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第22話 女王のヒミツ

「うぇーいっ!」


 ぶつかり合うグラスの音と、香奈の声が高く響いた。

 ドレス姿のまま頬を赤らめた彼女は、右手にフォークに刺さった何かの肉、左手にはグラスワイン。


「ねぇリサちゃん、私見て~! きゃっるーん! 撮って撮って!」


「撮ってあげる撮ってあげる。……あっでもちょっと待って映えのためにはもう少し角度変えて」


「うおおっ、このローストビーフ厚いな!? ショウタ、そっちは?」


「うーん、牛は赤身がベスト……だけどソースはミディアムレアの方が合う気がする……悩む……」


「腹に入ればなんでもいっしょだろ!」


 ステージの挨拶が終わってしばらく、香奈たちはパーティを満喫していた。

 一方で俺は、壁際で静かにその様子を見ていた。


 この感じ、懐かしいな。

 騒がしくて、熱気があって、誰もが何かを忘れて笑っていて。

 昔、あの部隊で。

 華と一緒に、こんな時間を過ごしたことがあった。


 だがそれも、もう全て遠い過去のこと。


 ずきりと、胸の奥が軋む。

 俺は、そっと会場の外へ足を向けた。


「――零士くん、待ってっ!」


 後ろから声がして、香奈が慌ててついてきた。


「どしたの、体調悪い? お酒弱いタイプ?」


「違うわ!」


「じゃあ、失恋?」


「っ……ただ、夜風に当たりたくなっただけだ」


 やりとりをしながら、バルコニー前のガラス扉に近づいたときだった。

 わずかに開いた扉の隙間から、低い会話が聞こえてくる。 


「誰か外に――」


「しっ」


 香奈の口元に手をやり、制止する。


「……わかっているな、ルクシア」


 男の声。

 冷たくも、どこか芝居がかった声音。

 先ほどパーティで挨拶した中に居た……イグニス=ギア社の社長、ガルヴァノだ。


「人気は浮き沈みが激しい。君が潰れたら、天城家はまた――」


「ええ、重々承知しております」


 台詞を遮るルクシアの声は静かだった。

 だがその言い方の端々に、鋭く尖った敵意がにじんでいる。


「こちらは何も問題ありません。このまま、何年でも何十年でも世界中の視線を釘付けにしてみせます。

 ……それより、問題はそちらですわ。ものづくりの国、日本。そして振興中華メーカー。

 ライバルに差を詰められているのではなくって?」


「……ふっ。肝が据わってきたな、令嬢様」 


 やがて、バルコニーの扉が開く。

 ガルヴァノが出てきた。

 俺たちは、とっさに柱の影に身を隠す。

 彼は俺たちに気づくことなく、そのまま廊下の奥へと歩き去っていった。 


「……なんか、聞いちゃいけない話……だった、かも?」


「訳アリっぽいな」


 俺たちは小声で言葉を交わし、踵を返して会場に戻ろうとした。

 が、その時。 


「――気づいていますよ。そこにいらっしゃるでしょう?」 


 静かに、だがはっきりと。

 ルクシアの声が俺たちに届いた。

 俺たちは顔を見合わせ、無言でこくりと頷く。

 そして仕方なく、バルコニーに出る。


「……みっともないところを聞かれてしまいましたわね」


 ルクシアは夜景を見下ろしながら、グラスを傾けていた。

 ドレスの裾が風になびき、月明かりに髪が煌めいている。 


「ただのタレントとスポンサー、って関係じゃなさそうだな」


 俺の問いに、ルクシアはゆっくりと口を開いた。 


「ええ……かつて、我が天城家は“名家”でした。ですが、事業の失敗により莫大な借金を抱えました。

 酷いものでしたよ。私の父も兄も、跡形なくすべてを失いかけ、食事も毎日貧層になり。

 ――あ、でもの美味しさに気づけたのは怪我の功名ですわね」


「話が逸れかけてるぞ」


 俺が指摘すると、彼女は「あら」と言ってこほんと咳払い。


「そんな時、手を差し伸べてきたのが、あの男でした」 


 風が、ルクシアの声を少しだけさらっていく。 


「借金を肩代わりし、天城家はなんとか存続することができました。

 その代わり、私は広告塔としてストリーマーの道を歩むことになりました。

 イグニス=ギアの顔として、商品を売り、話題を集め、注目を浴び続けることを求められる」


「……あの、ルクシアさんに限ってそんなこと無いと思うんだけど……。

 それ、もし人気が落ちてきちゃったらどうなるの?」


「切り捨てられて、天城家はまた破産。そういう契約ですわ」 


 隣に立つ香奈が、小さく息を呑む。

 俺も胸の奥で何かがチリ、と軋んだ。 


「ずっと、その重圧の中で結果を残し続けてきたのか」


 ルクシアは、初めてこちらを見た。

 その表情はいつもの余裕たっぷりの笑顔より、ずっと自然で、ずっと優しかった。 


「だからと言って、あなたが気にすることではありませんわ」


 彼女ははっきりと言った。 


「確かに天城家は、今では名家とも言えないかもしれません。ですが、それでも私は誇り高きです。

 情けで人を集めたくありません。力で、魅せて、引き寄せたい。それが私の矜持ですの」 


 その言葉に、俺も香奈も返す言葉がなかった。

 風が夜をなぞる。

 そしてルクシアは、そっと微笑んだ。


「それでは、明後日の出撃、楽しみにしておりますわ」 


 踵を返して、夜の廊下へと去っていく。

 残された俺と香奈は、しばらく何も言えずにその背中を見送った。 


「……なんか、イメージと違ったかも」


 ぽつりと香奈が呟いた。


「もっと、完璧な女王様だと思ってたけど……あの人も、ちゃんと戦ってるんだね」


「……そうだな」


 ただ、風に揺れるドレスとスーツの音だけが、妙に静かに響いていた。

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