「うぇーいっ!」
ぶつかり合うグラスの音と、香奈の声が高く響いた。
ドレス姿のまま頬を赤らめた彼女は、右手にフォークに刺さった何かの肉、左手にはグラスワイン。
「ねぇリサちゃん、私見て~! きゃっるーん! 撮って撮って!」
「撮ってあげる撮ってあげる。……あっでもちょっと待って映えのためにはもう少し角度変えて」
「うおおっ、このローストビーフ厚いな!? ショウタ、そっちは?」
「うーん、牛は赤身がベスト……だけどソースはミディアムレアの方が合う気がする……悩む……」
「腹に入ればなんでもいっしょだろ!」
ステージの挨拶が終わってしばらく、香奈たちはパーティを満喫していた。
一方で俺は、壁際で静かにその様子を見ていた。
この感じ、懐かしいな。
騒がしくて、熱気があって、誰もが何かを忘れて笑っていて。
昔、あの部隊で。
華と一緒に、こんな時間を過ごしたことがあった。
だがそれも、もう全て遠い過去のこと。
ずきりと、胸の奥が軋む。
俺は、そっと会場の外へ足を向けた。
「――零士くん、待ってっ!」
後ろから声がして、香奈が慌ててついてきた。
「どしたの、体調悪い? お酒弱いタイプ?」
「違うわ!」
「じゃあ、失恋?」
「っ……ただ、夜風に当たりたくなっただけだ」
やりとりをしながら、バルコニー前のガラス扉に近づいたときだった。
わずかに開いた扉の隙間から、低い会話が聞こえてくる。
「誰か外に――」
「しっ」
香奈の口元に手をやり、制止する。
「……わかっているな、ルクシア」
男の声。
冷たくも、どこか芝居がかった声音。
先ほどパーティで挨拶した中に居た……イグニス=ギア社の社長、ガルヴァノだ。
「人気は浮き沈みが激しい。君が潰れたら、天城家はまた――」
「ええ、重々承知しております」
台詞を遮るルクシアの声は静かだった。
だがその言い方の端々に、鋭く尖った敵意がにじんでいる。
「こちらは何も問題ありません。このまま、何年でも何十年でも世界中の視線を釘付けにしてみせます。
……それより、問題はそちらですわ。ものづくりの国、日本。そして振興中華メーカー。
ライバルに差を詰められているのではなくって?」
「……ふっ。肝が据わってきたな、令嬢様」
やがて、バルコニーの扉が開く。
ガルヴァノが出てきた。
俺たちは、とっさに柱の影に身を隠す。
彼は俺たちに気づくことなく、そのまま廊下の奥へと歩き去っていった。
「……なんか、聞いちゃいけない話……だった、かも?」
「訳アリっぽいな」
俺たちは小声で言葉を交わし、踵を返して会場に戻ろうとした。
が、その時。
「――気づいていますよ。そこにいらっしゃるでしょう?」
静かに、だがはっきりと。
ルクシアの声が俺たちに届いた。
俺たちは顔を見合わせ、無言でこくりと頷く。
そして仕方なく、バルコニーに出る。
「……みっともないところを聞かれてしまいましたわね」
ルクシアは夜景を見下ろしながら、グラスを傾けていた。
ドレスの裾が風になびき、月明かりに髪が煌めいている。
「ただのタレントとスポンサー、って関係じゃなさそうだな」
俺の問いに、ルクシアはゆっくりと口を開いた。
「ええ……かつて、我が天城家は“名家”でした。ですが、事業の失敗により莫大な借金を抱えました。
酷いものでしたよ。私の父も兄も、跡形なくすべてを失いかけ、食事も毎日貧層になり。
――あ、でも
「話が逸れかけてるぞ」
俺が指摘すると、彼女は「あら」と言ってこほんと咳払い。
「そんな時、手を差し伸べてきたのが、あの男でした」
風が、ルクシアの声を少しだけさらっていく。
「借金を肩代わりし、天城家はなんとか存続することができました。
その代わり、私は広告塔としてストリーマーの道を歩むことになりました。
イグニス=ギアの顔として、商品を売り、話題を集め、注目を浴び続けることを求められる」
「……あの、ルクシアさんに限ってそんなこと無いと思うんだけど……。
それ、もし人気が落ちてきちゃったらどうなるの?」
「切り捨てられて、天城家はまた破産。そういう契約ですわ」
隣に立つ香奈が、小さく息を呑む。
俺も胸の奥で何かがチリ、と軋んだ。
「ずっと、その重圧の中で結果を残し続けてきたのか」
ルクシアは、初めてこちらを見た。
その表情はいつもの余裕たっぷりの笑顔より、ずっと自然で、ずっと優しかった。
「だからと言って、あなたが気にすることではありませんわ」
彼女ははっきりと言った。
「確かに天城家は、今では名家とも言えないかもしれません。ですが、それでも私は誇り高き
情けで人を集めたくありません。力で、魅せて、引き寄せたい。それが私の矜持ですの」
その言葉に、俺も香奈も返す言葉がなかった。
風が夜をなぞる。
そしてルクシアは、そっと微笑んだ。
「それでは、明後日の出撃、楽しみにしておりますわ」
踵を返して、夜の廊下へと去っていく。
残された俺と香奈は、しばらく何も言えずにその背中を見送った。
「……なんか、イメージと違ったかも」
ぽつりと香奈が呟いた。
「もっと、完璧な女王様だと思ってたけど……あの人も、ちゃんと戦ってるんだね」
「……そうだな」
ただ、風に揺れるドレスとスーツの音だけが、妙に静かに響いていた。