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第37話

真希は目を開けたまま、夜明けを迎えた。


朝、起き上がると頭がふらつき、息をするのもつらいほどだった。

寝不足が原因だろうと軽く考えて、水を一杯飲み、キャリーバッグを持って出かける準備をした。


執事が彼女がキャリーバッグを持っているのを見て、近づいてきた。


「奥さま、どこかに行かれるんですか?」

執事は、真希と拓海が旅行を計画していたことを知らなかった。

ただ、肝心の拓海が直前で予定を変えたせいで、二人旅は真希一人の旅に変わってしまった。


「ええ。」

「旦那さまはご存知ですか?」

真希は咄嗟に「知ってるわ」と答えた。


だが執事は心配そうな様子を隠せなかった。

夫人の体調が優れないことも知っているし、拓海もいない中で一人で外出するのを許すわけにはいかない。


「旦那さまに確認いたします。」


真希は面倒に感じ、キャリーバッグを引きずったまま玄関へ向かった。


「奥さま、お止めください!」

屋敷の使用人たちが一斉に立ちふさがる。


「どいて、退いてよ!」

使用人たちは頑なにドアの前から動こうとしない。


真希は腹を立ててキャリーバッグを放り投げた。

「もう、分かったわよ!」

執事が電話を持ってきて、「奥さま、旦那さまからです」と伝えた。


真希は怒った声で叫ぶ。


「拓海、どういうつもり? なんでみんなで私を止めるの!」

「大人しく家で待っていろ。俺が戻るまで、どこにも行くな。」


命令口調だった。


「なんでよ! 私には出かける権利があるはずよ。行きたいところに行く自由だってあるわ!」


「どこに行くつもりだ」

拓海の声は冷たい。


「旅行よ!」


拓海の声は低く、真希の声は強く、まるで意地の張り合いのようだった。

その時、拓海がふっと笑った。


「俺に反抗するつもりか?」


「そんなことできるわけないでしょ。あなたは社長さんで、仕事もあるし、今は義妹の世話までしなきゃいけない。私なんて、あなたにとって何でもない存在じゃない。」


真希は話しているうちに、だんだん胸の奥が苦しくなってきた。

自分のわがままを恥じながら、これまで冷たくされたのに、少し優しくされただけでこんなにも求めてしまう自分がもどかしい。


真希の皮肉な言い方に、拓海の目が鋭くなる。

「迎えにいく。すぐ来い。」

「行かない!」

「お前に拒否権はない。」


執事が電話を受け取り、丁寧に応じる。

「奥さま、どうぞ。」


玄関の外には数人のボディガードが集まっていた。

真希は、もう逃げられないと悟る。

行けばいいわ。

拓海と小雪が、何を考えているのか確かめてやる。


空港に送られると思ったのに、車は何度も曲がりながら、江藤グループ傘下のプライベート病院へ向かった。

「なぜ私をここに?」


ボディガードがドアを開ける。

「社長がお待ちです。」


拓海がここにいるの?

病院に入ると、スタッフたちが一斉に挨拶してくる。

「奥さま。」

「真希さん。」


訳が分からない。記憶にないこの病院で、なぜ皆が自分を知っているのか。


最上階は江藤家専用のケアフロア。

江藤家の信頼できる人間と、限られた者しか入れない場所だ。


拓海がいるのは想定内だったが、佳穂までいることに驚いた。


拓海の態度が冷たいせいで、佳穂は彼を嫌っていた。

同じ場にいても口をきくことはなかった。

拓海にとっても、佳穂など気に留める相手ではない。


真希はこの二人の仲が良くないことを知っていて、できるだけ顔を合わせないようにしていた。

なのに今日は、二人が自分のいない場で揃っている。


佳穂はひどく怒っているようだった。

怒りの矛先は、真希ではなく、拓海に向いている。


「どうして彼女を巻き込むの!」

佳穂は拓海を責め立てる。


真希は戸惑う。

「どうしたの? 何があったの?」

自分の知らないところで何かが起きていたのか。

怪しい関係を疑うわけではないが、隠しごとをされている感じがどうしても嫌だった。


真希は昔から、正直でいたいタイプだ。嘘もつくけど、小さなことならまだしも、大事なことでは決してごまかさない。

佳穂も、そういうところが真希と似ている。


だが、今回は佳穂がどうしても話したくない様子だった。

佳穂は真希の手を引いて、「帰ろう、ここはあなたの来る場所じゃない」と促す。

しかしボディガードたちが行く手を塞ぐ。


佳穂の目は赤くなり、「拓海、彼女をこれ以上傷つけないで!」と声を荒げる。

拓海も、真希がショックを受けやすいことは分かっているはずだ。

だが彼は佳穂の言葉に全く動じない。


拓海の冷たい視線に、真希は一瞬、二人の関係が最初に戻ったような錯覚を覚えた。

彼女が必死に追いかけていた頃、拓海はいつもこんなふうに冷たかった。

なのに、昨日はあんなに違っていたのに……


真希は佳穂の手を振りほどき、後ろに下がる。佳穂と拓海を交互に見つめる。

「ちゃんと説明してくれない限り、私は帰らない。」


「真希、お願いだから。これはあなたには関係ないの。」

佳穂が手を伸ばすが、真希はそれを避ける。

「何を隠してるの? ちゃんと話して。」


佳穂は力が抜けたようにうつむいた。

十年以上の付き合いだ。佳穂は真希の性格を知り尽くしている。こうなったら絶対に引き下がらないと分かっているのだ。


「どっちでもいいから、説明して。」

拓海は黙ったまま、厳しい表情を崩さない。


「私が話すわ。」

佳穂はかすれた声で言う。

「私が、小雪を階段から突き落としたの。」


冗談でしょ?

佳穂と小雪?

二人が揉めるなんて、考えられない。まさか、自分のせい?


昔、真希が嫌な思いをした時は、佳穂がよく助けてくれた。

今回も同じなのか……


真希の予想は半分当たりだった。


「全部あなたのためってわけじゃないの。」

佳穂はそう言いながら、瞳に涙をためていた。


佳穂の涙を最後に見たのは、彼女が青嵐と別れた夜だった。

あの時、真希は拓海との結婚を決め、両家で式の準備を進めていた。

ある夜、佳穂から電話がかかってきて、受話器の向こうで泣き崩れていた。

駆けつけると、佳穂は泥酔していた。

話を聞くうちに、青嵐が浮気をしていたことが分かった。


その後、青嵐は海外へ行き、佳穂の涙を見たのはそれきりだった。


真希は佳穂を抱きしめ、「泣かないで、何があったの? 小雪が嘘をついてるんじゃないの?」と尋ねた。


その時、拓海が冷たく笑い、真希は彼を睨みつける。

佳穂は真希にとって、かけがえのない親友だ。誰にも傷つけさせない。


小雪のトラブルはこれが初めてじゃない。

いつも自作自演で被害者ぶって、拓海の気を引こうとしていた。

今回もまた、小雪の策略で佳穂が巻き込まれたのかもしれない。


「違うの。本当に、私が彼女を突き落としたの。」

佳穂は声を詰まらせながら続けた。

「今日、買い物で小雪と会って、ひどいことを言われたの。あなたが泥棒で、江藤家の奥さまの座は盗んだものだとか、拓海は最初からあなたなんて好きじゃなかったとか、いずれ捨てられるとか、それから……」

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