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小説家は筋肉に恋をする―小説より奇妙でプロテインより甘いひととき―
小説家は筋肉に恋をする―小説より奇妙でプロテインより甘いひととき―
紅夜チャンプル
BL現代BL
2025年06月17日
公開日
1.5万字
完結済
小説を投稿する大学生の僕は、ある投稿者の書く恋愛小説に感銘を受け、自分も恋愛小説を書く練習をしている。 ある日、腕時計の電池交換をしに僕は時計店へ行き、そこにいる店主のおじさんと話をする。 そのおじさんの鍛え上げられた筋肉に魅了され、僕は初めて胸の奥が熱くなっていくのを感じた。

第1話 時計店での出逢い

 ピピピピ……

 朝日が差し込む部屋で、目覚まし時計3台が順番に鳴り響く。僕は順番に音を止めていき、3台目の2回目の音が鳴るのを止めたところで起き上がった。


「うぅ〜ん……」

 大学生の朝は遅い。朝に弱い僕はなるべく1限を取らないようにしているので、比較的余裕がある。ボサボサの髪のまま朝食の準備をする。


 ふとPC台に置いてあるノートが目に入る。ああ……昨晩も小説のプロットを書いていたんだっけ。小説を執筆し始めたのは高校生の時だった。もともと引っ込み思案な性格の僕が唯一夢中になれる趣味である。趣味と言ってはいるが、一度でいいから書籍化もしてみたいと思っている。難しいけれど。


 朝食のトーストをかじりながら、いつもの小説投稿サイトをスマホで眺める。ヒューマンドラマをメインで書いているが、今は恋愛小説を練習中。

 漫画やドラマを見て、何となくこういうシチュエーションがいいなと思い浮かべながらメモを取っているので、小説のプロット用のノートだけは字で埋め尽くされている。


 だがうまく物語になっていないのだろう。僕の作品のアクセス数が伸びるわけがなく、通知の数の少なさにため息をつく日々である。


 そういえば――今日は金曜だから更新されているはずだ。僕にはお気に入りの投稿者がいる。ユーザ名は「真珠の涙」さん。この人の書く恋愛小説は文章が綺麗で色気を感じる。いやらしい言葉を使用せずに世界に没入できるので、僕は更新をいつも楽しみにしている。


『君の笑顔も涙も全て僕のもの。どうかこの夢よ……覚めないでおくれ。この温もりが永遠でないと分かっていても、今はこの姿であなただけを包みたい。静かな部屋の中であなたの吐息だけを感じ、熱がこもる……』


 おお……良い。こういう表現を書いてみたい。僕が書いた場合『大好きな君は僕のもの。明日が来るのはわかっているけれど、今は抱き合いたい……熱い夜よ』となりそうなのに、どうすればここまで書けるようになるのだろうか。


 ちなみに僕のユーザ名は「メンダコの趣き」である。今日もコメントを送ろう。『君の笑顔も〜の表現がとても好きです。この後2人がどうなるのか楽しみです』と書いて送信した。実はこのユーザさんに憧れたのがきっかけで自分も恋愛小説を書きたいと思ったのだ。そうすればもっとコミュニケーションが取れそうだから。


 僕のコメントの返信も必ずしてくださるので、この小説投稿サイトでやり取りする仲だ。真珠の涙さんのフォロワーは思ったよりも少なくて、コメントをしているのはほぼ僕である。何かのコンテストに応募しているわけでもなく、趣味で書いているのだろうか。


「いけない、もう出なきゃ」

 僕は慌てて鞄を手に取り、大学に向かって行った。


 大学生はリア充の人が多いのだろうな。そう思いながらキャンパス内を歩く。カップルも多いしサークル活動をしている者だって多い。そのような中、特にどこにも所属せず大学の授業だけを受けに行く僕。家で小説も書きたいため仕方のないことだけど。


「あれ……?」

 僕は腕時計を見て気づく。針が止まったままなのだ。時間もおかしい。電池交換に行かなければならない。


 今時、腕時計が電池式の人は少ないだろう。だがこの時計は高校入学祝いに父がプレゼントしてくれたもの。デザインが渋いけれど、服に合わせやすくて気に入っている。けっこう長い間使っているな……帰りにいつもの時計店に寄らないと。


 僕は授業が終わってすぐに大学を出て、駅前の小さな宝石時計店に足を運んだ。昔ながらのレトロな雰囲気が好きで、店主のおじさんも渋くて味のある人。数回行っているので僕のことを何となくでも覚えてくれているといいな。


 カラン

「いらっしゃいませ」

「あの、時計の電池交換をお願いします」

「分かりました。では1時間後にまた来てくださいますか?」

「はい」


 止まった時計が動く時に何かが始まりそうな予感。


 前も思ったけれど、この店主のおじさん……いい香りがするんだよな。時計店の匂いか? いや……このおじさんだろう。少ないながらも宝石を取り扱っており、お洒落で洗練されている見た目。僕よりもはるかに長身で身体を鍛えているのか、全てが大きく見える。オールバックでゆるふわ感のあるヘアスタイルがよく似合う。


 ついおじさんに見惚れてしまう僕。客はいない。ここでおじさんを見ながら1時間待ってはいけないだろうか。


 ――そうだ。


 僕は鞄からノートを取り出す。ネタがあれば書き溜めておかないと。おじさんにこのお店のことを聞こう。恋愛小説で宝石店に来たカップルを書く勉強にもなる。


「……すみません。ちょっとお聞きしていいでしょうか?」

「はい?」

「僕は今小説を書いているのですが、宝石店に来る男女のことを書きたいのです。どのようなお客さんがいらっしゃるのですか?」

「……小説を書くのか。投稿サイトでも使っているのか?」


 おじさんがニッと笑顔になる。その笑顔に僕の胸の奥でトクンと音がした。何故だろう、おじさんにここまで心が揺れることなんて今までにあっただろうか。僕はどうかしているのかも……。

 そして投稿サイトだなんて……まだ知っている人は少ないはず。このおじさんももしかしたら……? 


 黒いシャツの第二ボタンまで開けたその胸元に、僕にはない男性の色気を感じてしまう。鍛え上げられた胸筋はシャツを弾き飛ばすようで、そこだけピンと張っている。


 ――かっこいい。


 気づけば僕はおじさんから目が離せなくなっていた。こんな気持ち、真珠の涙さんの小説の中だけだと思ってたのに……。

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