いつだっただろう。
王城の塔で追いかけっこをした時のことだ。
ここから見ているだけじゃ駄目だと
言った彼女を眩しいと思った。
この人は、帝位にたつ人だと思い知らされた。
自覚がなくても彼女は王の位につくにふさわしい人なのだ。
その時は少し遠くに見えて切なかったものだけれど。
自分との違いに、この人は俺とはそぐわないなんて勝手に決めつけて、傷を負った。
愚かだった。
そして、あの事件が起きる。
縁戚にあたるザイスに、襲われ、尊厳を蝕まれる痛ましい事件。
救えなかったあの日のことを何度悔いただろう。
もっと、早く薔薇園に向かえていればと
自分を責めたかわからない。
ザイスの邪(よこしま)な思惑で自覚させられたのも確かだった。
リシェラ王女への恋慕を嫉妬という、黒く浅ましい感情で引きずり出された。
いつか、彼女を抱きたくなる日が来る。
ザイスの言葉は、リシェラを穢すようで嫌だったが
同時に、自分が紛れもなく男であることを教えられたかのようで忌々しかった。
いやだ。
そんなふうに、あの可憐で愛らしい王女を見てしまうのは。
抗う心とは別のところで、いつかは訪れる気もしていた。
無邪気で、残酷な王女は、好きを確認しあったあとも、警戒を覚えない。
二つも年上の男であることを認識していないみたいだ。
近づきすぎると頬を赤らめ、うろたえるくせしてディアンを惑わせる。
その無垢な瞳は、彼を暴き立てる。
「ディアン、さっきから黙り込んでるけど、どうしたの?」
首を傾げる彼女は、大きな瞳を瞬かせている。
赤髪(ストロベリーブロンド)をそっと
梳いたら、くすぐったそうに笑った。
七分袖のドレスは、真っ白な腕がさらけ出されていた。
城のリシェラの私室。
広い部屋の中、鏡にディアンと彼女が映し出されている。
「……っ」
耳元に、唇で触れた。ほんの出来心だった。
衝動は抑えきれず、軽い音を立てて耳たぶを食む。
鏡の中には、唇を噛んで俯くリシェラと、
ディアンの姿がある。
金髪と赤髪の2人の姿が密やかに映し出されていた。
「……こんなことしたら、よくないわ」
「リシェラが、誘惑するから悪い」
「……してないわ」
時折、素に戻って、砕けた言葉で話すと、リシェラは、とても喜んだ。
それが余計にディアンを舞い上がらせることも知らずに、
恋人っぽいと声を弾ませた。
だからディアンは、恐れ多いと思いながら時々素の彼で接する。
物腰柔らかな従者ではない自分を見せる。
「リシェラ様は嘘が下手だ」
ちゅ、もう一度口づける。
両方の耳たぶにキスしたら、彼女は首筋まで赤く染めた。
背を流れ落ちる髪と同じように。
「ディアン、くすぐったいわ」
かっ、となった。
ディアンの中で、何かが壊れる音を聞いた。
「リシェラさまが、無邪気だから誘惑されてしまう……」
肩に頬を寄せ腕を回した。
強く抱きしめたら、折れそうな華奢な体だ。
「誘惑しているのはあなただわ」
虚をつかれたディアンは、呆然とリシェラを見つめる。
鏡の中のリシェラは、大人びていて、彼を試しているのだと知った。
「……そうかもしれない」
左腕を持ち上げて、キスを落とす。今度はくすぐったそうにはしなかった。
頭(かぶり)を横に振って、戸惑いを伝えてきている。
潤んだ眼差しに、このまま触れるのはまずいと恐れた。
「俺はきっと、あなたを求めているんだ」
「……それは」
「プリンセス・リシェラに初めて出逢ったあの日から、恋慕っているのです」
「……きっと私も」
腕にすがりつくディアンは、急に身体を離され、驚いた。
正面から、抱きしめられる。
甘やかな束縛だった。
夕陽に染められた赤髪が、輝いている。
ディアンは、瞳を閉じて、息を吸い込んだ。
背中に、腕を回す。
いつか、その日が来るとしたら魂のすべてで、
彼女を慈しみ愛すだろう。
邪(よこしま)な欲望ではなく、まぎれもない愛情で、
焦がれる気持ちを全身で伝えるに違いない。
それは、近いのか遠いのか未(いま)だ分からないけれど、決して傷つけることなく、
ずっと守っていきたい。
赤髪を撫でて、その髪ごと抱きしめる。
腕に落としたキスは、微かなものだったけれど、胸を熱くさせるには十分だった。
(誘惑されたのは、こっちですよ)
恋慕の情は、揺らぐことも消えることもない。
身長差を補う為に踵を立てて、抱きつく王女。
彼女を胸に抱きながら、ディアンは頬を緩めた。
「可愛くすぎて、嫌になります」
「……あなたこそ学園でモテモテのクセして」
「リシェラさま以外、視界には映らないから、知らない」
恥ずかしかったのか、胸元を叩くその腕を取って、少し強気に抱きしめた。
浮いた踵から、ルームシューズが脱げて落ちている。
「キスしてもいいですか?」
憎まれ口は、降り注がず彼女は瞳を閉じた。
少し長めに口づけたら、吐息を乱す。
「……今のはいき過ぎていたわ」
可愛すぎて、もう一度抱きしめるディアンなのだった。