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──無法地帯
ダンジョンに法はない。
『ダンジョンはその土地の地下に存在するのではなく、全く異なる空間に存在している。故にそこはいかなる国家も領有権を有さず、いかなる国家の主権も及ばない』
と、そう企業が主張したからだ。
それが正しいとも、間違っているとも言えないが、今もダンジョンに法はない。
「いつ来てもここが無法地帯とは思えないよな」
俺の相棒である湊が信じられないことを言う。
湊──“湊凛”は20代後半/三白眼/短いポニーテル/長身/の迷彩服姿の女だ。
手には物騒なサプレッサー付きアサルトライフル。腰には45口径の自動拳銃。頭にはベースボールキャップ。顔には最新の軍人が好む頑丈なサングラス。
そこに国籍/企業/犯罪組織/といった所属を示すものは一切ない。
これがやつのいつもの仕事の恰好。
これらが何を意味するのかと言えば
湊の目線の先に映るのは煌めく
赤い花。青い花。白い花。紫の花。花、花、花。一面の花畑。
そんな色とりどりの花が咲く美しい光景だが、その咲いてる花は地球のどのような植物にも遺伝的に類似しない。
これがダンジョンの光景。
「お前、この無法を前にしてよくそんなことが言えるな」
湊の発言に思わず俺は渋い顔をしてそう言い返した。
俺もいつもの仕事着姿で、相棒との装備の違いは手に握っているサプレッサー付きのショットガンと頭にかぶったブーニーハット、そして頑丈な大型軍用ナイフ。それぐらいである。
ショットガンのショットシェルはバックショット──対人・対クリーチャー用のタングステンの
言うならば湊の装備が精密な脳神経外科手術用のメスだとすれば、俺のは野戦病院で根元から腐った手足を切断するのこぎり。そんなところだ。
そんな俺たちの足元には射殺されたドラッグカルテルのメンバーの死体がある。1体、2体、3体、4体、5体、6体…………と、まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずのように花畑に点々と残されていた。
首のもげた死体。散弾が体を抉った死体。頭蓋骨の潰れた死体。通常の射殺体。
既に酸化し始めた血に沈んだそれらの死体は虚ろな目で太陽を見上げている。
「だって見ろよ、佐世保。この綺麗な花畑を。何とも平和じゃないか」
「クソッタレなケシの花も一応は綺麗だぞ」
この綺麗な花からはヘロインの50倍から60倍以上の中毒性があり、日本の法律で禁止された危険なドラッグが抽出できるということは湊も知っている。
「ケシの花、か。残念なことにあたしは実物を見たことがない」
「俺は見た。アフガンでな。嫌になるほど見た」
佐世保──“佐世保若葉”が俺の名前だ。
俺と湊は日本迷宮公社の職員である。
「お前はアフガンに行ったんだよな」
「ああ。アフガン送りを免れたということは、そっちは東南アジアか?」
「イエス。海軍さんと海賊狩りさ」
「羨ましい。中央アジアはクソッタレの地獄だった」
「おいおい。地獄じゃない戦場があるのか?」
「そりゃないな」
俺たちはふたりとも日本情報軍の特殊作戦部隊に所属していた。
3年前に世界が発狂して、地球のあちこちにダンジョンが出現し、それによって発生した大規模な軍事衝突──ダンジョンとの戦争──ダンジョン戦役が勃発するまでは。
それが俺たちを変えた。最初期のダンジョン側からの完全な奇襲によって絶望的な戦闘を強いられた俺たちは重傷を負った。
俺は脳の一部と四肢の欠損。────連日連夜に渡る幾度もの出撃で疲弊した空軍のパイロットが間違って落とした爆弾のおかげで。
湊は両目の完全な喪失と全身の皮膚への重度の火傷。────ダンジョンから湧き出したクリーチャーのナパーム弾のような炎を浴びたせいで。
俺たちはそれが原因で情報軍を傷病除隊処分となった。
事実上、俺らは軍を蹴りだされたのだ。
それを拾ったのが、他でもない公社である。
「精製済みドラッグが80キロ。あとで厚生労働省の連中に引き渡す。残りの任務は枯葉剤を撒けば終わりだ」
「オーケー。仕事を終えよう」
俺の指示に湊が枯葉剤を詰んだドローンを飛ばす。
ドローンは異界の花畑に枯葉剤を撒きながらのんびりと空を飛び、俺と湊はダンジョンに進出したドラッグカルテルから押収した薬物を運びだしていく。
「いいか。俺たちは今回もあくまで
「分かってる。あたしたちはただの
繰り返すがダンジョンに法はない。
ドラッグカルテルがここに陣取り、危険薬物の原料となる植物を栽培し、さらには危険薬物を精製したとしても罪の問われることはない。
だが、ダンジョンを有する国々はこのような無法地帯が国内に突然生じることに危機感を覚えた。彼らは自国にアフガニスタンやソマリアにあるような無法地帯が生まれることを望まなかった。
ダンジョンを抱える日本政府は、そこである組織を作った。
それが公益財団法人日本迷宮公社である。
俺たちの敵対者たちからは/身勝手な自警団/自治の押し売り業者/マンハンター/クソファック野郎ども/とそう言う呼ばれ方をしている組織だ。
「佐世保」
と、ここで湊が拳を握った手をすっと上げた。止まれの合図だ。
「カルテルの生き残りか?」
「分からん。だが、人間ではない。嫌な感じだ」
全身の皮膚を火傷で失った湊は、公社の技術でその焼けただれた皮膚を特殊な金属繊維に置き換えた。その金属繊維は周囲の生体電気を敏感に察知し、数キロ離れた敵でも、壁の向こうにいる敵でも、熱光学迷彩を使用中の敵だろうと検知できる。
感知した生体電気は機械化された眼球に内蔵されているAIによって分析され、敵の規模はおろか武装の程度まで特定される。
絶対に敵を逃さない究極の
「どうする?」
「何であれ俺たちの仕事を邪魔するなら排除する。ダンジョンに法はない」
「オーケー。索敵を続ける。ドローンを使っても?」
「構わん」
湊が俺の許可を得て、複数の小型ドローンを空に放つ。その映像は湊とAIがリアルタイムで処理している。
湊は一度視力というものを完全に失ったのちに、複数の映像を同時に処理する能力を与えられた。やつは10機以上のドローンの操作とその映像を同時に処理できる。
俺はその間、じっと待つ。軍人だったときのように。
だが、今の俺はもう軍人としての特権を失っている。
カルテルがドラッグを精製しているのも、それを俺たちが武装して襲撃しているのも、大した違いはない。どちらも地上であれば法に接触するものだ。
ここに悪党と正義の味方の
ダンジョンというのは法がなければ正義もクソもないのを体現している。
「見えてきた」
「画像、共有してくれ」
「あいよ」
湊から映像が送られてきた。
映像には牧歌的ともいえる草原を人──と思しき存在が逃げていた。その後ろからは恐竜のように歩行するクリーチャーが数体追いかけているのが分かる。
放置すればこのままクリーチャーの餌だな。
「IDを認証。一致するデータはないが、一方は明らかに敵じゃない」
「だが、助ける義理もない」
人助けは俺たちの仕事じゃないと、俺はそう言った。
俺たちの任務はドラッグカルテルのような連中を潰し、日本の国益を守ること。どこの誰とも知れぬ、しかもダンジョンに不法侵入しているような連中を助けているような暇はない、と俺は言った。
「佐世保。あたしは帰って度数の高い安酒を飲んでいるときも、シャワーを浴びているときも、そしてベッドに入ったときも、あたしたちが見捨てた誰かを思い出して嫌な思いをしながら過ごしたくない」
「クソ。分かった。俺が処理してくる」
湊がそうであるように、四肢と脳の一部を欠損した状態で公社に拾われた俺もまたその体に強化が施されている。
それ故に俺たちは
欠損した脳機能はナノマシンと有機コンピューターによって強化され、失った四肢が脊椎ごと機械化されているのに対処している。
俺は駆けだす。
歩くという行為を奪われていた俺に与えられた足は、DNA段階から、さらにはタンパク質の三次元構造から設計された人工的な筋肉とそれを補助する特殊な金属繊維によって組織されている。
歩く/走る/跳ぶ。その全ての行動において常人の数十から数百倍の力を持った俺が駆ければ、目標まで一瞬のこと。
俺の作られた脳は体感時間を遅延させ、俺の本来の脳が応じる時間を作る。
いわゆるバレットタイムのようなスローモー。
「────!」
「間抜け面を晒してどうした?」
恐竜でいうところのヴェロキラプトルに似たクリーチャーからすれば、俺は人間を追う連中の真ん前に突如として現れた形になる。そうであるが故に連中が何が起きたかを理解する暇はない。
俺は大した感情も込めることなく、ショットガンの引き金を絞る。サプレッサーで抑制された銃声とともに放たれたペレットによってクリーチャーの頭が爆ぜる。
セミオート式ショットガンはそのままガシャンと音を立てて次の銃弾が装填され、俺は次の獲物に狙いを定める。次は攻撃の仕草を見せていた方だ。
攻撃は常に自分にとって危険なものを優先しろ。それが戦場の基本だ。
再び放たれたペレットによってクリーチャーが爆ぜる。
「────!」
醜い鳴き声を上げて襲い掛かる最後のクリーチャーに俺は打撃を繰り出す。
人工筋肉とそれを補助する金属繊維によって叩き出される打撃は、戦車砲の砲撃にも匹敵する威力がある。現代の主力戦車が採用している120ミリ~140ミリの主砲から放たれる砲弾と同じ威力だ。
クリーチャーの頭部に叩き込まれた拳はそれだけの威力があり、クリーチャーの頭蓋骨と脳を完全に破壊した。まるで飴細工が砕けるかのようにそれは破壊された。
そこに良心の呵責はない。こいつらは俺たちの知る普通の世界を破壊した連中だ。ダンジョンから溢れて虐殺を繰り広げ、俺は脳と手足を、湊は眼球と皮膚を、そして大勢が知人、友人、家族を失ったのだ。
それゆえに生じる感情は──。
快楽。愉悦。歓喜。
こうして薄気味悪いクリーチャーがぶちのめされるのは実に愉快だ。欠けた脳みそを突き抜けるような快感がある。俺のほの暗い嗜虐心が満たされる。
その俺の快楽の感情とともに赤黒い肉片が周囲に飛び散り、クリーチャーが痙攣しながら地面に崩れる。
「ひっ!」
それを見ていた逃げていた人間が悲鳴を漏らす。クリーチャーではなく、俺の所業の方が恐ろしかったらしい。
「大丈夫か?」
俺はそんな人間を安心させるために、武器を降ろしてそう尋ねた。
しかし────。
「こいつ…………!」
すぐに降ろしたショットガンの銃口をそいつに向ける。
「おい、佐世保!? お前、何をしているんだ!?」
ここで慌てた湊が駆け寄ってくる。やつはまだ気付いていない。
「よく見ろ、湊。こいつは人間じゃない」
俺が銃口を突き付けている存在は、人間ではなかった。
……………………