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──罪と罰
日本迷宮公社には5名の理事からなる理事会と言う意思決定機関があり、そのトップが理事長だ。
理事長が事実上の業務の責任者であり、俺たちに指示を下す人間になる。
その指示を下す人間の中でも最上位だ。
「佐世保。理事会は何のことを気にしているんだと思う?」
「さあな。まだマオの件が伝わったとは思えないが」
俺たちはまだ今回の任務について報告していない。ちょうど報告書を作成しているところだった。
「今回の任務ではないことかね」
「それなら報告を俺たちを求めて呼び出すか?」
「報告という体で呼び出さなければならない事情がある、とか」
「ふむ……」
湊が仮説を立てるのに俺は考え込んだ。
俺と湊は名目上、実働部隊を統括する村瀬の指揮下にない。
実験部隊である俺たちを管轄するのは理事会そのものであり、俺たちは理事会の直属と言う扱いになっている。
だが、俺たちも必要に応じて現場で他の職員と共同しなければならない以上、村瀬の指揮下に入ることがある。船頭多くして船山に上るというように、現場にふたつの指揮系統があっては混乱の下だ。
理事会もその辺にはうるさくはなく、必要があれば村瀬の助言を受けている。。
ただ、そういう独立した指揮系統という経緯があるため理事会が村瀬たちに知られることなく、俺たちに何かしらの任務を与えたいということはあるのだ。
「行けばわかるだろう」
俺はそう言い、公社の施設にあるリモート会議室に入った。
当然ながら、理事長にせよ、理事にせよ、この危険地帯であるダンジョンにはいない。全員がテレワークで安全な日本から仕事を行っている。
俺たちは入ったリモート会議室にはカメラと3Dプロジェクターがあり、その部屋の中には既に理事長である人物が映っていた。
50代後半/胡麻塩頭/落ちくぼんだ目/整えられた口ひげ/の男が、俺たちの方をじっと見つめている。まるでロボットのような無表情さで。
「秋葉理事長。報告のために出頭しました」
俺がそう言うと秋葉──秋葉郁夫理事長は軽く頷いた。
『実は今回の呼び出しは報告を求めてのことではない』
秋葉の言葉に、やはりという顔を湊がする。
『我々公社は現在複数の問題を抱えている。だが、今回の件はダンジョンそのものの問題だ。我々は複数の情報源から、ダンジョンが拡張しているという情報を得ている』
「ダンジョンの拡張、ですか? 人為的な?」
俺は秋葉にそう尋ねた。
ダンジョンの入り口がここで採取される希少な資源などを運びだすために、企業によって拡張されたように、ダンジョン内で大規模な工事が行われていると思ったのだ。
『そうであれば我々もそこまで警戒しなかったのだが、残念なことにそこまで簡単な問題ではない。情報源によれば
「6階層が…………」
現在、ダンジョンの最深部は5階層だと考えられていた。そこがダンジョンの底であり、そこまで制圧すればダンジョンは人類の支配する場所になるだろうとも。
だが、それが覆されようとしている。
もっとも公社はそこまで深くで活動しない。ほとんどの任務は今回のカルテルへの掃討作戦のように1階層、潜っても2階層程度で行動している。
それは企業にせよ、犯罪組織にせよ、そこまで深部で活動しないからだ。
ダンジョンで深部に潜るというのは、それなり以上のリスクがある。
『我々は深部偵察をずっと棚上げにしてきたが、この状況を考えればそろそろ着手すべきように思える。君たちには準備をしておくよう頼む』
「了解」
理事長の話はそれで終わり、俺と湊は会議室の外に出る。
「深部偵察、か。面倒なことになったな……」
「そうだな。あたしたちも潜ったのは4階層までだ。5階層に到達したことすらないのに、既にダンジョンには6階層が生まれているとは」
「まだ6階層の誕生は確かなことじゃない。まずは5階層の調査になるだろう」
湊が言うのに俺は楽観的な意見としてそう述べた。いきなり6階層の深部偵察に派遣されることはないだろうという楽観的な意見だ。
「とりあえず今日は報告書を出して帰ろう」
「そうだな。備えるってのはそういうことだ」
次の仕事までに急速を取り体力を回復させる必要がある。人間もあらゆる生き物も覚醒したままでは、衰弱していくだけだ。
俺と湊は報告書を完成させて提出し、それから公社から自宅に帰宅する。
俺たちの自宅はダンジョンのすぐ外に広がる都市に存在する。
開門特別市────ダンジョン戦役で焦土となった東京の郊外に位置する、その場所に日本政府が設置した行政区画。
ダンジョンを目当てにやってくる膨大な外国人や利益を求めて進出してきた多国籍企業に対応するために設置された経緯がある。
日本語は当然として英語や中国語、ロシア語、スペイン語、その他様々な言語で看板の文字は記されており、日本とは思えないほど外国人で満ちていた。街にはネオンやホログラムの明かりが輝き、建造中の巨大ビルが照らされている。
そんな他の日本の地域と比べれば別世界のような光景が広がるが、ここは一応日本であり、日本の法が施行されている場所だ。
多くの人間がこの場所を皮肉って出島と呼ぶ。
俺と湊はこの街にあるアパートで暮らしていた。
「なあ、佐世保。飲んで帰らないか?」
「別にいいが……。何か話したいことでもあるのか?」
「ちょっとな」
湊は苦笑いを浮かべてそう言い、俺たちは繁華街の方に向かった。
繁華街には日本式の居酒屋も出島の異国情緒に押されて肩身を狭くしているが存在し、俺たちはそこに入った。
「生ビール」
「あたしも」
接客を行う無人ボットにビールを頼んでから、俺は湊の方を見る。
「で、話したいことって?」
「マオのことだ。少し話したがあたしは東南アジアに送られていた」
「そうだったな」
「なあ、佐世保。お前、子供を殺したことあるか?」
湊のいきなりの言葉に俺は戸惑った。それだけきつい言葉だった。
「あたしはある。それも複数回。東南アジアで海賊どもは子供を兵士として使っていたからな。時代遅れのカラシニコフを抱えた10歳から18歳程度の子供だ」
接客ボットによってビールが届けられ、湊がそれを一気に飲み干す。
「あたしたち情報軍の特殊作戦要員には、戦場でのPTSDを避けるために処理がされているだろ? カウンセリング、投薬、ナノマシンによる感覚マスキングで。だから、あたしは東南アジアにいたときにはどうとも思わなかった」
パン、パン、パンと平気で子供兵を射殺していたと湊。
「……マオの件で思い出したのか?」
「ああ。思い出しちまったよ。今でも処理のせいで記憶はぼやけているが、あたしが最初に殺した子供兵は14歳ぐらいの女の子で、ちょうどマオと同じくらいの背格好だったんだ。だから……」
湊はそう言って俯いていた。
俯く湊のそれは悲しみの感情を浮かべた表情ではなく、虚無のそれだ。自分がどういう感情を抱けばいいのかすら理解できないという虚無である。
「湊。俺はお前にもう一度カウンセリングを受けろとか言うつもりはないし、お前もそういう答えは期待してないんだろう」
俺はゆっくりと湊に告げる。
「俺も子供は殺した。中央アジアは子供兵だらけだった。ドラッグで酩酊した状態で戦場に放り込まれ、カラシニコフを振り回す子供たちでいっぱいだった。だから、殺した。敵だったから殺した」
湊は反応を見せない。
「今も俺は変わらない敵であれば、どんな野郎だと殺す。子供だろうと、老人だろうと殺す。そうしなければ自分が死ぬ。戦場ではトロッコ問題より選べる選択肢は少ない。自分が死ぬか、相手を殺すか。それだけだ」
ビールを俺はぐいっとあおる。味がしない。
「生き残るためには仕方なかったことだと思え。そして、そうやって生き延びたならばこれからも何としても生き延びろ。俺から言えるのはそれだけだ」
「マオを助けてやれば贖罪になる、とは言わないんだな」
「マオを助けても殺したやつが蘇るわけじゃない。分かってるんだろう?」
「ああ」
湊は俺の言葉にただ頷いていた。
「ときどき俺も考える。これは罰ではないのかと。俺は両手を血まみれにして生きてきた。自分が生きるために他人を殺してきた。そのことへの罰が、これなのではないかと」
俺はそう言って人工的に生み出された俺の右腕をさする。
「手足と脳みそを失ったことが罰だと?」
「それだけじゃない。この世界にダンジョンなんてものが生まれたこともだ」
ダンジョンは俺の正気の世界を破壊するということをやりやがった。この理不尽な現象を宗教的に考えたことは何度もある。
「だが、俺は今はそう考えていない。これらに因果関係はない。神様が本当に罰を下すっていうならば、どうしてダンジョンは悪党どもで栄えている?」
そう言って俺はビールを飲み干す。
「結局は神様なんていなくて、罪もなければ罰もない。それが全てだ」
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