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第16話

これはおかしい。

以前の私は、何かにつけて拓海の話ばかりしていた。そんな私が、拓海の話を一切しなくなるなんて、きっと彼に心を傷つけられたからだ。


もしかして……


「真希、拓海は今何をしているの?」


私は一瞬だけ視線を動かし、黙っていた。


その様子を見て、佳穂は自分の推測に確信を持ったようだ。

「あなたが拉致されたの、拓海と関係あるんじゃない?」


私は彼女を見上げた。

佳穂は息を飲み込み、本当に彼女の推測が当たってしまったのだと悟った。


「拉致されて、薬を注射されたとき、拓海は何をしていたの?」


その瞬間、私は思わず涙がこみ上げてきた。


誘拐されたとき、私は泣かなかった。涙を流したら、犯人が得意になってしまう気がしたからだ。

拓海に見捨てられたときも、私は泣かなかった。もう彼に期待しないと決めたからだ。

薬を打たれたときも泣かなかった。泣いたって何も変わらないことを知っていたから。


でも、親友の佳穂が目に涙を浮かべながら、心から心配して「拓海は何をしていたの?」と聞いてくれたとき、抑えていた感情が一気に溢れ出しそうになった。


気づいた。私は思ったよりも強くなんてなかった。ただ誰にも心配されなかったから、弱さを隠して、無理に強がっていただけなんだ。


刑事が敏感に名前を聞き取った。

「その拓海さんという方も、この事件に関与しているのですか?」


佳穂はすぐにスマートフォンを取り出した。

「今すぐ彼に電話する!本当に、どういうつもりなのか問いただしてやる!」


どうして真希にこんなことができるのか、信じられなかった。


電話の着信音が鳴り始め、だんだんと近づいてくる。


次の瞬間病室のドアが勢いよく開かれた。


拓海は髪を乱し、目は充血し、疲れ切った表情で病室に駆け込んできた。

その顔には、真希を失いかけて取り戻した安堵の色が浮かんでいる。


「真希!」彼は真っ直ぐベッドに近づき、私の手を強く握った。


彼が来た。


でも、彼は何をしに来たの?本来なら今ごろ小雪のそばにいるはずなのに。


頭がぼんやりして、考えがまとまらない。


「拓海!」佳穂は彼を押しのけ、厳しい口調で問い詰めた。「真希に何をしたの?」


真希にとっては拓海。でも他の人にとっては、高嶺の花の江藤家の御曹司で、誰も寄せ付けない存在。

佳穂の言葉など、彼の耳には届かないようだった。彼はベッドの掛け布団をめくると、私を抱き上げようとした。


「何をする気!」佳穂は恐怖に目を見開いた。


刑事も制止に入る。


「私は江藤拓海、江藤グループの社長だ。弁護士を通して警察には説明させる。」彼は冷静に言い、佳穂に向かって短く言い放った。「どいてくれ。」


佳穂は譲らなかった。「真希はまだ病気なのよ、どこに連れて行こうとしているの!」


しばらく会わない間に、真希はすっかり拓海に追い詰められてしまった。今ここで彼に連れて行かれてしまえば、もう二度と真希に会えなくなるかもしれない。


二人が言い争う中、誰も気づかないうちに、真希の目はどんどん虚ろになり、体が小刻みに震え始めていた。


ただ一人、刑事だけが真希の異変に気づいた。「まずい、薬の発作が始まった!」


何だって?


拓海はすぐに私を見下ろし、私の瞳孔が大きく開いていくのを見てとった。私は彼のシャツを掴み、抑えきれない呻き声を喉の奥から絞り出していた。


「うっ……!」痛い、痛い、まるで無数の蟻が体中を這い回り、無限の針が刺さるような、いや、体中をバラバラに引き裂かれるような苦しみだった。


「助けて……助けて……痛い……」途切れ途切れにしか言葉にならなかった。


佳穂は、薬の発作を起こす人を見るのは初めてで、拓海に抱えられながら奇妙な姿勢でのたうち回る真希に、ただただ唖然としていた。


拓海はすぐに私をベッドに戻し、ネクタイを引きちぎって私の手を縛り、暴れる脚をしっかりと抱きしめた。


そしてドアの外に向かって叫んだ。

「医師を呼べ!」


この医師は、拓海が江藤家系列のプライベート病院から呼び寄せた、全国でも有数の神経系の専門家だった。


廊下には何人もの人が立っていた。病室の扉一枚隔てて、真希の叫び声と苦痛に満ちたうめきが響いてくる。空気は重苦しかった。


「江藤拓海さん、江藤真希さんは拉致され、無理やり薬を注射されたと証言しています。それを証明できますか?」


拓海はうなずいた。彼の意識はまだ病室の中に残っているようだった。


「では、その時の詳しい状況をお聞かせください。」


すぐに拓海の弁護士が前に出て、事の経緯を説明した。


刑事は眉をひそめて言う。

「もう一人の被害者はどこにいますか?その方からも事情を聞きたいのですが。」


拓海は冷たい目で刑事を見る。「今は無理だ。」


「無理なのか、あなたが手放したくないだけなのか?」佳穂が冷たく言い放つ。


佳穂も真希と同じく名家の出身だった。


昔、真希が「拓海に惹かれている」と言ったとき、佳穂は「拓海という男は冷たくて自分の殻に閉じこもっている。これまで何人もの女性が近づいてきたけど、誰も彼の心を動かせなかった。唯一、彼が心を許しているのは義妹の小雪だけ」と忠告したことがあった。


だが、真希は止まらなかった。拓海を追い続ける日々、真希からはたびたび「小雪に対する拓海の優しさに嫉妬する」と聞かされた。やがて真希と拓海が結婚し、小雪は留学で海外へ行った。それ以来、小雪の話はほとんど出なくなった。


真希はもう小雪が自分たち夫婦の間に入ることはないと思っていたが、今となっては、その考えが甘かったと痛感していた。


実際には、小雪の方が真希よりも、よほど拓海の「妻」に見えるのだ。


「南さん、これは私たち夫婦の問題です。あなたには関係ありません。」


「こんな夫なら、もうやめた方がいいんじゃない?」


二人の舌戦が続く中、場違いなほどか弱い声が響いた。


「お兄様を責めないで。全部私のせいなの。」


廊下の奥、小雪が白いワンピースに身を包み、長い髪を垂らしたまま立っていた。

顔には薄く涙の跡が残り、それでも必死に微笑もうとする姿が、かえって痛々しかった。


「全部私が悪いの。私が兄さんとお姉さんに迷惑をかけてしまって。どうせ白血病でいずれ死ぬ運命なのに、私が気を失ったせいで……本当は自分から進んで薬を打たれるべきだったのに、そうすればみんな幸せだったのに。」


拓海は大股で歩み寄り、小雪をしっかりと抱きしめた。

「そんなこと言うな。君を助けるのは俺の意思だ。あの時の状況じゃ、君を助けなくても、真希は逃げられなかった。」


佳穂は二人が抱き合う姿に、ますます苛立ちを覚えた。


前から思っていた。拓海の義妹への態度は、ちょっと普通じゃない。もし最初からそういう目で見ていたのなら、すべて納得できる。


「まったく、最低の兄妹だわ。」


「南さん、言葉を慎んでください。」


佳穂は冷笑した。

「何か間違ったことを言った?その抱き方、その寄り添い方、どう見ても普通じゃないでしょう?二人で何をしていたか、想像できるわ。」


小雪の顔は真っ青になり、慌てて拓海を突き飛ばした。

「私を侮辱するのは構わない。でも、お兄様を侮辱しないで!」


拓海は一瞬驚いた顔をしたが、小雪が自分をかばう言葉に、すぐに優しい表情を浮かべた。


「大丈夫だ。俺たちは何もやましいことはしていない。」


そのとき、病室のドアが開いた。


佳穂と拓海は一斉に医師の方へ駆け寄った。


「先生、真希は?」


「彼女は……」


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