佳穂は拓海を睨みつけ、歯を食いしばりながら言った。
「あなたが全部脱いで拓海の前に立ったとしても、彼は興味を示さなかった…」
真希は一瞬、体が固まった。なぜなら、それは事実だったからだ。
結婚してからというもの、拓海は一度も一緒に寝てくれなかった。
同じ部屋で眠ることさえなく、家に帰るとすぐに書斎にこもり、真希に全く関心を示さなかった。
ある夜、真希は我慢できず、何も身につけずに彼の前でバスローブを脱いだ。
だが、拓海はまるで何も見ていないかのように無反応だった。
こんなプライベートな話を、小雪はどうして知っているのだろう……。
真希は鋭い視線で拓海を見つめた。
今度は拓海が目を逸らした。
やはり彼だ、こんなことまで小雪に話していたなんて!
「本当に頭にきてるのよ」と佳穂は続けた。
「言い争いになったとき、つい熱くなっちゃって。そしたら彼女、青嵐のことまで持ち出してきて、私たち二人とも男に相手にされない女だって――」
「拓海は真希を愛してないし、青嵐は私を選ばなかった。彼は自分より五、六歳も年上の女の人の方を選んだのよ。私のことなんて遊びだったって。」
佳穂の目には、急に冷たい光が宿った。
「一番許せないのは、青嵐を奪ったあの女を小雪が青嵐に紹介したってこと!」
話しながら、佳穂はもう泣き崩れそうだった。
青嵐は彼女の初恋であり、初めての男で、今でも忘れられない人だった。
全身全霊で愛した人に裏切られた後、佳穂は彼に深く憎しみを抱いた。
そして、青嵐を奪った女を、もっと憎んだ。
今日、その女を青嵐に紹介したのが小雪だと知って、佳穂が小雪を憎まずにいられるはずがない。
彼女を階段から突き落としたのは、憎しみの衝動であり、復讐のためだった。
真希は佳穂を抱きしめ、彼女に力を与えようとした。
しかし、その瞬間、真希自身はまるでシベリアの荒野に放り出されたような、全身が冷えきった感覚に襲われていた。
真希は拓海の隣で閉ざされた部屋の扉を見つめた。
中にいるのは小雪なのだろう。
まさか、彼女が戻ってきただけでなく、また自分から騒ぎを起こすとは――。
真希は佳穂の背中を優しく叩きながら慰めた。
「大丈夫よ。この仕返しは私が必ずしてあげる。」
そう言って佳穂から離れ、病室に向かって歩き出した。
「待て。」
拓海が真希の腕を掴む。
「彼女は今、休んでいる。」
その「彼女」とは小雪のことだ。
小雪が休んでいようと、真希には関係ない!
「放して。」
小雪にあんな暴言を吐かれ、佳穂まで傷つけられて、簡単に許せるはずもない。
だが、拓海は手を離さなかった。
真希は腕を振りほどけなかったが、まだ足がある。
思い切って足で病室のドアを蹴り開けた。
「小雪、出てきなさい!」
小雪はベッドに横たわり、片足を高く吊るされていた。
ああ、足を折ったのか。随分と甘い罰だわ。
人を挑発するくせに、結局は拓海に尻拭いさせているだけじゃない!
「もうやめろ!」
拓海が強引に真希を部屋の外に押し出す。
真希の背中は壁にぶつかり、内臓まで痛むほどだった。視界が暗くなり、よろめきそうになる。
だが、佳穂がすぐに支えてくれた。
「真希……」
佳穂が心配そうに呼ぶ。
真希は首を振って、めまいを振り切った。
「大丈夫。」
病室の中を見やると、小雪が意地悪そうにこちらを見ていた。
小雪は拓海の手を握りしめ、甘えるように言った。
「お兄ちゃん、私のために復讐してくれるよね?」
拓海は静かにうなずく。
「君を傷つけた者は、誰であろうと俺は許さない。」
その視線がこちらに向けられた瞬間、真希は佳穂を自分の後ろに庇った。
かつて、拓海が小雪をどう守ってきたか、真希は目の当たりにしている。
昔、小雪のことを悪く言ったお嬢様がいて、取引先から契約を切られるなどの大騒動になった。その家族は江藤家に謝罪に来て、娘は三日三晩、江藤家で土下座をさせられた。
拓海が手を引くまで、誰も助けられなかった。
たった一言でここまで徹底的にやるのだから、佳穂がどんな目に遭うか想像できる。
「拓海、小雪が先に挑発してきたのよ。佳穂は悪くない!」
「どいて。」
真希は譲らなかった。
「彼女は私にとってたった一人の友達。あなたに傷つけさせない。」
拓海の表情は変わらない。
「君の友達が江藤家の人間に手を出した以上、責任は取ってもらう。小雪はもともと江藤の血筋じゃないし、ずっと怯えて生きてきた。彼女の唯一の支えは俺なんだ。だから俺は、彼女のために正義を貫く。」
これが本当に彼の目に映る小雪なのか?
小さくて怯えている、そんな彼女なんてどこにもいないのに。
でも確かに、拓海は小雪の味方だ。
いつだって、小雪の後ろに立っている。
たとえその相手が、自分の妻であっても。
拓海の低い声が、真希を圧倒した。
拓海が顎を少し上げると、護衛たちが佳穂を無理やり連れ出そうとする。
真希は止めようとしたが、拓海に両手を掴まれ、身動きが取れなかった。
「佳穂、心配しないで。私が必ず助けるから!」
佳穂は首を振り、優しく微笑んだ。
「私は大丈夫。真希こそ、自分を守って。」
真希は、佳穂が連れて行かれるのをなす術もなく見送るしかなかった。
「彼女をどこへ連れて行くの?」
「警察だ。法律に従って罰を受けてもらう。」
真希は苦笑した。
「それなら、私にも公平にしてくれるの?」
「何だって?」
拓海の顔からは、昨日見せた優しさは消えていた。
きっと、小雪に誤解されたくないのだろう。
胸が苦しかったが、真希は思い切って口を開いた。
「拓海、どうして私と結婚したの? 私が知らないとでも思ってるの?」
真希は病室の小雪を指さした。
「あなたが彼女を守りたかったからでしょう。江藤家は、小雪を金儲けのために障害のある家長に嫁がせようとした。その時、あなたは自分の結婚を犠牲にして小雪に留学の道を作った。私を選んだのは、私があなたを好きだったからでも、あなたが私を気に入ったからでもない。黒澤家が十分強くて、江藤家に利益をもたらせるから。小雪が政略結婚できない分を、私で埋め合わせたんでしょう!」
「私は最初から、小雪を守るための駒にすぎなかった。今まで、あなたに文句も言わず、静かに受け入れてきた。あなたのために力を貸したこともある。その私の頼みだから、どうか、佳穂だけは見逃して。」
拓海が真希にプロポーズした日、真希は舞い上がっていたけれど、兄は冷静だった。
拓海の態度が急に変わったことを不審に思った兄は、調べさせた。
実際、調べてみると――
江藤家は、名門の旧家を乗っ取ろうとしていた。
だが、その家は後ろ盾もあり、強硬策では江藤家も大きな損失を被ることになる。
それで、政略結婚で徐々に蚕食する戦略に切り替えた。
その家の家長は障害があり、中年で妻に先立たれ、性格も不安定だった。
小雪はそれを知って逃げ出そうとしたが、見つかり、江藤家に軟禁された。
そんな小雪を助けたのが拓海だった。彼は書斎の前で一昼夜ひざまずき、自分の結婚を差し出すことで、小雪に海外留学の道を作った。
その事実を知ったとき、真希も辛かった。
家族から「やめておきなさい」と何度も諭されたのだった。