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──ある退役軍人
軍を除隊してから6か月。
この6ヶ月で殺した人間の数はゼロ。殺した子供兵の数はゼロ。死んだ友軍の数は5人。
俺たちはあの地獄の戦場を必死に生き延びて、白木の箱に入らず平和な日本に帰ってきたのに、どうして戦友たちは自殺なんてしてしまったのだろうかと久隆は生い茂った雑草を山刀で黙々と払いながら思った。
だが、今ではその理由が少しずつ分かるような気がし始めていた。
人生に生きる意味を感じられないのだ。
久隆──球磨久隆は日本海軍特別陸戦隊の隊員だった。日本海軍の保有する唯一の特殊作戦部隊だ。不審船の臨検から、上陸作戦の際の先行上陸、潜水破壊工作まで海上から行われるほとんどの作戦に関わっている。
今は2045年7月2日。
7年に及ぶアジアの戦争は終結したが、問題は山積みだった。
中国の急激な軍事プレゼンスの低下と戦争で生じた壊滅的な軍事的被害によって、アジア各地の武装勢力が蜂起。日本でも中央アジアのテロリストが新宿駅を人質ごと吹き飛ばし、無関係ではいられなくなった。
陸軍と情報軍はほぼ中央アジアへ。海軍と空軍は中央アジアの支援と東南アジアに派遣された。東南アジアの情勢はあの戦争の後で極めて悪化しており、各国の軍隊の損耗と機能不全が海賊と宗教原理主義のテロリストの存在を招いていた。
ほとんどの場合、それらは兼業であった。海賊であるし宗教原理主義者である。宗教原理主義者であるし海賊である。いずれにせよ、航行の安全と自由を守るためには行動を起こさなければならなかった。
そして、久隆たちも海賊の掃討作戦に投入され──地獄を見た。
久隆は作戦中に四肢を失い、温情深い海軍は彼にパラアスリート用の人工筋肉で駆動する優れた義肢を与えるための医療費を補助し、年金に影響する勲章をいくつか授け、彼を傷病除隊にした。
久隆は自分はずっと海軍で暮らしていくものだと思っていた。だが、四肢を失った彼には海軍において居場所はなかった。彼は特殊作戦部隊という歩兵としてだけではなく、汎用駆逐艦などでの勤務も経験していたが、日本海軍は四肢を失った人間を無理やり使うほどの職場ではなかった。特に軍縮が進む2040年代においては。
海軍の艦艇は無人化、省人化が進み、専門家だけが残った。久隆も特殊作戦においては専門家だったが、四肢を失っていては。日本情報軍には軍用義肢に換装した人間だけで構成される特殊作戦部隊があるそうだが、日本海軍にはなかった。
定年に達して、退役するまで海軍にいるつもりだった久隆の人生は狂った。
彼には十分な貯蓄と豊富な傷病兵手当があったが、生きる目的を見失っていた。
彼は家族が早逝し、空き家になっていた熊本の田舎にある実家に移り住み、人手不足が原因で以前より楽に入れるようになった猟友会に入ると、田舎暮らしを始めた。
だが、彼は空っぽだった。
海軍にいたときはよかった。必ず任務があった。必ず命令があった。祖国日本のためになる仕事が常にあった。仲間たちがいて、ともに辛い戦場を乗り越え、任務を達成し、また次の任務に向かった。それこそが久隆の人生だった。
今は何もない。
何の任務もない。何の命令もない。何の仕事もない。仲間たちとは葬儀以外の場ではもう会っていない。乗り越えるべき戦場も存在しなかった。
ただ、生きるために生きている。それだけだ。
戦友たちが自殺した理由が分かったような気がする。
「夏が終わればな……」
夏の間は猟はしない。夏の動物というのは繁殖を終えて痩せている。あまり良質な肉とは言えない。そう、久隆は地元の昔からの猟師に教わっていた。
実際、ジビエをインターネット販売している取引先の店でも夏の間は冷凍保存してある春や冬に仕留めた獲物を販売していた。
日本でもかなりジビエ文化が根付いた。野生動物が田畑を荒らす頻度が多くなり、それを退治する必要性が生じ始めていたことで、猟友会の活動が大きくなり、同時に仕留めた害獣を無駄にはしまいとインターネットを通じて商売を始めたからだろう。
久隆も散弾銃を持っている。イタリア製の生体認証と追跡IDが付いた登録銃だ。久隆が引き金を引いて銃弾を発射すれば、警察庁のデータベースに即座に発砲位置と時刻が記録され、そこから地方の都道府県警察に連絡が来るようになっている。
だが、今はシーズンではないので秋が来る前に実家と同じように相続した山の雑草を刈っていた。こうでもしていないと何もすることがなくて気が狂いそうだった。
それに山で柴を刈っていると戦場のことを思い出せる。東南アジアの鬱蒼としたジャングルの中を芝を刈りながら進んだ時のことを思い出させる。苦しかったが充実した毎日だった。日本国の敵を殺し、地元の住民に感謝され、やりがいがあった。あの時間に戻れるならば、戻りたい。また敵の頭を撃ち抜き、喉笛を掻き切り、腎臓を滅多刺しにし、日本国の役に立てる仕事がしたかった。
軍人に戻りたかった。
「────!」
久隆が黙々と芝を刈っていたときだった。子供の悲鳴が聞こえた。
久隆は咄嗟に銃を抜こうとして、自分がもう軍人ではないことに気づいた。
子供の悲鳴には嫌な記憶しかない。自分たちに手榴弾を投げようとして投げそこない腕を失った子供が泣き叫んでいた光景は今でも鮮明に思い出せる。
自分たちは正しいことをしていると久隆たちは思っていた。敵は恥知らずの悪い奴らで、国際社会の敵だと思っていた。純粋無垢の象徴である子供がまさか自分たちを攻撃するなど思ってもみなかった。
だが、海賊も、宗教原理主義者も、子供兵を使った。
久隆は悲鳴が響いた方向に向かう。
ここは日本だ。子供兵はいない。
子供が山で遭難したのかもしれない。そして、ムカデなどに噛まれたのかもしれない。それならば助けてやらなければ。
「大丈夫か!」
久隆は声の方に近づきながら声をかけ続ける。返事はない。
「なんだ、これは……」
声の方向に向かい続けて、久隆はとんでもないものを見つけた。
戦時中に作られた防空壕のような人工的な穴だ。大の大人がようやく入れるほどの大きさで、奥がどうなっているのかは分からない。
久隆は自分の山で猟をするし、管理も適切に行ってきたつもりだが、こんなものがあるとはこの6か月の間、全く気付かなかった。
だが、子供の泣く声はこの防空壕のような穴から聞こえてくる。
「大丈夫か! ここにいるのか!」
防空壕に興味半分で入って生き埋めになった小中学生がいるというニュースは以前、聞いたことがある。この穴もいつ崩れるのか想像できない。
できるならば自分の声に応じて、出てきてほしかったが子供が出てくる様子はない。
「仕方がない」
久隆は危険があるからと言って子供を見捨てられるような人間ではなかった。
彼は名前も知らない日本国民のために命を懸けてきたのだ。
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