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第38話 ビッグニュース

刹夜は、結局その人違いだった女を連れて関西を離れた。


周囲の者たちは――

「若様、また新しい女ができたらしい」

と勝手に噂したが、当の本人はあまりに淡白だった。


空港近くの道沿い、車がゆるりと止まり、刹夜がようやく口を開いた。


「降りろ」

「……え?」


女は一瞬、信じられないという顔をした。


自分は顔に自信がある。

今まで出会った男は、誰もが多少なりとも優しかった。

特に命を救った相手なら、少しくらい気に入ってくれるはずだと、どこかで思っていた。


だが――

目の前の男は、表情ひとつ変えずに突き放してくる。


「平吾、こいつを空港まで送ってやれ」

「かしこまりました」


黒岩平吾が無言でドアを開け、丁寧に促した。


「お嬢さん、こちらへどうぞ」


女は渋々身体を動かしながらも、車内の美しい男を一瞥する。


「助けてくださって、本当にありがとうございました。できれば……ご連絡先を教えていただけませんか? 無事に帰れたら、きちんとお礼を――」


「いらねぇよ」


刹夜は一度も彼女の顔を正面から見なかった。

探していた女が見つからなかった苛立ちが声に滲む。


「で、ですが……」


「お嬢さん。悪いけど、お引き取りを。ううちの若様、粘るタイプが一番嫌いなんで」


警告だった。


平吾は刹夜の性格をよく知っている。

これ以上しつこくすれば、彼の機嫌はさらに損ねてしまう。

下手をすればこの場で命を落とすことになりかねない。


「……わかりました。改めて命を助けてくださって本当にありがとうございました。きっとまたどこかでお会いできる気がします」


女は察しがよかった。

「若様」と呼ばれている時点で、彼が只者でないことはすぐに理解した。


それに、会話の端々から、自分を拉致した連中が黒龍組の関係者であることも察していた。

黒龍組ほどの極道から奪い返してくれたとなれば、目の前の男たちはそれ以上の存在に違いない。


それに何より――

あの容姿。


静かで、冷たくて、尋常じゃないほど美しい。

彼女は思わず心を奪われてしまう。


――ああ、一目惚れって、こういうことかもしれない。

世の中の女たちが少女漫画に夢中になる理由、ようやく分かった気がする。


目の前の男は、彼女がこれまで見てきたどんな男よりも、桁違いに魅力的だった。


手に入れたい。

そう、どうしても彼が欲しい。


今日のところは無理でも、いつかきっと……。


そんな想いを抱きながら、女は黒岩に連れられ空港へと向かう。

去り際、彼女はダメ元で平吾に連絡先を尋ねた。


平吾はひどく面倒くさそうにしながらも、最終的には教えた。

もちろん、彼女が本当に求めている相手が誰なのか――平吾には火を見るより明らかだった。



――翌日。

一つのニュースが、日本中を駆け巡った。


「人気女性歌手・星宮 恋夏ほしみや ここな、関西で誘拐されていた――

関与が疑われるのは黒龍組。

謎の男性により救出されるも、恩人の身元不明」


星宮は現在、恩人を探すために高額な懸賞金をかけて、情報提供者をSNSで募集中。

彼女が泣きながら感謝のコメントをする動画は、瞬く間に拡散された。


世間は騒然となり、マスコミは「謎の救世主」の正体を巡って奔走。


さらに――

この事件が国際的な人身売買組織と関係しているとの情報が浮上。

インターポールが動き出し、捜査は国際規模に発展した。


台湾を拠点に活動していた星宮恋夏は、話題を集めてバラエティ番組にも出演した。


注目度は高く、司会者たちも彼女の口から直接、真相を聞きたがっていた。


『星宮さん、今回はご旅行で日本へ?』


「はい、ツアーのあと、ちょっとしたバカンスをと思って…」



『そんな最中に誘拐されるなんて…どこで連れ去られたんですか?』


「ホテルの部屋でした。スタッフを装って、フルーツの盛り合わせを持ってきたんです。ドアを開けた瞬間、薬の染み込んだハンカチを口に押し当てられて……そのまま意識が……」



『えっ、ホテルの中で!? それじゃ抵抗もできませんよね』


「全然できませんでした。目が覚めたら真っ暗な部屋で……

知らない女性たちが十数人、一緒に閉じ込められていました。

食べ物は与えられず、水だけ。『中東に売る』って声も聞こえました……」



『ひどすぎる……その後、どうやって逃げたんですか?』


「……彼が来たんです」


スタジオの空気が一変する。


「まるで神様のようでした。信じられないくらい簡単に私たちを救ってくれて、

私を関西から空港まで護衛してくれて……最後まで見送ってくれたんです」



『その方って、どんな方だったんですか?』


「とても整った顔立ちで……冷静で、でもすごく静かで強い人。

私が芸能人だって知っていたわけじゃないと思います。お礼を言おうと連絡先を聞いたけれど、あっさり断られてしまいました」



『漫画みたいですね』


「本当に……。あの時、彼が現れてくれなかったら、私はもう生きていなかったと思います。

――神様は、彼を私の前に遣わしてくれたんだと信じています。だから私は、彼を探すために懸賞金をかけました」



『ネットでは話題になっていますが、自作自演では?という声もありまして……』


「絶対に違います! 私は誓って言えます。全部、本当の話なんです。

インターポールも私に情報提供を求めています。もし作り話だったら、国際刑事警察が動くはずありません。私は命を懸けて、本当のことを話しているんです」



『ですよね……その恩人、見つかりましたか?』


「まだです……。でも、もし心当たりのある方がいたら、ぜひご連絡を。それに、もしテレビをご覧になっているご本人がいらっしゃったら――

お願いです。私に連絡をください。せめて、一度お食事でもご一緒して、直接お礼を言わせてほしいんです」



『いやあ、スターを助けたなんて、本人は思ってもいないでしょうね』


「たぶん……本当に知らなかったと思います。でも、それでも迷わず助けてくれました。心から感謝しています」



番組が放送されるやいなや、ネットは大騒ぎに。


SNSには“#星宮恋夏の恩人”というタグが生まれ、トレンド入り。

ファンも野次馬も憶測を飛ばし、顔の特徴や証言情報まで集まり始めた。


番組収録を終えた星宮恋夏が楽屋に戻ったとき、マネージャーが駆け込んできた。


「星宮さん……例の男性、たぶん見つけました!」

「えっ!? 本当ですか!? 本人から連絡が?」

「いえ……民間の探偵社から情報提供がありました。写真も送られてきています」


マネージャーが差し出した一枚の写真。

黒のスーツに、袖口に繊細な龍の刺繍。


切れ長の目元に、氷のような殺気を宿した男。

冷徹な顔立ちと、周囲を寄せつけない威圧感。


「間違いない……この人です……!」


恋夏は興奮を隠せなかった。


「だからか……。あのね星宮さん、彼は刹淵組の若頭なんです」

「なっ……!? 刹淵組って……まさか、あの……?」


マネージャーの言葉に、恋夏は一瞬言葉を失った。

大物だとは思っていた。

ただ、まさか――日本最大級の極道組織の中枢だとは、夢にも思わなかった。


刹淵組――

百年以上の歴史を持ち、政治家や財界とも深い繋がりを持つ闇の巨大組織。

韓国マフィアなど比べものにならず、台湾の極道とすら太い繋がりを持つ、本物の裏社会の帝王。


そんな組織の「若頭」が、あの男――。


つまり、次のトップが、彼……だったというのか。

驚きよりも、興奮が先に来た。


――もし、この人と結ばれたなら。

自分の人生は、歌姫という枠を超えて、まったく別次元の高みへ昇っていく。


星宮恋夏。十八歳で華々しくデビューし、今や二十六歳。

名声、富、賞賛、美貌――欲しいものはすべて手に入れた。


ただ、心を預けられる相手だけは、どこにもいなかった。


財閥の御曹司? 王子気取りの実業家?

どれも退屈で退屈で、刺激に欠けすぎていた。


けれど――今回だけは違った。

彼女を救い出し、名も告げずに姿を消した、あの冷たい男。


思い出すたび、思わず口元がほころんでしまう。


「……彼の名前は?」

「九条刹夜です」



そのころ――


千紗は豪奢な屋敷の一室で、刹夜と並んで朝食をとっていた。


テレビには、ちょうど朝の番組が流れている。


「えぇ〜? あのすっごく有名な歌姫さん、助けてもらったんだって。誰に助けられたのかなぁ、きっとお礼に大金払うんだろうね、刹夜さま」


千紗は無邪気に向かいの男へ話しかける。


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