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第3話 ただ、家族を失いたくない

 クアルソは、その類稀なる才能をますます開花させていった。

 手掛ける人形たちは、生き生きと踊り、見る者の心を捉えて離さない。工房を訪れる客たちも、皆、口を揃えてその才能を絶賛した。


 師アルベールもまた、期待を隠そうとはしなかった。


「クアルソ、脚の動きが実に滑らかだ。バレエのステップをよく理解している。ビドリオ、おまえもクアルソのこの自由な発想をもっと見習え」


 師の言葉は、ビドリオの胸に重くのしかかる。

 同時にクアルソの存在が、ますます眩しく、妬ましく思えてくるのだ。


(なぜだ? なぜボクには、あの輝きがないんだ? 師の跡を継ぐのは、このボクのはずなのに……?)


 ――所詮は孤児だから。


 他の弟子たちが、そう噂した。

 今始まったことではない。前ならば聞き流せたが、今はそうではなかった。


「誰とも知れない輩が、この工房にいるなんて、どうせ、娼婦が産み落として捨てたに違いない」

「穢れた血の生まれの人間には、教養を表現することなんて出来はしないだろう」


 生まれが限界を決めるのか?

 そんなビドリオの苦悩をよそに、アルマは日に日にクアルソに心惹かれていくようだった。


 工房の片隅で、クアルソが新作の人形について熱心に語り、アルマが頬を染めて聞き入っている姿を、何度も遠くから見かけた。

 彼女がクアルソを見つめる時、明らかに自分に向けるそれとは違う、特別な熱を宿しているように見えた。


 小さな鳥の人形が、アルマの肩にちょこんと乗ってさえずるのを見た時。

 クアルソが、異国で覚えた陽気でひょうきんな歌を口ずさみながら作業をし、聴いたアルマが、楽しそうに笑い声を上げた時。


 そのたびに胸が幾度どなく締め付けられ、ビドリオは言いようのない孤独感に苛まれた。


(アルマは、クアルソのああいう屈託のない明るさが好きなんだ。ボクのような、陰気で口下手な人間には到底敵わない)


 アルマは、いつだって優しい。気を遣って愛情ある声を掛け、時には手作りの焼き菓子を差し入れてくれる。

 だけど、アルマの笑顔の裏に、クアルソへの恋心が隠されているとしたら?


 そんなある日の午後だった。

 ビドリオは、工房の裏手にある小さな物置小屋で、古い材料を探していた。一見ガラクタに思えても、素晴らしい芸術になることがある。

 その辺りの感性は、師譲りだった。


 ふと、庭からアルマの楽しそうな声が聞こえてきた。胸騒ぎを覚えながら、そっと覗き込むとクアルソと二人きりで立っていた。

 クアルソが小さな包みを、照れたような顔で差し出している。


 アルマははにかみながら受け取る。包みからは、繊細な貝殻細工のブローチ。チューリップを象ったそれは、有機的な曲線と鮮やかな赤やピンクで彩られた作品だった。


「わあぁっ! なんて綺麗なの、クアルソ!」


 アルマはブローチを胸に当て、うっとりと見つめている。頬はほんのりと薄紅に上気し、唇から漏れる幸せそうなため息。


 ビドリオには、それが『恋する乙女』の顔に見えた。張り詰めていた何かが音を立てて切れる。

 目の前が真っ暗になり、焼けるような嫉妬が胸を焦す。あまりの激情に呼吸が苦しくなり、心臓が痛んだ。


(やはりアルマの心は、もうクアルソのものなのか? ボクの努力は、想いは、全て無駄だったというのか?)


 今まで抑え込んできた想いが、堰を切ったように溢れ出す。


(このままでは、ようやく得た居場所も、師からの期待も、アルマも、何もかもクアルソに奪われてしまうっ!)


 「失いたくない」という恐怖心。家族を、愛を、夢を、人生を。ただ失いたくない。

 物置小屋の薄暗がりの中で、固く拳を握りしめる。

 庭では、アルマとクアルソの楽しげな笑い声が、遠く響いていた。


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