きれいなピアノのイントロで始まり、マリナの透き通るような声がTV画面を通してこちらまで響いてくる。
切なそうなマリナの表情が映されて、曲に引き込まれた。
「すごいね……」
思わずズミが呟いた。俺もそう思った。
朝の人気番組に出演するだけで認知度が上がる。この歌声でさらにファンが増えるだろう。番組に出演している人たちも、うっとりと聞き入っていた。
曲の中盤、きれいな高音パートでマリナが顔をしかめた。
「……ちょっと苦しそうだ。いつものきれいな高音が、出しにくそうだね」
素人の俺も気が付くくらい、うまく出てなかったのがわかった。でもテクニックで、なんとか乗り切ったようだった。
曲が終わって、ちょっと悔しそうな表情が見えたが笑顔でお辞儀をして歌い終えた。スタジオ中から拍手があがって、ドラマの紹介もされた。
「精神的に辛い中、よく歌ってるよ」
「だね……」
その後、SNSなどでマリナを心配する声が上がった。
「かなり忙しいみたいで、眠る時間も少ないみたい」
ズミは友人として、マリナと連絡をマメにとっているらしい。依頼の相談は個人的にズミと。他の話は、ズミと友人たちのグループで連絡しているみたいだ。良い友人たちがいるのはいいことだ。
「そうか……」
俺はソファーから立ち上がってズミを見た。
「マリナの実家を【
「え? 実家を?」
意外だったのだろうか? ズミは目をまん丸にして俺を見た。
「でもマリナは実家へ行ってないって言っていたし、調査でもお葬式は会場を借りて行われたようだし……」
実家へ行っていないのに、捜索するのはおかしいかもしれない。でも、もしかしたら……という可能性も捨ててはいけない。
「ズミ。
ズミは俺の話を聞いて、少し考えて頷いた。
「はい。そんな所にはない……と僕達は、考えてはいけない」
そうだ、と俺はズミに言った。
「じゃあ、さっそく始めようか」
「お願いします」
隣の部屋へ行き、いつものようにソファーへ座る。
「これがマリナの実家の資料。写真と見取り図」
「ありがとう」
ズミから渡された、家の見取り図を見ると広いお宅らしい。
「飼い猫や飼い犬はいるのか?」
動物は感が鋭くて俺の姿は見えないのに気配でわかるらしい。吠えられたり威嚇されたりすると面倒だ。
「動物は飼っていないみたいよ。今は母親が一人で住んでいる」
俺が持っている資料に視線を落としながら言った。
「そうか。なら俺は安心だ。吠えられずにすむ」
ズミは、ふふっと笑った。
座りなおして足を開き、やや前かがみになって両ひざの上に肘を置き、指を組んで額を乗せた。
【
俺は、今度はマリナの実家を捜索に行く。意識を飛ばすとマリナの実家が見えてきた。
二階建ての日本家屋だ。庭はきれいに手入れされている。
玄関から扉を開けずに中へ入った。まっすぐに伸びる廊下を進み、部屋を見ていく。使ってないような部屋はパスしていく。
広い家の中は、寂しげな感じだった。荷物を整理したのかあまり物がなかった。
何か所か探して見ていくと、仏壇のある部屋を見つけた。
仏壇に飾られた写真立ての年配の男性は、おだやかに微笑んでいた。亡くなった父親だろう。俺は仏壇の前で手を合わせた。
この父親が、万年筆を
ふと横を見ると、ふたの空いた箱が置いてあった。中には男性物の眼鏡やパジャマ、ノートに本などキチンと整理されて入ってあった。……これは病院で使っていたものだろうか。
ボールペンと鉛筆が二本に消しゴム。それらが入っていたのを見つけたが、万年筆は無かった。
『ここにも、なかったか……』
俺はこの場所で、焦燥感に苛まれた。見つからない……。――見つけてあげたかった。父親の遺影を見て、そう思った。
その時、窓から突風が部屋の中を吹き抜けた。バサバサとカーテンが風で揺れて、音を立てた。
カタン! と仏壇の写真立てが倒れた。
そして箱の中にあったノートが、風によってパラパラとめくれた。
『!』
ぱたぱたと足音が廊下から聞こえてきた。カーテンのバサバサという音や、写真立てが倒れた音を聞いて母親が来たらしい。
「あらあら! 強い風が吹いたのね。まあ、写真立てが倒れちゃったの。今、直しますからね。あなた」
母親は微笑んで、優しく写真立てを直した。やつれたような感じだった。
ノートはパラパラとめくれて、また閉じた。
俺はすぐに事務所へ戻って、ズミにマリナへ連絡するように言った。
マリナに実家へ俺とズミと、一緒に行くように連絡した。直接会ったマリナは、以前会った時よりも痩せていた。
「……見つかったのですか?」
声も弱々しくて心配なくらいだ。
「とりあえず、君のお父さんの仏壇へ挨拶に行こう」
そう言い、俺達はマリナの実家へおじゃました。
「ただいま帰りました……」
満里奈が扉を開けると、事前に連絡を聞いていた母親が出迎えてくれた。
「おかえり、満里奈。探偵さんたちも、ようこそいらっしゃいました」
優しい感じの母親だ。どうぞ、と言われて俺達は家の中へ入った。
「片付けたんだ……」
家の中がガランとしていて満里奈が育ってきた家は、以前と違っていたのだろう。
「少しづつね、整理していかないとね」
忙しいほうが、気がまぎれるのよ。と母親は満里奈に言った。
「こちらです」
母親が仏壇のある部屋へ案内してくれた。皆で正座をする。
礼をして「これからお線香をあげさせていただきます」と挨拶をした。
皆で順番にご挨拶する。まずは満里奈からお線香をあげた。手を合わせて深々と頭を下げた。
順番にご挨拶させてもらった。
「ありがとう御座います」
母親は穏やかに俺達に言ってくれた。
俺は横に置いてあった箱を見て母親に尋ねた。
「……こちらはご主人の?」
少しフタが開いていて、中が見えていた。
「ええ。形見分けを出来るものがあればと、思いまして……」
母親は立ち上がって箱の方へ歩いた。そしてふたを取って満里奈に見せた。満里奈は黙って箱の中を見ていた。
「満里奈さん、ここに万年筆があります。探してみて下さい」
「え?」
「ええっ?」
誰もが驚いていた。――そうだろう。いきなり初めて家に来た、何も知らない赤の他人が箱を指さして言うのだから。
「こ、ここに?」
満里奈は自分の両手をギュッと握って、俺を見てからズミを見た。ズミは満里奈に頷いて見せた。
おそるおそる、満里奈は箱を両手で持って開けた。
「これは、お父さんが病院に入院していた時の……」
満里奈は見覚えがあったらしい。そっと手を伸ばしてノートを手に取った。
「それは?」
開く前に、ズミが満里奈に聞いた。
「リハビリで父がノートに字の練習をしてました。そういえば……」
何か思い出したのか、満里奈はパラパラとノートをめくった。
「お父さん……!」
満里奈は片手で口を覆った。俺達が満里奈を見ると、大粒の涙を流していた。
「満里奈、大丈夫? どうしたの?」
母親が満里奈に駆け寄って肩を抱いた。満里奈は母親にノートを見せた。
「……ああっ!」
ノートを見た途端、母親も泣き出した。
俺とズミが開かれたノートのページを見てみると、ミミズの這ったような字が見えた。満里奈は涙を流しながら俺に話をしてくれた。
「父は……。指がうまく動かなくなったので字を書いてリハビリしてました」
ひっく! と泣くのを我慢して、続けて説明をした。
「私は父のお見舞いへ行ったときに、このノートへ父に『早く良くなってね! 頑張って』と書いて帰ったのです」
母親は涙を拭いて、満里奈の話を聞いた。
「見て下さい。父が私に、不自由な手で返事を書いてくれたのです」
言われた通り、震える手で一生懸命に書いたと思われる父親の字があった。
「実は……。父は、私が歌手になることを反対していたのです。それなのに……」
また満里奈は大粒の涙を流した。
「不自由な震える手で、一生懸命に書いてくれたのです。『がんばれ』と……」
ノートに書いてくれた娘への返事を、短いけれど精一杯に書いたのだろう。娘が忘れて言った万年筆で。
「万年筆を大事にしていてくれたから。満里奈が探し出して、この返事も見てくれるだろうと思ってノートに挟んでいたのかしらね……? あの人のことだから」
母親はハンカチで涙を拭いた。
そこにはシンガーソングライターのマリナではなく、普通の優しい両親に育てられた娘の満里奈が涙を流していた。
後日……。
「もう始まるよ! 早く!」
ズミは急いで、TVの電源を入れた。
年末に誰もが憧れる、歌手へ送られる大きな賞のある番組がある。それにマリナが候補になった。有名な歌手ばかり。
マリナは新人としてただ一人に贈られる、新人賞候補にノミネートされた。
「新人賞、獲れるかなぁ?」
「さあな」
ノミネートされた色々な歌手が順番に歌っていく。皆、上手だ。
マリナの番。
一瞬でマリナの歌声に、聞き入った。歌い終わって静寂後、会場中拍手が響いた。その歌声に、皆が感動した。
あれからマリナは元気を取り戻して、ますます歌に感情を乗せられるようになったと評判だ。
「すごく、素敵だった……!」
「今年の新人歌唱大賞は……」
新人賞を獲得した歌手の名が呼ばれた。
マリナは天を見て、笑顔になった。
END