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第23話 アビス・ゼロの洗礼

 最難関ダンジョン、アビス・ゼロ。

 その開口部は、ノルウェーの極寒の山岳地帯にぽっかりと開いていた。

 黒曜石のような岩肌にぽつんと口を開けた深淵。

 その前に、オレたちは立っていた。

 プリズム☆ラインの香奈たち四名、ルクシア率いる海外最強チーム四名、そして俺。

 合計九名で今回の配信に臨む。


「はあああ、緊張するぅ~~! ……ねぇ零士くん、配信のセッティングは順調?」


「心配いらない。お前らは装備の点検と、しっかりウォーミングアップしとけ」


 俺は肩掛け式の撮影カメラを抱え、ストラップを調整しながら動作確認に入る。

 レンズキャップを外し、フォーカスと安定機構の反応をチェック。

 録画モードへ切り替えた瞬間、ファインダーの中で戦場の入口がぐっと鮮やかに映し出された。

 そして配信用の小型ドローンは三基とも良好、遅延なし。

 最後に、右耳に黒いイヤーカフを装着する。


『初めまして、私はAIDA。アナタを危険からお守りします――おや、今日は開発者様に装着されているのですね』


「久ぶりだな。お前の出番は今回は無し、見るだけでいい。戦場の揺らぎを、読みと現実で突き合わせておけ」


『了解。学習モード移行……完了。では、ご武運を』


 配信モニターにはすでに「配信開始まで、あと10秒」のカウントダウン。

 香奈が元気よく手を掲げる。


「みんな! 一緒に伝説作ろうねっ!」


 その掛け声に反応するトップストリーマー三名。

 明らかに自分より格上に囲まれながら、香奈は縮こまらず普段通りの元気さを発揮している。

 ルクシアは優雅に髪を払って、完璧なポージング。


「もちろんですわ。世界で最も恐ろしい地獄を……舞踏会へと変えてみせましょう」


 そして、カウントが消える。


 ――ライブ配信、開始。


 :キターーーーーーーーー!!

 :待ってました! こんカナ!

 :ルクシア様ー! 今日もお美しいですわ~!

 :グスタボさんがっごいいいいいい

 :伝説の幕開けに立ち会えて、なんか感動だ


 コメント欄が一瞬で溢れかえる。

 数字も暴走。

 開始十秒で【視聴者数:1,503,412人】の文字が画面に表示される。


 ひ、百五十万人……!?


『過去最高同接記録を更新しました。課金ログ、世界各国から同時到着』


 耳元でAIDAが囁く。

 コイツ、いつのまに配信監視機能を?

 やっぱり安藤のやつ、変な改造してやがる。


『オーストラリアから五十万円、ドバイから百万円……読み上げきれません。各国の著名人からスパチャが大量に寄せられています。

 おや、SNSは既に #アビス・ゼロ #神カメラ など関連ワードでトレンドが埋め尽くされていますよ』


「化け物すぎるな……」


 それだけ、ここに集まった面々が数字を持っているということだ。

 今夜の配信は、間違いなく歴史に刻まれることになる。

 そんな確信を抱き、俺たちはダンジョンの第一層に突入した。


「お、外は寒かったけど、中はそんなにだね。上着置いてきてよかった~。

 ……おや? 神カメさんはコートのままだ。後悔してるんじゃないのかね~?」


 香奈はこちらに向かって人差し指でとんとんと煽る。

 確かに、中は暖かい。春先くらいの気温だろうか。

 というかカメラマンに話しかけてくるなよ。


深淵アビスの名の通り、このダンジョンは地下へ地下へと降りていく構造になっています。

 慎重に索敵しつつ、まずは下層へ続く階段を探しま――」


 ルクシアが配信用の口上を整え、指揮を取ろうとしたその瞬間だった。


「――左だッ! 全員、構えろ!」


 トップストリーマーの一人、銀狼グスタボの警告が空気を裂く。

 咄嗟にカメラを左へ振った俺の視界に飛び込んできたのは、巨大な影だった。

 岩の裂け目を引き裂いて姿を現したのは、直径十メートル級、ビル一棟はある異形の海獣。

 全身ヌメりに包まれた、触腕の塊。


「――ヌボロロロロロロォォ!!」


 音圧だけで空気が震える。

 カメラの集音マイクが悲鳴を上げ、一瞬音割れした。

 補正フィルタを即座にオン。


 :クラーケン!?

 :海洋ダンジョン限定じゃなかったの!?

 :アビスゼロ、マジでやばすぎる

 :何でもありで草


 コメント欄が一気に騒然となる中、俺は冷静にファインダーを睨んだ。


『第一層からこのレベルの魔物ですか。非常に危ういですね』


「普通のダンジョンとは違うからな……だけどまあ、大丈夫だろ」


 声に出したのは、己の中で暴れそうになる記憶を押し留めるため。

 クラーケンが触腕を振りかぶる。

 あの質量の塊を、俺たちめがけて落とすつもりだ。


「行くよっ! ボクを映えさせて!」


 香奈が真っ先に駆けた。

 アークブレードを構えて接近戦に持ち込む。


「ふふ、この私がサポートですか……いいでしょう。女王からの支援を受け取りなさい」


 次いで、ルクシアの魔力が迸る。

 空中に広がった炎の冠から灼熱の火花が解き放たれ、香奈に襲い来る触腕を焼き焦がしていく。

 俺は香奈の動線に合わせて滑らかに移動。

 肩掛けの手持ちカメラが自動で手ブレを補正しつつ、ファインダーの向こうで世界を切り取っていく。


 クラーケンの動きが、俺の目には遅く見える。

 戦闘ログ百五十万件分の記憶が、俺の網膜に補正をかけてる。

 振り上げられた触腕、その先端に小さな蠢き。


「……来るぞ、跳べ!」


「当たらないよっ!」


 香奈が咄嗟に体を捻って、地を蹴った。

 半秒後、地面に触腕が叩きつけられ、硬い岩盤がめくれ上がる。

 爆風で土煙が舞い上がった。

 だが、俺のカメラは煙の裏側にいる香奈のシルエットを捉えていた。

 ファインダーの中で香奈が振り返る。


「映ってる? 零士くん!」


「ああ、バッチリな」


 もう名前とか、声が乗るとか、そんなの気にしない。

 コメント欄が一斉に沸騰する。


 :神カメ来た!!!

 :あの敵の動き追えてんの!?

 :どのストリーマーよりコイツが一番化け物な件


 そうだ。

 これはただの映像じゃない。

 俺のカメラは、戦場の未来を映す。


『#神カメラ がリアルタイム世界トレンド1位になっています。流石、零士様』


 AIDAがSNSの情報を流す。

 俺は自身の“読み”が世界レベルの魔物にも通用しているのを感じ、よし、と内心で小さく呟いた。


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