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15.星を目指す君に、手を伸ばして

「じゃあ最後くらい思いっきりカマしてくんのよ!」

「もう、秋奈ってば。ほら桜汰、忘れ物ないわね? あと、ちゃんと智彰くんにお礼を言って、それから帰ってきた時にはいつでも来てねって伝えなさいよ」

「あはは、もう、わかってるって」

 玄関を出ようとする俺にそんな声をかけるのは母と姉だ。

 姉はなんだか物騒なことを言っているし、母は――


(俺が智彰と喋ってないって、知らないんだもんな)


 家に遊びにくる回数も、俺が遊びに行く回数も減ったのは受験があったから。

 合格発表があった後も、卒業までは二週間しかなく、そして智彰は今日、卒業式の後にすぐ東京へと上京する。


「卒業式、か」

 高校生活最後の日。そして、智彰がこの町からいなくなる日。

 結局あの合格発表の日から、智彰とは何も話せず仕舞いだった。



 式の最中は何度も周囲の泣き声が聞こえた。クラスメイトの涙、担任の挨拶、名前を呼ばれ一礼して受け取った卒業証書の重み。だけど俺の心はまるで空洞で、自分のことなのにまるで他人事のように感じてしまう。俺の目元は式が終わるまで、いや終わっても乾いたままだった。

(結局俺にとって重要なのは、智彰がいるかいないかだったんだな)


 最後までそうだったということなのだろう。

 俺は卒業し、みんなと気軽に会えなくなることが悲しいんじゃない。智彰と一緒にいられなくなることが辛く悲しかったのだ。

 そして卒業しようとしまいと智彰は東京へと行ってしまう。その事実が変わらないことが、俺の心を逆に凪させているのだろう。


「桜汰も打ち上げのカラオケ行くだろー?」

 卒業証書を鞄に片付けていると、クラスメイトからそんな声がかかる。それを俺は曖昧な笑みで断った。


(智彰がいないのに、行く気になんかなれねぇよ)

 一番に教室を出て行った智彰は、今頃最後の荷物の確認をし、引っ越しを終えているはず。引っ越し業者に荷物を預けたあとはそのまま在来線を乗り継ぎ、新幹線のある県まで出てから新幹線への乗り換えだ。


「今頃、業者が来てんのかな」

 もし俺たちがこんな状況じゃなければ。もし俺があの日、智彰の手を取っていたら、今少なくとも一緒にいられたかもしれない。だがそれらは全て幻想で、現実は別れを示していた。


 はぁ、とため息を吐きながら家への道を辿る。この道を通るのも最後だろう。

 想像よりもずっと早く帰ってきた主役に驚いたのか、出迎えてくれた母は何か言いたそうにしつつも口を閉じた。

『これから出かけるの?』なんて聞かないあたり、俺の様子で何かを察しているのかも。


 その場から逃げるようにそそくさと自室へと向かった俺は、ベッドへと乱雑に鞄を投げた。あまりにもあっけない結末に、どこか拍子抜けした気分だった。


「終わり、でいいんだよな」

 いっそ寝てしまおうかとも思ったが、残念ながら眠れそうにはなく、俺はベッドに横になったまま部屋を見つめる。そんな俺の視線に引っかかったのは、机に積み上げられた智彰の特製ノートだった。

 どうしてかはわからないが、そのノートが気になった俺はのっそりと体を起こし机へと向かう。

 そして合格発表の日、智彰がしていたように俺も一冊目のノートのページを捲った。


「なんか、もう何年もたったみたいだな」

 智彰と話さなくなってからたった四ヶ月。だけど、この四ヶ月が俺にとって長く感じたのはなぜなのか。


「そんなの、智彰がいないからに決まってる」

 そして明日からはもうこの町のどこにもいないのだ。


 東京へ行った智彰はきっと俺を忘れて楽しいキャンパスライフを過ごすのだろう。

(でも、それこそ俺が望んだことじゃねぇか)


 新しい友人を作り、恋人だって作る。なかなか会えなかった父親の意見を、これからはいつでも聞ける場所へ智彰は行ったのだ。


「これでいいんだ」

 俺は智彰と出会えただけでこんなに幸せにして貰ったんだから、寂しいなんて思っちゃいけない。そう自分へと言い聞かせながらページを捲り――最後のページで固まった。


「なんだこれ……」

 驚きつつ手に取ったのは、封のされていない封筒に入った手紙だ。いつの間に、なんて呟きながら、これは合格発表の日、智彰がここに挟んだものだと即時に気付く。


 このノートに触れたのも、そして挟む時間があったのも智彰だけだった。


「だからあの日、学校にいたのか?」

 推薦ですでに大学が決まっていた智彰が登校した理由は、まさか俺に手紙を渡すため?


 でも、じゃあなんでその場で渡してくれなかったんだろう。混乱しながら封筒を見下ろす。

 もしかして智彰も、今の俺のように悩んで、迷って、答えの出ない自問自答を繰り返していたのだろうか。

 だから、俺が見つけるかもわからないこんな場所に、そっと隠したのだろうか。


 ごくりと唾を呑み、みっともないほどに震える手で手紙を取り出す。カサリと小さな音がやたらと大きく聞こえ、俺の鼓動が激しく音を刻んでいた。


「……桜汰、へ」

 喉がひくつき、上手く声が出ない。それでも俺は少しずつ読み進める。



『桜汰へ。

 まずは合格おめでとう。俺があれだけ対策を練ったんだ、まさか落ちたなんて言わないよな?


 そしてごめん。何について、とか言われると困るんだけど、全部ごめん。

 こんなの言い訳にしか聞こえないと思うけど、あの日進路を変えてもいいって言ったのはその場の思い付きだけじゃなかったんだ。

 父さんは父さんだし、家族仲も、桜汰の家みたいに特別良くはないけど決して悪くもないしな。

 それで桜汰を傷付けてたら意味がないけど。


 でもこれだけはわかって欲しい。俺は、桜汰を軽く見ていたわけじゃないんだ。むしろ何より大きくて、大事だった。

 だけど、それと同じくらい桜汰が俺と、俺の目標を大事にしてくれてるってことに気付かなかった。愚かだった。

 罪滅ぼし、なんて言い方をしたらまた怒られそうだけど。俺は東京行きを決めました。

 本当に、別に東京じゃなくてもいいと思ったのは事実だけど――でもこの大学は、父さんもいて、そして桜汰が背中を押してくれた大学だから。


 まぁ、日本でトップクラスの設備が整ってるのもこの大学ってのが一番の理由だから、どうかあまり重く受け止めないで欲しい。


 手紙を書くってなんだか照れくさいな。あと、どうやって締めるんだろう。

 スマホのメッセージだと、おやすみで終えてたけど、手紙だとおかしいか。


 実は受験に集中したいから偽装の恋人になって欲しいっての、嘘でした。

 桜汰が好きだったから、離れる前に思い出が欲しかっただけなんだ。それも改めて謝罪する。ごめん。


 もしこの手紙を見つけたら、読んだ後はもう捨てていい。

 今までありがとう。これからの桜汰の幸せを祈っています。 智彰』


 手紙を読み終え、思わず吹き出す。


「なんだよ、最後に付け足したみたいな、っ、告白しやがって……、ッ」

 手紙にパタッと水滴が落ちる。視界が揺れて、どんどん滲んだ。


 あれだけ乾いていた俺の目は、どうやらちゃんと水分があったらしい。



「――行かなきゃ」

 みっともない顔をしていても、今日は卒業式。涙の言い訳もばっちりだから、と俺は涙を拭う時間すら惜しんで玄関へと駆け出した。


「あら。桜汰、どこ行くの!? 今日は焼肉よ!?」

「智彰んとこ!」

「……あら。あらあら。気を付けてね、伝言頼んだからね」


 少しのんびりした言葉で送り出してくれた母に背中を押されるようにして家を飛び出す。


(間に合え、間に合え!)

 智彰が学校を出たのはかなり前だ。家ではなく駅へ向かうべきかと一瞬迷うが、その迷いを振り払うように家へと向かう。

 引っ越し業者とのやり取りもあるはずだから、まだ十分間に合う可能性があるはずだ。


 そして。


「智彰ッ!」

「……桜汰?」

 少し大きめのボストンバッグを肩にかけた智彰を、マンションのホール出口で見つけた俺は、走ったままの勢いで智彰へと抱き着いた。


「ちょっ、なに、どうしたんだ」

 一瞬体勢を崩しかけた智彰だが、一緒に陸上部の助っ人もしていたお陰か転ばずに済む。

 驚き混乱したような声を出している智彰に、俺は更にぎゅっと抱き着いた。


「俺だって好きだった!」

「っ」

「そんで、今も好きだから! 全然今も! 嫌いとか嘘で、智彰だけが好きだから!」

(言った!)


 バクバクと鼓動がうるさい。でもどこか心地いいのは、抱き着いた智彰からも同じ速さの心音が聞こえたからだった。


「手紙、読んだ。遠距離で、いいじゃん」

「え?」

「最後の思い出とかじゃなく、これからも思い出作ればいいだろ!」

 勢いに任せ、怒鳴るようにそう口走る。そんな俺の言葉を聞いた智彰が一瞬考えるように口ごもり、小さく息を吐いた。


「距離って、やっぱり大事だ。俺の家は別に不仲じゃないけどさ、でも、離れて暮らしている時間が長いせいでやっぱりどこか疎遠になるんだ。桜汰の家族を見てたらそれがすごくよくわかる。桜汰と付き合って、距離が離れて、そんで俺の家族みたいに気持ちが離れたら――」

「いや、近いだろ」

「……は?」

「星よりずっと、近い!」


 智彰が真剣に話してくれているのはわかったけれど、距離が必ずしも関係を薄くさせるわけじゃない。智彰の不安もわからなくはないけれど、でも、それ以上に俺たちの未来があるのなら。


「だから大丈夫だ」

 俺より背の高い智彰を見上げ、そう断言する。俺の言葉を聞いた智彰は、さっきと同じようにやはり一瞬口ごもり、そして小さく吹き出した。

 くすくすと笑う智彰の目元に滲んだ涙をそっと拭う。


 ――今、はじめて智彰へ伸ばした手が届いた気がしたのだった。

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