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この世界で、君たちと

 戦いを終えたダンジョンは、嘘のように静まり返っていた。


 あれほど荒れていた空間が、今はまるで何事もなかったかのように静寂に包まれている。


 照明のない薄暗い空間に、三人分の荒い息づかいだけが残されていた。


 修二は、その場にドサリと座り込んだ。背中にじっとりと汗が滲み、Tシャツが肌に張りつく。


「ふぅ……終わったな……」


 喉がひりつくような乾きの中、言葉を絞り出すようにつぶやく。


 隣に座っていた絵里が、小さく笑った。


「まさか、スマホのライトが役に立つとは思わなかったわよ。まさに現代人の武器ね」


「俺のタックルもなかなかだったろ?」


「まあまあね。ちょっとだけ格好よかったよ」


 照れ隠しのような口調でそう言って、絵里は自分の膝に手をついた。動揺を見せないようにしているが、その呼吸も荒い。


 二人のやり取りに、リィナがそっと微笑んだ。


「フタリ、とても仲良し」


 言葉は柔らかく、どこかあたたかさを含んでいた。


 しかしその一言で、修二の笑みがふと曇る。彼の視線が、絵里からリィナへとゆっくり移っていった。


「なあ、リィナ」


「ん?」


「君って……ここに、ずっとひとりでいたのか?」


 その問いに、リィナはほんの少しだけ目を伏せてから、静かにうなずいた。


「ずっと、ずっと……。気づいたら、目覚めていた。ダンジョンの中で」


「記憶とかは?」


「少しだけ。でも、まるで夢の中の出来事みたい。全部がぼんやりしてる」


 修二は、絵里と顔を見合わせた。言葉にはしないが、どちらの目にも「気になる」という色が浮かんでいた。


 だが、それを深く追及するには、いまはまだ時期が早すぎた。


 ふと、絵里が声のトーンを落とす。


「ねえ、修二……。今さらだけど、正直に言って」


「ん?」


「私とリィナ、どっちが好きなの?」


 唐突に訪れた沈黙。


 リィナも何も言わず、ただ修二の顔をじっと見つめていた。


 修二は言葉を探しながら、しばらく俯いていたが、やがて肩をすくめるようにしてぽつりとつぶやいた。


「……選べない」


 それは情けない告白だったかもしれない。だが、それが今の彼の正直な気持ちだった。


 絵里の眉がわずかに寄る。その表情は、呆れにも、諦めにも見えた。


 一方でリィナもまた、ほんの少しだけ瞳を揺らしていた。


「最低ね」


 絵里がそう言った声は、責めるというよりも、どこか救われたような響きすら含んでいた。


「でも、それが修二らしいわ」


 その言葉に続くように、リィナも微笑んで頷いた。


「ワタシもうれしい。どちらかを捨てるのは、キライ」


 その素直な気持ちが、修二の胸にじんと染み込んでいく。理屈ではない、ただ心があたたかくなる感覚。


 彼は、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、深呼吸をひとつ挟み、言葉を選ぶように言った。


「だったら、ここで暮らさないか?」


「は?」


 絵里が思わず目を見開く。


「このダンジョンの中で。人間の世界じゃ、三人でいるなんて無理だ。でも、ここなら誰にも文句は言われない」


 修二の声は真剣だった。ふざけてなどいない。そのまなざしに、冗談を挟む余地はなかった。


 リィナがそっと、修二の手を取った。


 その手は少し震えていたが、確かなぬくもりがそこにあった。


「ワタシも……ここが好き。アナタたちといる、ココロがあたたかくなる」


 しばらく沈黙していた絵里も、やがて肩をすくめて苦笑する。


「仕方ないわね。バカな男につきあうのも、悪くないかも」


 三人の手が、そっと重なった。


 冷たい石造りの床の上で、異なる価値観と感情が、今ようやくひとつに繋がった瞬間だった。


 ダンジョンの奥。人里離れたこの異空間で――。


 三人は、社会の常識から外れた選択をした。けれど、それは決して間違いではなかった。


 誰にも知られない世界の片隅で。


 ひっそりと、けれど確かに――三人だけの物語が始まった。


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