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──コミュニケーション
篠原のマオへの検査というのは割と長く続いた。
しかし、成果が出たのは思った以上に早かった。
「みなと、させぼ」
タブレット端末を置いたマオが俺たちの方に駆けよってくる。
「ありがとう」
マオが自然とそう言ったのに俺も湊も目を丸くした。
「もう日本語が喋れるのか?」
「ここ最近の言語学というのは優れていてね。あっという間に未知の言語だろうと暗号だろうと解読してしまうのだよ。簡単な日常会話であれば、それこそ数時間で理解できるようになる」
俺が尋ねるのに篠原が自慢げに答えた。
「それからその子の知能が高いこともある。マオ君の知能は間違いなく人間に相当するものだ。教えたことはどんどんと吸収してくれた。これで日常会話は問題なくできるようになるだろう」
「凄いな……」
湊もそう呟く。マオに言葉を教えた篠原も凄いが、短期間で日本語を理解したマオもまた篠原が言うように高い知能があるのだろう。
そこでぐうぅと誰かの腹が鳴った。
どうやらそれはマオの腹だったらしく、マオは腹を押さえている。
「何か食べるか?」
「レーションの残りならあるが」
湊がマオに尋ね、俺はポーチから今回作戦で消費しなかったレーションを取り出す。国防軍横流しの戦闘糧食III型だ。味は人工的な甘みのリンゴ味で戦場の兵士が迅速な栄養補給が行えるもの。一種のプロテインバーみたいな代物である。
俺が包装を取って茶色いそれをマオに差し出すのに、マオは怪訝そうに暫くそれを臭っていたが、やがて受け取り口に運んだ。
「おいしい!」
「そうか」
この戦闘糧食III型は味についていい評判を聞いたことがなかったが、マオに舌にはあったようでぱくぱくと食べてしまった。
「ほら。それだけだと喉に詰まるから水も飲んでおくんだ」
「みなと、ありがと! みず、ありがと!」
湊はミネラルウォーターのボ突を差し出し、マオはごくごくとそれを飲んだ。
「さて、これからどうする?」
「マオ君は引き続き私が預かっておこうではないか。まだまだ調べたいことはあるし、君たちは帰宅するのだろう?」
「そうなるな。次の任務までに休んでおきたい」
俺も湊もマオに掛かりっきりになれるほど時間に余裕があるわけではない。
ダンジョンは今もクソの山であり、排除されるべきクソ野郎どもが溢れている。そして俺たちはそのクソ掃除という仕事があるのだから。
「マオ、篠原と一緒にいてくれるか? 俺たちは用事があるんだ」
「うん。しのはら、ともだち。みなと、させぼ、狩り?」
「狩りの準備だ」
狩り、か。言い得て妙だな。だが、間違ってもいない。
「また会いに来るからな。それじゃあ」
「またね、みなと、させぼ!」
俺たちはマオに手を振って研究室を去った。
「さて、と。一段落したところで、今回の件の報告をしておかないとな」
「報告書作りだな。だるいがこれも仕事だ」
俺も湊もドンパチだけが商売じゃない。
自分たちが見てきたこと、やったことを正確に報告することも求められる。それは軍隊時代とあまり変わらないが、軍隊時代同様にだるい仕事だった。
書類仕事というのAIがほとんど片付けてくれるようになっても、この面倒くささは残ったままである。
「報告書を書いてから帰るか?」
「そうするべきだろうな。残業だ」
「それもサービス残業」
俺たちは俺たち公社の職員に与えられた地上2階にあるオフィスに入る。
「よう、聞いたぜ。新種を拾って帰ってきたらしいな?」
オフィスには数人の職員がおり、そのうちひとりが話しかけてきた。
40代前半/無精ひげ/モヒカン/巨躯/の男。首から下げているIDにはまるで凶悪犯のマグショットのような写真とともに『村瀬正』とある。
こいつは公社の俺たち以外の実働部隊の指揮官だ。俺たち同様に情報軍上がり。
「ああ。篠原が世話をしてくれている。日本語でコミュケーションが取れるだけの知性があるんだぜ」
「クリーチャーが言葉を話すってのか? そいつは不気味だな……」
「そうでもない。普通の人間の女の子みたいなものさ」
「それでもクリーチャーなんだろ? 気味の悪い化け物の仲間だ」
村瀬はそう言う。
俺たちの仕事はダンジョンに巣くうならず者どもを掃除することだが、クリーチャーもまた脅威には変わりない。これまでクリーチャーは公社の職員に犠牲者を出してきた。
そもそもダンジョンがこのような無法地帯になる前に人類を脅かしたのはクリーチャーどもだ。村瀬も俺たちのように体を欠損するほどの傷は負っていないが、それでも部下や戦友を失っている。
故にそこにはクリーチャーへの憎しみがあるはずだ。
「それよりカルテルの方の動きはどうだ? 報復などは?」
「連中の通信を傍受してるが、誰に襲われたのかも分かってない。敵対するカルテルだと思っている連中もいるみたいで、ちょっとした抗争が起きている」
「そいつはいい知らせだ。悪党同士で殺し合ってくれるのはありがたい」
「だな。この混乱を活用すれば、さらにカルテルどもを潰せる」
村瀬の部下には情報収集を担当するものもいて、ダンジョン内の通信を傍受するなどしている。企業が引いた通信ケーブルからも傍受は行われており、本来ならば違法なそれもダンジョン内では文句を言われる筋合いはない。
「報告書、ちゃんと出せよ。お前らからの情報も貴重なものだからな」
「分かってる、分かってる。ちゃんと報告書は出すよ」
俺と湊は自分のデスクに座り、報告書を作成する。
報告すべきことは交戦したドラッグカルテルの人数や装備、兵員の質などの情報。それからカルテルが運営している花畑の規模とそれに対する対処。また今回の任務において遭遇したダンジョンそのものの脅威。
これに加えてマオについてと自分たちの状況について報告しなければならない。
俺たちはエンハンサーはある意味では今も実験中のモルモットだ。だから、エンハンサーのまだ十分に確立されていない技術が、実戦ではどのように動いたかを報告しなければならない。
「今日はどれだけ殺した、ブギーマン」
「ブギーマンはやめろ。殺したのは俺と湊で20人だ」
「随分と殺したな。これだけ殺しても人材が尽きないってのは驚きだ」
「ああ。連中の求人には常に応募があるらしい。手っ取り早く犯罪で稼ごうっていう短絡的な人間がいるんだろう」
「馬鹿なやつらだよな。簡単に金が稼げるって話ほど怪しいものもないのに」
ダンジョンに入ることを日本政府は規制できていない。立ち入り禁止にするには、その土地を領有している必要があるがダンジョンは誰も領有していない土地だ。
だから、企業も犯罪組織もいくらでも人材をダンジョンに呼び寄せられる。
さらにそれに加えて日本政府も、公社も、完全にはダンジョンの出入り口を把握できていないということがある。
文字通り世界中に発生したダンジョンは、その出入り口をあちこちに形成したからだ。あの企業が整備した巨大な出入り口の他にも、小さな出入り口などが存在し、犯罪組織はそれを利用して密輸を行っている。
前科のある人間がダンジョンに入ることも、それで可能になっているのだ。
「あとで新種のことについても聞かせてくれよ」
「ああ。いいぞ。あとでな」
俺は村瀬に適当にそう返し、報告書を作成する。
そこで俺と湊の端末にメッセージの着信があった。
「理事長からだ。直接報告を、とさ」
メッセージを読んだ湊が俺にそう言った。
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