥地帯だから、東北の気候に慣れるのは大変だろ?」
「ええ、まあ。特に雪には苦労してますね」
初対面でも自然と会話が弾む。町田は人当たりがよく、どこか飄々とした雰囲気がある。俺の緊張も、少しだけ解けた。
しばらくすると、講師の天田が部屋に入ってきた。
スーツを着てはいるが、ネクタイは緩く、髪もボサボサ。だが、その姿にはどこか余裕と風格がある。何より、視線が鋭い。場の空気を支配する力を感じる。
「今日の受講生は君たち二人だ。さて、数時間だがダンジョン運営成功の秘訣を教えよう」
その声には、一切の迷いがなかった。さすが「神様」と呼ばれる男だ。
「君たちも知っているだろうが、こいつがゴブリンだ。こいつらは、一層目に配置すれば問題ない」
目の前のゴブリンが、くちゃくちゃと何かを噛んでいる。ガム? いや、骨か?
その後も講座は続いた。罠の配置、モンスターの役割分担、冒険者の心理を突く方法――といった内容を期待していたが、実際は違った。
「適所に配置しましょう」「モンスターは育てれば応えてくれる」
当たり前すぎる。具体性が一切ない。
俺が質問しようと手を挙げる前に、町田が感激したように立ち上がり、「おお、神様!」と大げさに天田と握手している。
講座の最後には、当然のように受講料の請求が来た。
正直、払う価値があったとは思えないが、ここでケチっても始まらない。
「おお、そうだ。そこの君。ダンジョンには、どんなモンスターを配置するんだい?」と天田が尋ねてきた。
「うーん、故郷のモンスターですね。スフィンクスとか」
ぼんやりと、だが俺はそう答えた。
エジプトで育った俺にとって、それはごく自然な発想だった。
天田は鼻で笑った。
「ふふ、そんな甘い考えでは運営はうまくいかないぞ」
明らかに上から目線だ。俺の中で、静かに闘志が燃え上がる。
――こうなったら、日本一の運営者となって、見返してやる。
家に戻るとすぐに、俺は故郷に連絡を入れ、伝説のモンスターたちを取り寄せた。
謎かけのスフィンクス。定番のミイラ男。そして、冥界の王・アポピス。
この三体がいれば、立派なダンジョンになるはずだ。
「よし、スフィンクス。俺に謎を出してみろ!」
どれほど深淵な問いが返ってくるのか。わくわくしながら耳を澄ませる。
「……。1+1は?」
は?
「難しすぎて答えられないか。答えは3だ」
満足げにふんぞり返っているスフィンクス。
違う。そうじゃない。俺は、ただ呆れているんだ。
お前、知能低すぎないか? それ、謎かけじゃなくて算数なんだが?
残念ながら、モンスター返却制度はない。バグったAIを引き取ったような気分だ。
「大丈夫、まだミイラ男たちがいる……はずだ」
不安を押し殺し、俺はスフィンクスを門番としてダンジョンの入り口に配置した。ぶっちゃけ、番犬の方が役立ちそうだが、今は考えないでおこう。
こうして、豪雪地帯の片隅に、一つのダンジョンが誕生した。
まだ誰も訪れていない、真っさらな冒険の地。
「さて、明日からオープンだ」
来るがいい、日本人よ。俺のミイラ男たちが、お前らを震え上がらせてやる。