俺の名前は
そんな俺に欠かせないのがジム通いだ。ジムでは余計なことを全部忘れてひたすら自分に向き合える。社内で裏切られることはあっても筋肉は決して裏切らないからな。あとはこの生まれ持った褐色肌――まぁ日焼けマシンもちょくちょく使っているが――筋肉の輪郭がグッと浮き上がって、鏡の中の自分を見るとテンション上がるってもんさ。ん? 見たくなったか? また今度な。
そうそう前のジムにベンチプレスでマウントを取ってくる奴がいてな。集中できなかったから今のジムに変えたんだよ。そこで俺に最初に声をかけてくれたのが
薫とはすぐに意気投合してベンチプレスを隣同士で競い合うようになったんだ。120キロまでいった時には2人でハイタッチして肩を叩き合い、お互いの勇姿を称えたものだよ。
さて、この年齢になれば次世代に伝えたいことが多く出てくるものだ。部下へのコミュニケーションもあるが、やはり社内だからだろうか、どこか遠慮してしまう。俺みたいなのは、本音で話せば「暑苦しくて鬱陶しい、この筋肉が」と思われがちだ。
そんな時にある大学での講演会の依頼が会社に来た。AIがもたらす未来について――うちのようなAI企業に今の学生たちがどれほど興味を持ってくれるのか、考えるだけで年甲斐もなくワクワクしてくる。
何といっても今を生きる学生と一度触れ合いたかった。これからは彼らが将来を担うのだから。
すぐに希望を出して本番までに資料も作成し、無事に講演会は終了。ホッとしたのも束の間、1人の男子学生が俺のところに質問に来た。
「……あの、生成AIが当たり前になる未来であっても……僕は人の温もりが欲しいだなんて……おかしいのでしょうか?」
「おかしくなんてないさ。何も生成AIに全て乗っ取られるわけではない、共存さ。AIが得意な箇所はAIに、人間が得意な箇所は人間に――だが今後のことは俺にもわからないな。君は興味があるのか?」
「興味があるというか……僕は……あなたを見ていると……」
バタン
男子学生はぼんやりとした顔つきになってその場に倒れ込んでしまった。
「おい! しっかりしろ! おい!」
よく見ると目を閉じた顔つきが綺麗で俺は心を奪われそうであったが、それどころではない。救急車を呼んだがこの時期に倒れる人が多いのか、断られてしまう。大学に事情を話して許可をもらい、タクシーで自分の家に連れて行った。
後から考えると何故初対面の彼を連れて来てしまったのか、未だによくわかっていない。自分の講義のせいだったらと思うと申し訳なくて介抱しようと決めた。きっとそうだ。
ベッドの上で目が覚めた彼は俺の方を見て目を見開いていた。そりゃあ驚くか。タンクトップ一枚だもんな。スーツを脱いでタンクトップ一枚になる――そこからが、自分の身体に意識を向ける時間。鏡を使って俺は筋肉と対話するんだ。
「気づいたか。悪いな。勝手に連れて来てしまって……水飲むか? あ、プロテイン用の水もあるんだが……普通の水はと」
「あの……お願いがあるんです……」
「え?」
「僕を……抱き締めてくれませんか……?」
――何だと?
だがさっきからその愛らしい姿で俺の筋肉を凝視するかのように見られると……抱いてみたくなった。
「僕ずっと……就活どうしようか悩んでて……だけど……今日の講演会で勇気をもらえたんだ」
「そうだったのか」
「でね……」
彼の就活の悩みを聞いているうちにすっかり遅い時間になってしまった。
「……僕、こんなに就活の話聞いてもらったの初めてだよ。そうだこれも書こう」
そう言った彼はノートを取り出して何かを書いていた。
「それは何だ?」
「僕、小説を書いてるんです」
「すごいじゃないか、読んでみたいな」
「あ……じゃあこれ……僕の……投稿ページです。読むだけの人でも簡単に登録できるんです」
このような投稿サイトがあるなんて知らなかった。電子書籍でもない、アマチュアの作家たちが自分の気持ちを打ち明ける場所のようにも見える。
俺もこういったサイトで何かを発信してみたいものだ……いや、やめておこう。筋トレ日記しか思いつかない。
「俺は倫太郎。君は?」
「
「メンダコの趣きか……じゃあ俺はワイルドに『夏の荒波』といこうか」
「……っ!」
彼が俺を見つめている。そしてそのまま勢いよく俺の胸に飛び込んで来た。
「……ふふ。荒波に飲み込まれるメンダコ、なんちゃって」
「おいおい……ハハハ」
「ねぇ倫太郎さん……僕のこと……ゆいって呼んで欲しいな」
彼が俺の大胸筋の内側に顔をちょこんと乗せて甘えたようにいう。
――可愛い。
俺もこんな気持ちは初めてだ。これはいいのか?
わからない……だが筋肉が彼に吸い付くようにぴくぴくと内側から動こうとしている。筋肉は嘘をつかない。そうだ、筋肉に従って思いのままにゆこう。
「ゆい……可愛いな」
「倫太郎さん……!」
その後小説を書いたから読んでほしいと連絡もあり、スマホを見る。そこには俺と初めて出会ったあの講演会のことが書かれていた。俺に対する尊敬の思いがいつしか恋心になってしまった。あなたの逞しい筋肉にいつまでも包まれたいという内容。
大胸筋がはち切れそうなくらい胸がいっぱいになる。そしてすぐにメッセージを打つ――「私も同じ想いです」と。
※※※
「ゆい、置いておくぞ。寝る前にこれに着替えたいんだろ?」
投稿サイトで想いが通じ合った俺たちは順調に付き合いを続けている。今日はゆいがうちに泊まる日だ。
「……ありがとう倫太郎さん。あ、ごめん
電話していたのか。薫って誰だ? まさかあの薫か? いや……女性かもしれないし……まぁいいか。それにしても俺のことを嬉しそうに話すな。ということは仲の良い友人か何かだろうな。
「――もうこんな気持ち初めてなんだ……ずっと就活不安だったからさ。気づいたら一晩中ぎゅっと抱いてもらってて……胸の筋肉が本当にすごくて、腕も逞しくてさぁ……嬉しかったなぁ。だから今は倫太郎さんの家にいるよ。 え? 薫さんも好きだよ! だって薫さんの丁寧で繊細な恋愛小説は僕にとっては忘れられないんだもの……え? わかった今度行くね! 楽しみだなぁ」
ああ小説家仲間か。俺みたいに筋トレばかりしている薫が繊細な恋愛小説なんて書くわけないからな。
ただ何となく――電話口の声が焦っているようにも感じたが。気のせいか。
「お待たせ、倫太郎さん」
「ほらこれ。ゆいのサイズに合ってないけどいいのか?」
ゆいは寝る時に何故か俺のお下がりのブカブカのハーフパンツを履きたがる。朝になって脱げているのを見るのも楽しいといえば楽しいが。
「うん! これがいい!」
可愛い笑顔を見てまたゆいを抱き締めてしまう。
「寝るか」
「今日は何するの?」
「……何期待してんだよ」
「だって……だって……倫太郎さんのせいだもん……今日は……お揃い」
ゆいは俺にライムグリーンのブーメラン下着をプレゼントしてくれたので、今日はそれを履いている。鮮やかな発色、筋肉のラインが美しく見えること、通気性抜群ですっかり気に入った。ちなみに彼は同じライムグリーンのボクサーパンツを履いている。お揃いの下着というだけで、いつも以上にお互いを意識してしまう。
「倫太郎さん……」
「ゆい……」
※※※
(結斗の視点)
はぁ……倫太郎さんの筋肉もあったかくてドキドキしてしまった。あの胸の筋肉の迫力にどうしても吸い寄せられてしまう。
けど最初に僕を家に呼んでくれたのは薫さんだし、薫さんは背中の筋肉が特に綺麗だからいいんだ……。
結局僕は――誰が好きなんだろうか。
そう思いながら自宅に戻ろうとするとドアの前に宅配業者のおじさんがいた。
Tシャツの袖をまくりあげて、大きく膨らみすぎた上腕筋が段ボールをしっかり支えている。
「あ、お荷物中に入れましょうか?」
そう言われたが、そのおじさんの腕の立派な筋肉を見て僕は薫さんや倫太郎さんに抱き締められたことを考えてしまい顔が熱くなる。
おかしい……また立ちくらみ……しちゃう。
そうだ……就活の準備もあって寝不足だったんだ……。
バタン
「君、大丈夫か? 困ったな、救急車……繋がらない。仕方ない、いったん車に……」
(いや、落ち着け俺。俺はただの配達員だ。だが……この子、こんなに綺麗な顔して……え、何考えてんだ俺は)
「……ふぅ、よし。まずは車にのせて、冷たい水でも飲ませようか」
終わり