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日本迷宮公社

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 ──日本迷宮公社



 無事に撤収が完了し、俺たちはダンジョンの入り口にまで帰還した。


 ダンジョンの内部には未だいかなる国家の主権も及んでいない。しかし、ダンジョンから出れば、すぐさまそこは日本の領土であり、日本政府の統治する場所だ。


 ダンジョンの出入り口はとても広い。やろうと思えばジャンボジェットがそのまま突っ込めるぐらいにはデカい。


 それは最初は鍾乳洞のような場所だったが、今は企業が機材を運び込むために拡張を行い様変わりしている。


 昼間と夜の区別もないほどの照明。整備された巨大な道路。立ち並ぶ企業の建物。ダンジョンに滞在する人間相手の商売をしている店舗。そして、日本領側に設置された大規模な検問所。


「厚生労働省の連中が来ている」


 ただ僅かに一歩境界線ボーダーラインを越えるだけで無法から法の支配する場所へと、劇的に状況が変わるダンジョン。


 厚生労働省から派遣されている人間は、そんなダンジョンの一歩内側で待っていた。


 厚生労働省の麻薬取締官が2名、どちらも男でスーツの上にレイドジャケットを羽織って待っている。武装なし、麻薬探知犬なし。


 連中がここまで堂々と姿を見せているのは、これが茶番だということを意味する。最初から何もかも決まりきった陳腐な脚本の三文芝居だ。


「公社の方ですね。のご協力ありがとうございます」


 厚生労働省から来た男は慇懃無礼と言えるほど丁寧にそう頭を下げる。


「ああ。これを見つけたから、処理してほしい」


 俺はそう言って湊とともに回収したドラッグの袋を渡す。


 いつものセリフで台本通り。


「はい。安全に処理しておきます」


 厚生労働省の男たちは車両にドラッグを詰め込み運びだした。すぐ外には警視庁から派遣されだろう護衛が到着している。


 軍用車両のような物々しい装甲車と重武装の警官。カルテルがドラッグを奪還しに来ることを警戒している。


 その警官たちからは俺たちに冷たい視線を向けているように見えた。


「ふん。本職からすれば荒野の保安官気取りは気に入らんかね……」


「だろうさ。本来は連中の手柄になるはずだったんだ」


 俺が呟くのに湊はそう言って肩をすくめた。


 ダンジョン内に日本の主権は及ばない。日本の方は適応されない。そうであるが故に日本の政府職員が武装して、勝手に法を押し付けるのは一種の軍事侵攻だ。


 一方的な軍事侵攻が昔ほどタブー視されているわけではないが、ダンジョンへのには議会の承認が必要になるし、国際世論からの批判にも対応しなければならない。


 そういう手間を省くのが我らが日本迷宮公社の存在だ。


 俺たちは日本政府とは直接関係ないが、行動は日本政府の利益になっている。常に。


「公社に戻って報告だ。マオについてもな」


「ああ。早く治療を受けさせてやらないと」


 湊はそう言って心配そうにマオの方を見た。


「……あううぅ…………」


 マオは不安そうにしている。このままどこに連れていかれるのかとそう疑問に思っている表情だろう。


「もしかすると、近くに家族とかがいたんじゃないか?」


「いや。それはなかった。俺がドローンで確認している」


「そうか。なら、さっさと医療班に押し付けてしまおう」


 俺たちはマオを連れて、ダンジョンの出口に立ち並ぶ建物中のうち公社の所有する建物に入った。


 公社の建物はそこまで高い建物ではなく、高いヘスコ防壁や有刺鉄線に囲まれた軍事施設染みたものだ。しかし、これにはちゃんと理由がある。


 これまで俺たちがやってきた身勝手な自警団行為に腹を立てた企業/犯罪組織/民間軍事会社PMSCがお礼参りに出たからだ。


 迫撃砲が撃ち込まれること93回。対戦車ロケットの飛来は36回。武装した集団が施設に侵入しようとした事件は12回。その他襲撃案件は100回以上。


 俺たちはこのダンジョンでまさに忌み嫌われた組織だ。


 そんな公社の建物に俺たちが近づくと、すぐさまリモートタレットが自動的に俺たちの方を照準し、同時に生体認証を行う。


『佐世保、そいつは誰だ?』


 マオが案の定、生体認証に引っかかり、担当している人間が尋ねてくる。


「拾った。負傷者だ。手当してほしい」


『危険はないんだろうな?』


「少なくとも俺も佐世保も襲われてない」


 湊の言葉にしばらくの沈黙。


 それからゲートが重々しく開く。


「入れ」


 武装した公社の職員が出迎え、俺たちは足早に敷地内に入る。


「クソ。妙なもん拾って来やがったな?」


 アサルトライフルで武装した陸軍上がりの警備主任が警戒の視線をマオに向けながらそう言う。


「怪我した子供をほっとけるかよ」


「こいつが子供だって保証はないだろ」


「子供だよ。あまり不安がらせるな。可哀そうだ」


 湊の人道主義は情報軍上がりにしては珍しく、そのせいで浮きがちだった。


「湊が言うように俺たちは襲われてない。手当をして安全に帰せる場所を見つけたら、さっさと追い出すからそれまではいいだろ?」


 俺はそこで湊に助け舟を出す。


 別にマオが好きになったわけじゃない。ただ湊がこれ以上公社で浮いた存在になるのを止めたかっただけだ。


 こいつは俺の相棒だし、俺と同じで公社にしか居場所はない。


「分かった、分かった。あんたが言うならそうするよ。医療班に連絡しておく」


 それから俺たちはマオを連れて医務室に向かった。


「おや。随分と変わった患者がきたね」


 そう言って俺たちを出迎えるのは20代後半/人工的すぎる金髪/ミディアムボブ/長身/の女。


 スクラブの上に纏った白衣はそいつが医療関係者であることを示しており、オフィスチェアに座った俺たちの方に感情のうかがえない視線を向けていた。。


 首から下げた身分証には『橘渚沙』とある。


「先生。怪我人だ。診てやってくれるか」


「ふむ。本当に彼女が患者なのか? 君たちのいずれでもなく?」


「ああ。あたしも佐世保も問題はない」


 橘は公社所属の医者であり技術者だ。


 通常の医療サービスから俺たちエンハンサーに組み込まれた技術の整備まで。橘には普段から世話になっている。


 その居城である医務室には様々な設備が置かれており、俺もその全ての用途は理解できない。


 ただオフィスの置かれている『電気的に生じる魂の解明について』『脳神経医学ジャーナル:魂の発見』『アダム・クライン仮説から見る言語と魂』と言った医学書からは、脳のスピリチュアルな側面への好奇心がうかがえる。


「やれやれ。君たちは地球外生命体を私に治療しろと言うのか」


「無理なのか?」


 今度は湊ではなく、俺が尋ねる。心配というより純粋な好奇心ゆえだ。


「我々人類はまだダンジョンについてほんの僅かにしか理解していない。そこに暮らす生き物がどのような存在なのかについても同様に」


 そう言いながら橘は立ち上がり、マオの前に来て彼女の傷を見る。


「この裂傷にしたところで、下手に抗生物質を与えていいのか。それも分からないんだ。それぐらい難しい問題だよ」


「できる限りのことはしてやってくれ。頼む」


 湊が頼み込む。こいつは見知らぬ誰かのために頭が下げられる人間だ。


「できる限りのことはするとも。私も医者だからね。しかし、これは一応篠原に伝えておいた方がいいだろう。このタイプのクリーチャーは恐らくは君たちでも初めて見るものじゃないか?」


「ああ。完全な人型は数が少ない。こいつは新種だ」


 人に似た形のクリーチャーは存在する。


 醜悪な小人──ゴブリン。


 毛むくじゃらの巨人──トロール。


 獣と人間の境界──人狼。


 だが、確かにここまで完全な人型のクリーチャーは初めてだろう。もっともダンジョンの情報は錯綜しており、隠蔽されており、悪意ある偽情報が流布されているため、断言はできないものの。


「篠原も興味を示すはずだし、彼女の見識が治療に役立つかもしれない。一応彼女のモルモットにされないようにはしておくよ」


「そうしてくれ」


 湊が言い、橘は治療を始めた。


「ひゃん!」


「ちょっと染みるが、じっとしていてくれ」


 傷口を消毒し、一応麻酔をしてから壊死した部位を切除し、傷口を縫い合わせていく。麻酔が有効かどうかは運試しだったが、一応マオには作用したらしく、おっかなびっくりした態度は変わらないものの痛がっていない。


「満足か、湊」


「ああ。これで嫌な思いをせずに済む。これはマオのためというよりあたしのためだ。あたし自身の願いなんだよ」


「自分のため、か」


 そういうポジティブな願いを持っている湊が俺には羨ましく思えた。


 俺が心の奥に持っている願望は、この発狂した世界の全てを破壊してしまうこと。それぐらいだから。


 世界はおかしくなったままで、俺が知っている世界はもうないのだと、そう思うたびに自分自身を殺すか、この世界をぶち壊したくなる。



 ダンジョンも、公社も、クリーチャーどももクソ食らえだ。



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