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第15話

拓海は小雪を揺り起こし、今まで見たこともないほど焦りと恐怖を浮かべていた。

「真希はどこだ?」

小雪は頭を押さえながら、記憶を呼び戻す。


拓海が病室を出て行ったあと、小雪は勝ち誇ったような気分で、ベッドで死人のように横たわる真希を見下ろしていた。

聞いたところによると、ここ数日真希は何度も禁断症状を起こし、そのたびに拓海の部下が抑えてきたらしい。

その薬は、アメリカで新しく開発されたドラッグで、ウイルスの十倍もの破壊力を持つという。

一度手を出せば、一生苦しみから逃れられず、目が覚めている間は骨が噛まれるような痛みに襲われ、発作の時はもはや人間とも思えない惨状に陥る。

生き地獄とはまさにこのことだった。


「真希、これが私に逆らった罰よ」小雪は真希の手首をきつくつかみ、「今、きっと死ぬほど痛いでしょう」


しかし、その言葉が口から出る前に、ベッドの真希が突然目を見開き、隣にあった魔法瓶を振り上げて小雪の頭に叩きつけた。

その瞬間、小雪の意識は途切れた。


もちろん、小雪が拓海に真実を話すはずがない。


彼女は涙ぐみながら訴えた。

「さっき、お姉さんに頭を殴られて気を失ったの。どこに行ったかなんて知らないよ」


真希を失うかもしれない不安が、拓海を支配していた。

本当は真希のことが好きではなかった。

かつては、彼女が自分の前から消えてくれればいいとすら思っていた。


だが、いざ真希がいなくなると知った瞬間、なぜか胸が締めつけられるような焦燥に駆られた。


「探しに行く!」


今すぐ真希を探し出し、連れ戻さなければ――

拓海が立ち上がろうとしたその時、小雪が彼の手を掴んだ。


小雪は涙をこらえ、切なげに見上げる。

「お兄様、私、怪我してすごく痛いの……抱きしめてくれない?」


長年、小雪を大事にしてきた拓海は、つい手を伸ばしかけた。

小雪は嬉しそうに両手を広げて待ったが、拓海はその手を引っ込めてしまう。


信じられないという表情の小雪。

それ以上に彼女を絶望させたのは、拓海の言葉だった。


「小雪、真希もまだ怪我してる。今は彼女を探さないと。ここで大人しく待っててくれ」


そう言い残し、拓海は本当に部屋を出て行こうとする。

小雪は悔しさに歯を食いしばり、爪を床に立てた。


拓海がドアを開けた瞬間、向こうでちょうどドアをノックしようとしていたスーツ姿の男と鉢合わせた。


「誰だ?」ここは真希の病室のはずだ。

この男は真希の知り合いなのか?一体、いつそんな男と知り合ったのか。


「こんにちは。私は江藤真希さんの依頼を受けた弁護士です。あなたは江藤拓海さんですね?」

弁護士?真希が弁護士に何を頼んだ?


「用件は?」


身分を確認した弁護士は、鞄から一通の書類を取り出した。

「これは、江藤真希さんからお預かりしている離婚届です」


離婚届?


拓海はそれを奪い取るようにして手に取った。タイトルの太字が目に刺さる。

本当に――彼女は離婚する気なのか。

あんなに自分を想い、何もかも捧げてくれたはずだったのに。


きっと怒っているだけだ。きちんと説明すれば、きっとわかってくれるはずだ。

拓海はすぐに病院の監視カメラ映像を確認させ、真希が病院を出て行ったことを知る。彼女の足取りをたどると、最初は大使館、その後は空港へ向かっていた。


――


私はパスポートと航空券を握りしめ、電光掲示板のフライト情報をじっと見つめていた。

実は、ずっと前から覚悟はできていた。二十八日には拓海との全てを終わらせると決めていた。少しばかり過酷な結末になったけれど、これでやっと幕を下ろせる。


この数日、私はほとんど眠っているふりをして、拓海と顔を合わせないようにしていた。

今日、ついに好機が訪れた。彼がいない隙に小雪を気絶させ、病院を抜け出した。

大使館で移民の手続きをして、道すがら弁護士に離婚届を託し、そのまま空港へ向かった。


あと一時間で私は飛行機に乗り、遠い国へと旅立つ。もう二度と戻ることはない。これで、拓海と小雪は思う存分幸せになれるだろう。


隣の席に座っていた少女が、ずっと私を見ていたらしい。いつから見ていたのか、そっと声をかけてきた。

「すみません、大丈夫?ずっと震えてるし、顔色もすごく悪いよ」


私は震えているのだろうか?

ふと下を見ると、確かに手も足も小刻みに震えている。何でもないと言おうと口を開いたが、代わりに白い泡が口からこぼれ落ち、そのまま椅子から崩れ落ちて痙攣し始めた。


周りの人たちが驚いて声を上げる。

すぐに空港のスタッフが駆け寄ってきて、それから先のことは何も覚えていない。


私は飛行機に乗れず、そのまま市立病院に運ばれていた。


目が覚めると、見知らぬ人々が私の周りを取り囲んでいた。


「目が覚めましたね」と医者が声をかける。「お話できますか?」

私はうなずく。


「ご家族に連絡を取りたいのですが」


私の家族はみんな海外にいる。日本で連絡できるのは拓海くらい。でも、もう一人、親しい友人がいた。結局、彼女に頼るしかないか――


佳穂が電話を受けて病院に駆けつけるまで、三十分もかからなかった。

忙しい仕事の合間を縫って来たのだろう、黒のスーツに白いシャツ、手にはビジネスバッグ。髪は乱れ、普段の余裕は見えない。


「どうしたの、真希、こんな姿になって……」南佳穂はベッドの傍らで、途方に暮れていた。

少し会わないうちに、どうして彼女がこんなに変わってしまったのか。


私は無理やり笑顔を作って応えた。


医者は佳穂を連れて病室の外へ、病状説明に向かった。

佳穂は信じられないものを聞かされた。


「そんなはずありません。真希がドラッグなんて、彼女はお酒すらほとんど飲まないんですよ!何かの間違いじゃないですか?」


「間違いありません」医者はため息をつきながら言う。「警察にも連絡済みです。もうすぐ来るでしょう。江藤真希さんには、ぜひ警察の指導のもと、治療に専念するよう説得してください」


佳穂は冷たい廊下の壁にもたれ、現実を受け止めきれないでいた。

真希がドラッグを?絶対に信じられない。しかし、病院の検査結果は確かだった。

一体彼女の身に何があったのか。


問いただしたい気持ちでいっぱいだったが、真希の静かな視線に触れ、何も聞けなかった。


警察はすぐにやってきた。

薬物事件は重大な問題だ。

病室は、ほとんど人でいっぱいになった。


幸い、憔悴しきった私を見て、警察も穏やかな口調で話してくれた。

私は途切れ途切れに、自分が拉致され、無理やり薬物を注射されたことを伝えた。自ら手を出したわけではないと――

だが、これはあくまで私の証言。誰かが、それを証明しない限り、信じてもらえない。


「それを証明できる人はいますか?」


私は黙り込んだ。

拓海、小雪、それにあの日の犯人たち――みんな証人になれるはずだ。

しかし、拓海や小雪が私のために証言してくれるはずがない。


「犯人を捕まえれば、私の話が本当だとわかります」


警察は顔を見合わせた。

「江藤真希さん、あなたが示したのは犯人の特徴だけ。他には何も手がかりがありません。もし真実を証明できる人物がいるなら、迷わず教えてください」


佳穂はずっと私のそばで話を聞いていた。私が拉致され、薬物を注射されたと知ると、目に涙を浮かべ、もうこれ以上聞いていられない様子だった。だが同時に、彼女は私の話に何か引っかかるものを感じていた。

――私は最後まで、拓海の名前を口にしなかった。



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